はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
まとまった文章が中心。日々の短文はmb(ryにあります。

jarring

近況のようなそうでもないような

今日は、たまたま見かけた大学進学の記事に何となく書いたコメント*1が随分とはてなスターを集めていたので&言及コメントを貰ったので、ちょっとだけ何か近況めいたものを書いてみます。

  • 「准教授=テニュアで安定してるから学び直しとか出来るんだよ」なコメントに部分的には同意しつつ*2、そういえばこの地に降り立った時に告げられた「本来の任期」が先月末だったことに思いを馳せるなど。
    • 今だからバラしてしまうと、助教として赴任した2014年8月当時、任期が終わる2020年7月末といえば東京オリンピックの最中のはずだったこともあり「オリンピックの開始カウントダウンが自分の任期切れのカウントダウンになる」という無茶苦茶な設定をよくネタにしていたのだった*3
    • しかしいざ2020年7月になってみると、オリンピックはどこかに行き任期もなんか知らないが消滅していた*4。全然わからない。
  • でも落ち着いて考えると、自分の大学の同期で修士出て大手企業に就職した人たちは最初から比較的安定していたのでは…?という気も。
    • こっちがポスドクor任期付き助教で不安定&収入低い時に、年収トーク*5してきたやつのことは今でも忘れませんよー?(突然の積年の恨み)
    • しかしそんな彼らが学び直しに大学に行き直したという話は今のところ聞かない(博士に行った人はいたが)
  • あとそもそもアカデミックな人でも、学部に行き直すという話を肯定的に捉える人ばかりではなかったり。
    • リアクションが大体真っ二つになる。「へえー!」と「ハァ?」の2択。
  • 結局のところ、18歳の時にどこの大学に行くか、学術or研究関連の職につくか、というのと、人生の半ばでもう一度別の分野をゼロから始めたいと思うかどうかはあんまり関係ないんだろうなあという気が。
    • 端的に言えば、専門を複数持ちたいかどうか。「2つくれ、なんならもっとくれ」VS「一つで十分ですよ」
    • 大学は「2つくれ」な人たちをいっぱい集めて楽しくやれる制度を早く整備すべきっていうか整備したい。そんな権力持ってないけど。


今日はせっかくなので、修士1年の時点(2004年10月24日)での自分と大学院の関係について引用して解説した、赴任当初(2014年11月4日)の記述を、もう一回ここに引っ張り出しておいて話を締めようと思います。

引き剥がしたショックで死んでしまう、粘着シートとねずみの関係。
これを大学院と自分の関係に当てはめてみると、奇妙なほど自分がねずみ臭いことに気付く。

http://d.hatena.ne.jp/mbr/20041024


この、自分を大学院から引きはがしたら死ぬんだろうなぁ、という修士1年の時の漠然とした感覚は結局その後も消えることなく、むしろ年月とともに強まり支配的になって自分を突き動かし、そうして10年経った今も当時と身分は違えど大学院に所属しています。


ああすごい!まだ死んでない!

  • 一部の人相手にはたまに喋っている「アカデミックから脱落したら死ぬぜ!」という発言の原点は多分ここにある、かもしれない。要はショック死。
    • 修士1年の時点でこれだからね!まだこの時点では学会発表すらしたことがないというのに!
https://mbr.hatenadiary.jp/entry/20141104


実は上の日記を書いてからの6年弱で一度だけ、自分をアカデミックから引きはがして死のうとしたことがあるんですが、何とか思いとどまって今に至っています。*6

ああすごい!まだ死んでない!

死んでないどころかまた学部に通ってるわけですが。
どんだけ大学が好きなんですかね?


というわけで(ry

*1:専攻によるけど30過ぎならまだ大丈夫。必要なら修士も行って年齢不問の所へ/自分は来年40歳の大学准教授だけど今年初めに学部に入り直して2つ目の専門を身に着けつつあるよ。うるさい外野は無視して一緒に頑張ろう。 - mbr のブックマーク / はてなブックマーク

*2:一応反論としては、修士の頃から40歳くらいでまた大学に行きたかったんだよ、というのと、任期付き助教のときも英語学習に精を出してたし、安定だけが理由じゃないよ、とか

*3:その発言をしてしばらく後に「オリンピックまであと2000日!」とかいうカウントダウンのニュースを見て「もう始まってる!」と戦慄した

*4:2019年2月の日記で書いた通り、いまだに任期がないとか詐欺ではないかと微妙に疑っている

*5:しかも微妙に高めの数字をぶつけてきた

*6:この件については当時の研究室の学生さんには感謝してもしきれない。彼らが直接何かをしたわけではないのだけども、とにかく自分のものの考え方はこれ以降大きく変わった