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3 (years in UoPeople)

【2023年1月21日追記】

追加の卒業エントリを書きました。3年分の費用や取得単位などの話は追加エントリの方にあります→Graduation from UoPeople - Segmentation Fault

 

はじめに

この記事は社会人学生アドベントカレンダーの12月25日分です。アドベントカレンダーってよく見かけるし結構好きなので読むのですが、自分が参加するのは初めてです。いつもと違う趣旨の記事なので少々緊張しますが&目次とか入れてみましたが、本文はあくまでもいつもと同じスタイルで書いてみます。

  • どういうわけか箇条書きを補足として多用する謎のスタイル。そして地の文は敬体なのに、箇条書きの部分は常体で書く。いつからこうだったのか思い出せない…。
  • そもそも社会人という言葉に違和感を覚える(大学教員は社会人なのか問題)のだけど、勤め人くらいのイメージで多分自分も該当するだろうと思って書いてみる。

一応、米国の完全オンライン大学であるUniversity of People(UoPeople)のコンピュータサイエンスコースに2020年1月から通い始めて、順調にいけば卒業まであと2週間の所まで来たので、この記事ではこの3年間の振り返りをまとめてお送りしたいと思います。あくまで、学生としてどんな感じで科目を履修して課題をやっていたかみたいなところを中心に書いていきます。

  • 本当は卒業して卒業記事を書こうと思ったのだけど、学期が終わるのが1月中旬でアドベントカレンダーに間に合わない&どうせ一つの記事で振り返りとかすると長大になりすぎるので、習得単位や科目、学習スタイル、かかった費用などについてはまた後日→書きました Graduation from UoPeople - Segmentation Fault
  • 情報工学を修めてみてどうだった、2度学部を出てみてどうだった、みたいな話も詳細は次の記事に。大学教員としてはこういう、アカデミック方向からのポエムが一番書きたいのだが、書きだすとほんとにほんとに長いので次で。

書いているのはどういう人か

昨年40代に突入した理系の大学教員(准教授)です。現在の所属は情報工学系ですが、もともとは生物学を修めていて、学部の卒業研究から生物学と情報工学情報科学の間にあるバイオインフォマティクスという分野で研究しています。職歴的には、2010年に生命科学系で博士を取って、博士研究員(ポスドク)4年(生物系)→助教4年(情報系)→准教授4年(情報系)という遍歴です。

ちなみに学生時代の師匠は物理が専門で、働き始めたあとも情報工学が専門の上司はいなかった・いないので、UoPeopleに入るまで情報系の知識を先生について習ったことはなく、完全に独学でした。

ちなみに高校1年の時に唐突に思い立って文系から理系に転向したため、理系を博士まで出ていながら理数系(特に数学と物理)に極端に弱いという弱点があります。理系を25年やったけどほんとに才能がない。その分、英語は相対的に強いです。UoPeople入学時点で、TOEIC990点英検1級、TOEFL102点でした。

  • むしろ英語しか強くないので、困ったら英語でごまかしたいといつも思っていたり。でも英語も(上記のTOEFLスコアが示す通り)本当にできる人には遠く及ばないのですが。
  • なぜか計算機科学にはそこまで弱くないので何とか生き残っている状態。でもUoPeople通いにより、計算機科学でも数学っぽい所はやはり苦手であることを思い知った。あとプログラミングも嫌いではないけどそんなに得意ではない。

何で学部通ってるのか

前に大学通いを報告する記事でも書きましたが、情報系の大学教員なのに情報系の大学教育を受けていないことがハンデだからです。

研究するだけなら独学で必要なところだけ学べばいいのですが、学生を教育する(講義をするだけでなく研究指導をする)上で、学生が知識として何を知っていて何を知らないか、情報系としてどういう物の考え方をしているか、学部教育でどんな価値観がインストールされるのかを経験していないのは不利です。

ちなみにこれは全くの私見なので長くは語りませんが、大学院の研究指導においては時に、明確に言語化されない「背中で語る」部分が重要になったりします。ただ、それができるのは教員と学生の出身分野が同じだからではないかと感じることがそこそこあります。上に書いた通り、自分の先生は自分と専門が違ったので、たまに温度差を感じる事がありましたし。

  • ポスドクまでは生物とか物理とか化学とかの上司&学生と混ざって研究していたので問題にならなかったのが、助教で情報系に意図せず移って学生が全員情報系だったあたりから色々難しくなってきた感。ポスドクなら自分の研究だけしてればいいけど、助教だと教育の義務も発生するし。

何でUoPeopleなのか

UoPeopleを選んだ理由はいくつかあるので、これを機にちょっと並べてみます。

通学がないから。もともと修士の頃(20代半ば)から、40歳になったら大学に行き直したかったこともあって、放送大学も検討したことがあるのですが、当時(コロナ前)は試験を受けるためにセンターに行かないといけないっぽかったので断念しました。今はWebでも試験が受けられるようです。

英語だから。強みである英語力を維持する&あわよくば伸ばすために、もともと英語学習にそれなりに時間と労力をかけていたこともあり、大学通いでその時間が減ってしまうと英語が錆びてしまうので、使用言語が英語なのは自分にとってはプラスでした。また、現在の勤め先で過去教えていた・現在教えている内容(専門分野と微塵も関係なく履修もしたことない理工系科目なので、担当が決まってから一から勉強した)は英語の教科書で独習したこともあり、自分が英語で学部の理工系科目を学習できること、それにより英語力が伸びることがあらかじめわかっていたのもあります。

  • ちなみに担当科目を英語で勉強した理由は、あまりにも理数系が苦手過ぎて&内容が専門と本当にまったく関係なさ過ぎて、日本語の教科書だと拒否反応が出たから。英語の教科書だと「これは英語!自分はただ英語を勉強しているだけ!」って思いこめて大体何とかなる。強みに寄せるのは大事。

学費が安いから。当たり前ですが博士まで持っていて大学で教えている立場なので、今更学士を取っても金銭的には(少なくとも短期的・直接的には)何も得るものはありません。研究業績をあげたならまだしも、資格取ったら昇給とかないし。なので、(2022年は急速な円安でやばかったですが、それでもまだ普通に通うよりは)安く上がるというのは重要です。あと大学教員の給料はそんなに高くない。

卒業研究がないから。卒研指導を仕事としてやっている身としては、自分でちょこっと卒研とかそれに類する課題をやるくらいなら、普通に数年研究して修士とか博士とか欲しいです。それなら本業の研究業績にもなるし…。その点で、講義を受けて単位を取るだけで卒業できるのは魅力でした。

3年間の振り返り

ここから各年ごとの振り返りです。前置き通り、大学教員だからどうとかとか、アカデミックに見てどうだとか、専門がどうとかいうような話は書き始めると長いのでそんなに含んでいません。全体的に、コロナ禍でオンライン化したおかけで出張が減り時間が出来て助かった→アフターコロナが始まったので早期卒業目指す&とてもスケジュール的に厳しくなった、というような感じの流れです。

2020年

2020年の1月末から最初の学期(Term)が始まりました。この時はまだコロナは中国の一部で流行っているという程度で、2月には普通に国際学会に行って、移動中や会場でこっそりUoPeopleの課題をやったりしていました。

最初に入学者全員が履修するOnline Education Strategiesと、最初の専門科目であるProgramming Fundamentalを履修して、2科目で特に問題ないと感じたのと、履修計画的にも計算が簡単なので常に1Termに2科目で進むことにしました。2科目だと6単位なので、全120単位を取るには20Term(1年は5Termなので4年)かかる計算です。

  • 他のUoPeopleの社会人学生の方のブログなどを見ると、結構フレキシブルに休学したり3科目とったりと履修科目数を変えているみたいなのだけど、自分にはちょっと無理かなと。忙しくなるタイミングがあまり読めないのと、一度休学すると二度と戻って来れない気がしたので。

その後、3月末にはコロナ禍が本格的に始まり、ありとあらゆることがオンライン化して本業の大学(当然オンキャンパス前提)の方は大変な混乱に陥りました。しかし、幸いにも自分が担当する講義はおおむね後期開講で、前期は6月に大学院講義が数回ある程度だったので、自分への影響は最小限でした。むしろ会議が全部オンラインになり出張も無くなったので、環境的には自宅にいる時間が伸びたうえ、時間的にはむしろ余裕がありました(前期に講義を担当していた、同じ研究室の他の教員は本当に大変そうでした)。

もちろん先は読めないので不安はありましたし、研究室の運営は今まで通りにはいかないので非常に大変でしたが、もともと情報系で大して大学に来ない学生も多い(それでも普通に研究できている)研究室だったのと、たまたま優秀なポスドク&博士学生のペアが在籍していて強力にサポートしてくれたのでなんとかなりました。

本業の大学とは対照的に、UoPeopleは元々完全オンラインだったので何も変わりませんでした。さすが。むしろ、UoPeopleのSelf-Quizの仕組みや、Dicussion AssignmentやLearning Journalの設問は、自分の本業でオンライン講義をやる上で大いに参考になりました。4択の設問、成績に入らないような小テストでも十分学生の理解度を試すことが出来る、英文の250 wordsで大体どのくらいのことが書ける、Learning JournalでReflectiveなあれこれを書かせることで得られる教育効果など、オンライン大学の学生として身をもって体験したことを教員として適切に実施できたので、UoPeopleやってて本当に良かったと一番最初に思った出来事でした。

  • このころは「大学教員は全員UoPeople経験すると良いのに」と思っていた気が。学生相手に反応見ながら色々試すのもいいけど、実際に習う側になるのは割と手っ取り早いと思う。

2020年8月頃にはこんなブックマーク&記事を書いてました。

働きながら大学に行く意味

専攻によるけど30過ぎならまだ大丈夫。必要なら修士も行って年齢不問の所へ/自分は来年40歳の大学准教授だけど今年初めに学部に入り直して2つ目の専門を身に着けつつあるよ。うるさい外野は無視して一緒に頑張ろう。

2020/08/11 12:32

b.hatena.ne.jp

mbr.hatenadiary.jp

このころの目下の悩みは「本当に続けられるのか」「博士まで出て大学で教員をやっているのにまた学部に行くなんて、おかしなことをしているのではないか」という感じでした。

  • でも自分がやっていることが間違ってるとは思わない、ので精神的に苦しい。
  • 上の記事で取り上げたブックマークコメントは書き手への励ましであるとともに、自分自身を鼓舞している・自分自身の退路を断とうとした部分もある。特に「一緒に頑張ろう」の部分は、このあと何度も思い出しては自分を励ますのに使われた。

当時の科目の感想としては、まだあまり慣れていない中で教養科目のDiscussion assignmentやWritten assignmentが難しいときがあってつらかったです。まあ、入学して3Term目でIntroduction to Philosophy(哲学入門)とか取るのがいけないんですけど。2週目か3週目で形而上学とか出てきて、さすがに英語では無理かもと思ったりしてました。無理やり乗り越えましたが。

  • 形而上学の週のDiscussion assignmentでは、異なる次元への憧憬という観点から日本の異世界転生ネタを取り上げたはず。そしたらIsekaiジャンル好きに食いつかれて、そこで初めて海外ではIsekaiと呼ばれていることに気づいた(調べたらWikipediaまであった)

専門科目はProgramming 1のJavaが厳しかった思い出があります。Javaは20年くらい前に独学しようとして挫折した(コンパイラ言語が全般的に苦手)ことがあるので、このUoPeopleの履修でなんとか挫折を乗り越えた格好です。

また、UoPeopleの1Termは1週ごとに課題が出てそれを8週間こなしていく(全部で約70点分)+9週目に期末試験(約30点分)があるという構成なのですが、その課題締切が日本時間だと木曜の14時(Learning Journalと呼ばれる課題だけは金曜の14時)なので、ここから3年間は基本的に毎週水曜の夜から木曜朝、そして金曜の朝は課題で死んでいる状態になっていました。

  • 大学教員は裁量労働制なので木曜の朝に課題をやってても勤務上問題はないものの、まあやっぱりできれば9時ー18時くらいはできるかぎり本業の方に対応したいよね、とか。そもそも事務からのメールがその時間に来るし、会議も入るし。研究室の学生は基本的に夜型なのでむしろ12時ー21時とかで対応すればよいのだけど…。
  • ちなみに、本業での自分の担当科目は後期の木曜と金曜に集中しているため、本業の講義の準備によって後期になると死が加速する状態に。たぶんこの無理が2022年辺りに来たのではないか。

2021年

この年は6月に途中経過の記事を書いていました。

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やはりまだ内面の声と戦っている感じです。特にこの頃は、徐々にUoPeopleの科目の負荷が増えていているなかで、本業が遅々として進まなかった(研究業績が振るわなかった)こともあり、自分のやっていることが本当に正しいのか、その記事に書いた通り「なんで自分こんなことやってるんだろうか、馬鹿じゃないのか、学部に通ってる時間で研究して本業で業績出せよ」という思考にあらがうのが大変でした。

また、この時はまだ1度目の大学からの単位移行はせず、120単位をUoPeopleで取得して4年で卒業するつもりだったのですが、7月くらいから本格的にワクチンが出回り始めたのとアフターコロナの話題が出てきたため、唐突に「もしかしてもうすぐコロナ禍が終わるのではないか」「また出張などが増えるのではないか」と気づき、履修計画を真面目に練りなおすことにしました。

特に、期末試験(Final Exam)のときに試験監督および静穏な環境を必要とする試験の科目(Proctored courses)は、仮にオンラインの試験監督サービス(ProctorU)を使っても試験の場所を選ぶため、どこでも受けられるというわけではないのもポイントでした。適した場所を確保するため、突発的な出張などが発生しないコロナ禍の間に取ってしまえると良いのですが、ここで一つ厄介なことが発生します。UoPeopleの履修登録は総単位数で順番が決められており、単位数が少ないと履修登録が後回しになります(厳密には総単位数で学年が決まり、学年が上の順に履修登録が可能になる感じです)。そのため、自分の番が来た時にはすでに科目の枠が埋まっているということがあり、上の学年のProctoredの科目を思ったように取れない事態が起こり得ます。

  • あとは単純に、コロナ禍後に本業が忙しくなりすぎてUoPeopleを続けられない可能性もあるように思ったり。基本的に職位が上がれば上がるほど、そしてその職位についている時間が長ければ長いほど、学内のより厄介な仕事が回ってくる可能性が高まるため。

そういうわけで、自分は教養科目も好きなので120単位取るのは構わなかったのですが、単位移行で総単位数を増やして履修登録を有利にしつつ、早めに卒業することを考え始めました。すでに取った単位を含めて色々計算した結果、30単位(教養科目に9単位充当+選択科目に21単位充当)を出身大学から移し、必修科目とは別に選択科目を3科目9単位ほど取ることでUoPeopleで90単位を揃え、合計120単位にすることにしました。1Term2科目6単位ペースなので、90単位取るのには3年かかります。ここで4年計画が3年に変更されました。

  • そのため、2021年6月のTermまでは専門科目1科目+教養1科目という体制で履修してきたものを、9月から専門2科目に切り替えた。箸休め的科目がなくなったので苦しくなった上、専門科目が徐々に難しくなってきて、徐々に履修が辛くなってきた時期。

実際に単位移行をしたのは12月末で、その時の詳細はこっちの記事にあります。

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また、実際に履修していた時の感覚としては、このころから徐々に英語を書く速度が速くなっていって、Learning Journalなら標準的な最低文字数である400 wordsを1時間以内で書けるようになっていきます(その後、30分くらいまで短縮可能になりました)。それでもまだまだ遅いんですが、いろいろやった課題や教科書を見ながら文字通り振り返りを書いているので、これ以上は速くならない印象です。

  • Discussion assignmentは調べものがあるので、最低文字数の250 wordsでも2時間くらいかかる。Programming assignmentやWritten assignmentなどは物によるが、大体4~5時間見ておけばどんなに難しい課題も概ね終えられる印象(実際は2~3時間で終わることも多い)。

履修していた科目の内容としては、徐々に教科書を熟読する必要がある科目が増えてきた感じでした。履修計画を変えて専門科目が増やしたのと、学年があがって科目そのものの専門性が上がってきたので当然なのですが、適当にWebで検索しても出てこないような概念が説明されたり、日本語の訳がないような用語があったりして、教科書や与えられたReading materialを読んでちゃんと理解できないと課題がこなせないことがありました。

  • この年の後半は、2020年に出てきた研究室の優秀ペアの二人を主な話し相手として有効活用していたように思う。1年目は自分で何とかなっていたものが、2年目で専門科目になったので先輩方の力を借りるようになった格好。特にComparative programming languagesでは、他大学で情報系の学位を取ったポスドクPrologを知っていて、うちの大学の学生は知らなかったりと、カリキュラムの違いを感じたりもした。
  • 総じて、情報系出身の学生・ポスドクはやっぱり情報系だなあ!と思うこと然り。1年目は基本的な事だったので自分も知っていることが多かったのだけど、2年目になって自分が教科書を読み課題をやって初めて知ったことを口にすると、ちゃんと知っていて「ああ、あれね」と返してくるのが本当にすごかった。具体的にはPartial applicationとか。

2022年

今年です。昨年の予想通り、3月くらいからアフターコロナで出張が増え始め、UoPeople抜きにしても全体的にスケジュールが破綻していきます。去年のうちに試験監督ありの専門科目を集中的に取りはじめておいて良かったと思いました。

  • 最後のProctored examは6月初めで、このあと本格的に出張ラッシュが始まったのでぎりぎりセーフだった。
  • 結局この年は国内出張10回、海外出張10日間x2回だった。7月から9月は家にいない時間の方が長かったような気すらする。

スケジュールが厳しくなっていくと、だんだん出張に伴う移動が早朝や夜(勤務時間外・大体UoPeopleの課題をやっている時間)に押しやられていくこともあり、この年は移動の新幹線の車内や宿泊先のホテルでUoPeopleの課題をやるのが常態化していました。

  • 下手をするとホテルをチェックアウトした後、ロビーで課題をちょっと片付けるという状態に。へんなところに居座ってごめんなさい…でも課題には安定したインターネット環境と机と椅子が必要なんです…。
  • スケジュールの都合上、8月中旬ごろには出張先のアメリカのホテルで期末試験2科目分を受ける羽目に(ただし試験監督無しの試験)。時差がいつもと違うのと、ホテルのインターネット環境が非常に不安だったが何とかなった。

また、10月中旬にこれまでの無理がたたったのか自分で救急車を呼んで入院しました(家族と離れて単身で暮らしているため、自分で呼ぶしかなかったのです…)。急性胆嚢炎とのことで、激しい腹痛と吐き気を伴う病気でした。

  • 症状が出たのが金曜日の早朝だったので、午前中に入っていた(自分がいなくても良い)ミーティングをキャンセルし、Learning Journal2科目分を文字通り激痛の中で歯を食いしばりながら仕上げて提出。文字数を稼ぐために腹痛の言い訳もちょっと書いた。その後、オンラインで予定されていた本業の業務をちょっとやって、それから救急車を呼んだ。
    • 怒られるのを覚悟で言うと、Learning Journalとオンライン業務のために無理をして救急車を呼ぶのが遅れたのは事実。オンライン業務の方は30分だけだったし、すぐに代わってもらえそうな人がいなかったのもあるけど…。
  • その時取っていた科目の片方がCommunications and Networkingで、この科目のLearning Journalは珍しく書く分量が非常に少なくて済むのも救いだった。たぶん50とか100ワードくらい(500ではない)。

その後、しばらく入院療養して症状が緩和する&退院を待ちつつ、いつも出張で使っているノートPCを研究室の秘書さんに持ってきてもらって、ぼちぼちUoPeopleの課題を病室からこなしていた(体調が万全でないので捗らないが、なんとか水曜の夜までにある程度その週の課題を終わらせていた)のですが、その次の木曜日の朝に症状が再発して急に手術することになりました。

  • 手術の実施に伴い、あれこれ説明を受けたり診察を受けたり職場に連絡したり遠方の家族に連絡したり。ただ、痛み止めを打たれればとりあえず活動できるので、いろいろなことが片付いた昼12時ごろから、手術の順番を待ってる間に終わっていない課題をなんとか頑張り始める。諦めの悪さは重要。
  • 結局、締切の時間ギリギリまでArtificial Intelligenceという科目のProgramming assignmentをやっていたら、急に手術室に呼ばれたのがハイライト。「えっ、順番待ちで3時か4時って言ってたのに…まだ1時45分…締切まであと10分あるのに…マルコフ過程ちゃんと実装できてない…」。
  • 来てくれた看護婦さんに「あっすみませんちょっと待ってもらえませんか」とか言って慌てて課題をサブミットし、おもむろに手術着に着替えさせてもらう。人生初の手術だったけども、頭の中は直前までやっていたProgramming assignmentの事でいっぱい。

その後手術を受けて「金曜14時締切のLearning Journalは出せるかな、どうかな…まあLearning Journalそんなに配点高くないし、最悪、1回くらい出せなくても…」と思ってたら、普通に金曜の朝方には各種機器を取り外し、昼には普通にご飯を食べていたので、普通にLearning Journalを2科目分書きました。その前の週に激痛の中で書いていたのに比べたら、手術後の痛みはあっても痛み止めを貰えている分、楽勝でした。

  • この間、本業の方は(メール返信などはせっせとやっていたし、オンラインの会議やセミナーにも普通に出てはいたけども)いろいろ待ってもらっていたことも多かったので、「学生として課題をこなす方が、教員として仕事をこなすより時間的に融通が効かずつらい」という事実を目の当たりにした。まあ講義とか教員の都合で休講に出来るし。自分は講義形態の関係で結局休講にはしなかったけども…。

またこの一件から、オンライン大学は入院しても続けられるという素晴らしい知見を得ました(当然病気によりますが…あと入院環境…)。

また、精神的な面としては、この年の5月か6月頃になって、専門科目を重点的に取ってきたせいなのか、3年目になったからなのか、これまで学んだことが唐突に実を結び始めます。具体的に知識がどうというよりも、情報系としての考え方がはっきり身についてきた感じでした。

  • おかげでこの年の前期の大学院講義は情報系のカラーを強めることができた(情報系の学生に伝わる物の言い方ができた)し、本業の研究活動や卒研指導でもかなり情報系としての物の見方が出来るようになって、出来ることが広がった。まだ実際の研究として結実するところまでは行っていないのが残念だけども、おそらく来年か再来年にはちゃんと情報系として論文を出せるのではないかと期待している(し、正直その瞬間をすごく楽しみにしている)
  • これに関連して、確か7月~9月頃、やはり唐突に「Computer Scienceを修めないで死ねるものか」という感覚に襲われた。この感覚は博士課程の時に博士取得に対して感じたものに近く、この感覚が来た時に「勝った、これで(=この感覚があれば)卒業できる」という思いが湧いた。10月に入院しても気力でカバーできたのにはこの感覚があったのも大きい。
  • なので、今年はいわゆる内面の声に悩まされることはなかった。出張や入院など物理的なスケジュールが厳しい中で、精神的にははっきりと自信を持てて楽だったのは救いだった。

まとめ

というわけで3年間をざっくりと振り返りましたが、基本的に学年が上がると内容が難しくなる&ネットで手に入る資料が減ってくるのでつらい、という印象です。その一方で、予備知識がある専門科目に当たるとめちゃくちゃ簡単だったりして、自分の知識のムラを思い知らされます。

  • 今取っているInformation RetrievalとかComputer Graphicsとか、半分くらい知っている内容なのでいきなりSelf-Quizとかやっても意外といけたりする。

また、2022年のあれこれにあるように、やっぱり不測の事態が起こると毎週課題があるUoPeopleは厳しいです。自分は気合と根性と現代医学の力で乗り切りましたが、どうにもならない場合もあると思います。ただUoPeopleの場合、一つの学期を構成する9週のうち最初の4週目までならWithdrawという手が使えるので、うまく活用するのがよいのかもしれません。

  • でも自分の場合、入院したのが確か7週目の始めだったので、やはり最後は気合と根性に頼る羽目に…。

何はともあれ、今のTermがまだあと2週間(厳密には2週分の課題+期末試験)あるので、3年間の学生生活がここできちんと締めくくれるよう、頑張ります。