はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
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いつも年の瀬に更新していたような記憶があるので更新

この時期は毎年、大学時代の同期の忘年会の様子を記録していた気がしたのですが、昨年の日記を見たら書いてなかったのであれっと思ったのでした。

  • メールを見る限り、開催しなかったわけではないらしい。何も覚えていないが。
    • 多分自分がアメリカ滞在のために2017をスキップしたので、書こうという気がなくなったのだと思われる。
    • あともう一つ理由らしきものがあるのだけど(2016年の会の時のこと)、それは別に表にする必要もないので記載しない。もっと言えば、自分が忘れないから書く必要がない。

そんなわけで記録を一度中断してしまったのでもう頑張って書く必要もない&書こうという気もないので、非常に個人的な視点からの寝言を書き残しておこうと思います。

  • 結局、みんな日常(or生活)に飲み込まれていく道を選ぶのだなあ、と。人生のどのタイミングでそっちに向かうかは個人差があるのだけど(最初から日常&生活系で行っていた同期もいたけど)、とうとう自分以外のみんな、そっちに行ってしまったなあ、という気分になった(※あくまでも個人の感想です)。
  • 日常&生活に飲み込まれると目の前の問題がとても大きく見えて、それが大変だ大変だと力説したくなるけど、実はどうでもいいことだよね、とか。
    • 会の最中に自分が言った通り、ほとんどの人間の人生の出来事は「自分の周りで人が死んだり生まれたり、仕事が(せいぜい似たような業種・職種の、ただ会社が違うだけという程度で)変わったり、住む場所が(地球上の、せいぜい先進国の中で)変わったり、付き合う人間(含む配偶者やその親戚)が増えたり減ったり、健康を害したり(事故にあう場合を含む)」という程度のバリエーションしかないので、それを「その程度」と引いて捉えないと、同じようなことでずっと同じように大騒ぎしているだけだよな、と。
    • 個人的には、そこから大幅に外れるような生き方を目指したいし目指しているし、今の大学教員という職は業務そのものが世俗からやや隔離されているという点で、比較的目指しやすい。*1
      • みんなが家庭のことやら仕事の雑務やらの話題を展開する横で、自分は大学の微分積分学を英語で学ぶ話をしますが何か?なにせこれが自分の本務で、いま一番面白いことなので。そして多分、上に書いた「人生の出来事」よりも語っていてずっと楽しい。
    • 最近思っていたのだけど&少し話題がずれるのだけど、意外とみんな学ぶことが好きでないんだな、とか。これは同期だけでなく、大学の同僚や学生を見ていても思う。もちろん多くの学生さんは学ぶことに非常に意欲的で、大学の同僚も当然研究者なので学ばないわけがなく、今回会った同期も(同じ大学を修士まで出ているので)もちろん学習欲が高いのだけど、よくよく観察すると、ああ、この人は底なしだ、とか、ああ、この人は自分の興味の外側には絶対出ていかないなとか、ああ、この人は今必要なことしか学ばないんだとか、いろいろある。いや、自分も本当に人のことは言えないのだけど(上に書いた大学数学も必要なので始めたのだし)。でも、自分は(あくまで理想だけども)無限に知りたいし無限に学習したいし無限に記憶したい。もっと言えば、すべてを知り尽くし、すべてに対してベストな解決策を考えて、そしてできれば一切何もしない、という態度を取りたい。最後の何もしないが全て。そしてあまりこういう態度の人に会わない。いや、ゼロではないのだけど。

微妙にまとまりのない感じになりましたが、来年は2020年、大学入学からちょうど20年&博士号取得からちょうど10年の節目の年なので、上に書いた「日常&生活に飲み込まれない」「無限に知りたい」を少しでも進められるよう何かしたいものです。

  • 先程ちょっとアイデアを得たのだけど、この程度でなくもっといろいろなことがしたい。本業に差し支えない程度に(本当は本業にうまくリンクして、本業が伸びていけばもっと良いのだけども)。


というわけで(ry

*1:あと、自分の生まれ育ちもやや一般的でないので、その点でも目指しやすい。特に今年は6月末に上記に関することで、普通の人が経験しない少し変わったタイプの事象が発生したのだけど、それもこの生まれ育ちがあってこそだった。