Jahrzehnt
一応10周年記念&近況報告
さて、ここを更新するのがあまりに久しぶりなので、普段どういう切り出しでエントリを始めてたのか完全に忘れてますが、タイトルにもある通りダイアリー開設10周年を記念して久しぶりに更新します。
- 2004年10月24日が最初の記事。当時修士1年生。
- はてな記法の変更のせいか、昔の記事は正しく表示されてない部分が多々あったり。記法の使われ方の変化のせいか、広告の位置があまりにひどい。
- まあ、でも、10周年とは言えここ数年あんまり更新してなかったよなーと思いながら2013年の日記見たら、意外と更新しててびっくりした。
- 2014年も一応最初の数か月は更新しようと思っていたんだけども、タイミングを見計らっているうちにこんなことに。
で、今年は実にいろいろなことがあってですね、正直、人生のどこで区切って書くべきなのかよくわからなかったし、実は今でもよくわからないんですが、もうしょうがないので諦めてこのタイミングで書くことにします。
今現在、自分は物理的には仙台にいて、職位としては助教でいます。
- 問われる前に書いておくと任期付きだから!任期6年だから!永遠じゃないから!ノット・エターナルだから!*3
- 1文目の、諦めて、を強調したい気分にかられるが抑えてみるなど。強調したいのには一つ以上の理由があるが、ここには具体的なことはまったくさっぱり記さない。
- そしてこの物理的な場所と職位に、専門分野を加えると容易に個人特定できるのが嫌だ。*7
- 場所については関東とか関西とかみたいに地域名でぼかそうかとも思ったけれど、かえって連想が働く気がするので都市名の方を出してみる。
- もちろん、それこそ2004年の当初から個人特定できる要素は垂れ流しまくりだったのだけど、学生とかポスドクとか数が多いから紛れられるポジションから、わりと目立つ位置に来てしまったのがちょっと。
ちなみに、今回の仙台への異動については昨年の12月末の時点ですでに話が出ていて、実は前回の日記にもこっそり書かれていたりします。
- 「仕事納めの日に個人的に(ryな件が来た」のがそれ。全く予期していなかった以上、「うひょへぴゅー?!」というリアクションは今見ても非常に正しい記述だと思う*8。
- この辺の採用経緯について一つだけ身勝手に言いたいことを書いておくと、非公募だろうと公募の時に出すような書類を一式提出させるのは非常に重要。今後の研究計画やら教育の抱負やらを書いて提出する過程で採用される側も将来のイメージを明確に持てるようになるし、採用する側に自分が何を考えているのか伝えることが出来るから。*9
- 前回の日記に出てくる同期忘年会でもこの話題はすでに出していて、その時の他の人のリアクションも微妙に面白かった。
そんなわけで帰国してあんまり経ってないのにまだ異動したので、引っ越し貧乏極まりないです。
- 赴任費用は出たけれど敷金礼金費用は出ないわけで…。あとそもそも赴任費用も足りなかった。*12
- そして家の契約の都合上、大した額ではないけれど退去の際に違約金を取られたり。まさか2年も住まないなんて自分でも思わなかったんだよ…!(号泣)
- あとは異動続きでここ数年間の所属があれなことに。そして投稿中だった論文の所属欄についてるcurrent addressを書きかえる羽目になる。
ついでなので、ここに至るまでの2014年の流れ、上に書いた「今年は実にいろいろなことがあってですね」の内訳も書いておきます。このタイミングで書かないと12月に書くのがすごく大変なはずなので…。
- 1月
- 初旬、国際学会に行く。モンタナ雪すごい。英語忘れてすぎててやばい。
- 下旬、アウェーなところでバイオインフォについて語る。人生で初めてのアウェー講演でバイオインフォ力(りょく)の足りなさを痛感する。
- 2月
- 中旬、雪が降りまくるが、モンタナで大雪耐性を獲得した自分に隙はなかった(マジ)。
- 3月
- 2月に引き続き、ひどく漠然としたタイトルの総説を書いていたはず。人生で初めてコレスポにしてもらう。とは言え、アメリカの時のボスとのco-correspondingだし、そもそも総説論文だけど。
- 4月
- 11日金曜日、正式に仙台の異動が決定する。
- 14日月曜日、ラボの助教さんが文字通り倒れる。病名は脳出血で手術して命に別条はないが麻酔が覚めたあと意識が戻るか…というのが第一報。その後、意識は戻ったが麻痺が…言葉が…とかいろいろと衝撃的な展開が続く。研究室内の実務と学生向け授業まわりを掌握していたハイパー助教氏を失ったラボは非常事態に*13。個人的には、これが今後半年間続く切迫した状況の始まり。
- 下旬、ラボにたくさんいるポスドクの中で、自分ともう一人だけが非常勤講師を務められるという事実が発覚し*14、助教氏の代わりに一部授業を持つことに。人生初の大学の授業。助教になる直前に助教の代わりとか、わりと洒落にならない。
- 5月
- 上旬、なんでか分からないがラボとして助教氏を早めに見舞うよう教授を押すような発言をしていたはず。助教氏の代わりに名乗りを上げた関係か、この時期は教授に、これよりあと7月までは准教授にわりと話しかけられる機会が増えた気がする。
- 中旬、とある一般向けイベントを助教氏の代わりにこなす。こういうイベントこなすのも人生初。
- 16日金曜日、倒れてから初めて助教氏を見舞う。ラボの教授、准教授、そして他のポスドクさんら2名と一緒に病院まで出かけていった。しかし病人を見舞いに行ったはずが何故か同僚ポスドク氏とおもしろトークを繰り広げる羽目に。そして准教授にラボの中の実務的な話を振られて、ちゃんと答えられている助教氏の回復ぶりが半端ない。
- 下旬、年に2回しか回ってこない進捗報告とか、論文のリバイスとか、なんかいろいろあるんだけども、このときすでに色々すり減っていたので出来はきわめて悲惨。
- 6月
- 上旬、確か論文のリバイスをしていたはず。あと助教氏の代わりの授業とか。
- 中旬、9月の学会の予稿締切だがもうなんかダメダメすぎてどうにもならない。でも、同じネタで何度も発表するのは絶対嫌なので何とか新しいネタで書く。
- 下旬、海外からお客さんを呼んで某宴会もどきやら某ワークショップやらをやる。しかし海外からのお客さんのホストって大変だ、主に旅費とかのあれこれで。ラボの秘書さんに助けてもらわなかったら絶対無理だった。ちなみに、このときオーガナイザー経験の全くない自分を精神的にサポートしてくれるはずだったもう一人のオーガナイザーが4月に倒れた助教氏という構図になっていてもうね(ry。結局、学生時代の恩師とか、一度は断られたもののむりやり食い下がって召喚した*16某とある方とか、最近帰国した某とある方とかに大いに助けてもらった。その節は大変お世話になりました、本当に助かりました。
- ちなみにこのイベントの前日がとある書き物の締切で、これがまた思い出すだけで発狂したい。
- 7月
- ようやくすべてが終わったので異動の準備をし始める。そのかたわらで論文むりやり書いてた&学生さんにPerlの指導。
- 初旬、名古屋訪問。この時はタスク的にもそれ以外でも色々と楽しかった。*18
- 上旬、そういえば某研究会の幹事やれとか言われてたね!あれ秋だっけ?もう2か月ないじゃんってなわけで急いで準備する。とりあえず会場に物理的に近い人に宿泊周りを丸投げだ!ついでにラボの備品も使わせてもらってしまえ!
- 下旬、助教氏が退院してラボに姿を現す。感動的だ!異動前でよかった!っていうか何でこのタイミングで自分だけ異動なの?あああああー!
- ほぼ末日、異動直前になって、6月に書いたものの件でお盆に東京に召喚されることが判明する。
- 8月
- 1日、仙台に異動。挨拶回りとかいう謎の活動の後、とある学会の大会の運営委員会に放り込まれる。自分ここの学会の会員じゃないのに…なぜ…。
- 中旬、東京に召喚されてなんか喋るイベント。これしんどい、しんどいよ。ついでにこの準備のために前職場に普通に出勤したりする(現職場的にはお盆休み)。ちなみにこの一連のイベントは最終的に不発に終わった。
- 下旬、一応自分が幹事ということになっている某内輪研究会が開かれる。もうね、なんで異動直後なの?とりあえず、去年の幹事であり今年の幹事に自分を任命してきた現ボスに旅費を要求することで理不尽さを軽減する。
- 9月
- 上旬、あまりにいろいろなことが続きすぎたのと、急激な環境変化で魂が抜けつつある。自覚があるのでなんとか回復に勤しむものの、またもやこのタイミングで論文の再リバイス締切が接近!ちょっとは空気読めよ!
- 独りでレビューアーにキレる返事を書く展開再び。
- それと別に、10月から受け持つ授業がもうひとつあることが判明する。思わず「はい」という返事の代わりに、目上の人相手ながら「はあ」とか口走る。いや、このころの自分の返事は常に「はあ」だった。もはや余裕が全く無い。
- 並行して、学会運営タスクが微妙に振ったり振ってこなかったり。もうね、運営に途中参加だと勝手が全然わからないよ?
- 中旬、あまりに魂抜けっぱなので東京に一時帰還する。馴染みの場所で落ち着いて考えたら、この人もう精神的に壊れてるよね?なる結論に達する。
- 下旬、あわや演題取消かというぎりぎりのところから、データを何とか出してむりやり某学会に参加する。この時点でほとんど精神的に死にかけだが、学会で色々な人にあって&発表して相当生き返る。ここで発表してなかったら危なかった。
- 上旬、あまりにいろいろなことが続きすぎたのと、急激な環境変化で魂が抜けつつある。自覚があるのでなんとか回復に勤しむものの、またもやこのタイミングで論文の再リバイス締切が接近!ちょっとは空気読めよ!
- 10月
- 初旬、某学会が開催される。なんで2週連続で学会なの?しかもこっちは運営。もう疲れた、けど、久しぶりに会う人々とだべるのは楽しい。そしてだべりながら学会の目玉企画を華麗にスルーする*19。あの時間、身勝手なだべりに付き合ってくれて(&前々日の懇親会会場で4月以降の忙殺振りについての愚痴を聞いてくれて)ありがとう同期よ!
- 上旬、授業が始まる。しかし自分の専門とあまりにもかけ離れすぎていていろいろ不可能すぎる。とりあえず日本語の本やウェブサイトで読んで分からないものは、英語の教科書やウィキペディアで読むと分かったりすることが判明。どうせなら数式と日本語で書く代わりに、同じものを図と英語で書いといてほしい。
- 中旬、東京から正式に引っ越す。実は8月からこの日までは仮住まい暮らしだった。
- 中旬〜下旬、色々な意味で悔し泣きしつつ科研費の書類を書く。某特別研究員の申請書と似ているようで意外と似てないので苦戦する。
- 11月
結論:
6か月間、疲れた。6年くらい休みたい(そして任期切れる)。
- まあ6年は無理にしても、半年か1年は休みたいなあというのが本音。まあ休むというのが何を指すのか難しいけれど、魂がすり減るような活動がなければいいな、と。
- 魂がすり減る活動:研究・教育を除く活動全部、という定義で良い気がする。何かの会を開催とか馴染みのない会に参加とかも意外と消耗するので。それでも研究会ならまだ許せるけれど、そうじゃない会とか(ry
- いやなんか、この下の内容ともわずかに関係するけれど、大学院って研究なり教育するところだよね?そうじゃないなら大学院なんて居たくないんだけど?とか言いたくなるような状況がここだとわりと(ry
そんなわけで気が付いたら今年のまとめでおそろしく長いエントリになってしまってますが…
一応、今回は10周年記念でもあるので、エントリの最後は10年前の一番最初の記事から、今現在に深く関係する部分を引用しつつコメントを残すことで締めようと思います。
- 本当に偶然、この文言が最初の記事に書かれていた。この出来事自体は覚えていたのだけれど、まさか最初の記事に書かれているとは思わなかった。
http://d.hatena.ne.jp/mbr/20041024
- 引き剥がしたショックで死んでしまう、粘着シートとねずみの関係。
- これを大学院と自分の関係に当てはめてみると、奇妙なほど自分がねずみ臭いことに気付く。
この、自分を大学院から引きはがしたら死ぬんだろうなぁ、という修士1年の時の漠然とした感覚は結局その後も消えることなく、むしろ年月とともに強まり支配的になって自分を突き動かし、そうして10年経った今も当時と身分は違えど大学院に所属しています。
ああすごい!まだ死んでない!
- 一部の人相手にはたまに喋っている「アカデミックから脱落したら死ぬぜ!」という発言の原点は多分ここにある、かもしれない。要はショック死。
あと、忘れずに書いておくと今日のタイトルはドイツ語です。
これは、decadeを他のエントリで使ってしまったので、英語が駄目ならドイツ語、という安直な理由によります。
- 一応他の候補はeternityで、もちろんこれはエターナル助教ネタから取った単語。でもここで使うのはまだ惜しい単語のような気がするので今回はドイツ語へ。
というわけで(ry
*1:かなり更新をさぼっていたと個人的に思っていた2012年も一応、2月、5月、12月に更新していた
*3:某助教氏がかつて万年助教のことを「エターナル・アシスタント・プロフェッサー」と訳したことによる。しかしこれだと万年というか永遠助教だし、どちらかというと悠久の時を統べる助教みたいな感じだ(悠久の時を統べているのに職位が助教なのか…)
*4:驚きと警戒の混ざった独特の表情。この人がこんな顔するの初めて見た!みたいなことが多発
*5:グラント雇いだとグラントが切れるところで任期が終わるので、任期はだいたい最大X年という書き方になる
*6:っていうか最初の二つが満たされない職とかどうなのって感じだが実は前職は(ry いや本当、アメリカ時代も全然健康診断受けれてなかったんで実に5年ぶりの健康診断でしたよ全く。相当にめちゃくちゃしてたわりに異常が少なかった(ただし無いわけじゃない)のはどう見てもまだ若いからです。
*7:これだから地方都市は…ッ!
*8:実際、連絡を受けたその瞬間、血の気が引いてガタガタ震えたので間違いない。
*9:っていうか提出不要だったと言ったらむしろ他の人に驚かれたとかまあそういう…。個人的にはこの手の書類は書くの大好きなのでぜひ書いて自己主張したいし、面接だってよろこんで行くわけで、そういうものを全然見ないで採用とか本当は制度的にちょっと許しがたいのだが(ry
*10:あと大学名に関するネタもあったが省略。自分らがエのつくところ出てるからって(ry
*11:でもなあ、せっかくアメリカから住み慣れた東京帰ってきて1年経って、研究室も家も環境作って、さあ2年目頑張るぞってときに仙台とか言われたらさすがに手放しでは、ねえ…。しかも知らせが来てから数日しか経ってなくて、気持ちの整理全くついてない状態だし…。
*12:これについては個人的な事情もあるのでしょうがないかなと思う部分はあるのだけれど
*13:一番厳しいのはただ入院したのはなく、数週間ではあるが年度初めに彼の知識や記憶にアクセスする手段が絶たれたことにある
*14:厳密には、制度的に授業受け持ち可能なことを申し出たのは自分の方
*15:この辺の心理状態と行動が多分他の人から見ると意味不明だろうけれど、自分なりには筋が通っているつもり
*16:ちなみにこの食い下がり周りのリアクションについては、当時のボスとの類似性を指摘された…そんなつもりは全然なかったのに(ry
*17:11月現在のメインタスクの一つはこの論文の内容をもう一度整理しなおすことである、嗚呼。
*18:この時打ち立てた13時間という記録はなかなか打ち破れなさそうだ。やはり某氏は凄い…。
*19:6月の時も同じようなことをしていたが、こっちは一応現ボスが非常に力を入れて企画したもので、それをスルーするのはものすごく駄目なんだけども…ついだべりが楽しすぎて…すみません……。
*20:数日未来に移動した記事内の「教官豹変」なる記述に思わず噴く。でも、今となっては英語を喋るといきなりテンション変わる点は人のこと言えない…