はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
まとまった文章が中心。日々の短文はmb(ryにあります。

Acta

恒例のようなそうでないような年末更新

去年更新していないので別に恒例でもなんでもないのですが、なんとなく今考えていることを書き記しておきたい気がするので、このタイミングで書いておきます。

  • 毎年この時期に記録を残していた年末恒例の大学の同期忘年会は、昨年今年とオンライン化するなど。しかし自分の場合、昨年は自宅からの参加で今年はホテルからの参加だったので、今年は割と特別感がある。
  • 件の忘年会は参加人数が6人とやや多いので、オフラインの時は自然に3人同士に別れて話題がふたつ並行したり、グループ間で割り込みが発生したりとかなりダイナミックに会話が展開していたのだけども、オンライン(Zoom)になってからはグループに分かれることができない分、話題が一つに固定されるので、どういう話題になるのか読めない感がある。
    • 昔は「今年は何があった」というのをきちんと1人ずつ順番に報告していたのだけど、だんだん雑になっている感が。そして1人の話が長いor退屈なのを適当に(空気を放って)あしらったりする技術がオンラインだと使いにくいので、会話の流れが偏りがち。
  • そういったわけなので、あくまで自分に関連する点だけ記録するならば(他のメンバーの発言に乗っかる形で)徐々に自分の生い立ちや過去の出来事を明らかにしていくことが出来てよかったのが一つ。
    • 同じ大学の同期だけど、みんながみんな同じような家庭/家族環境ではないんですよ、とか。親が2人揃っていることも、昼間の四大を卒業することも、パートナーと一緒に住むことも、人によっては何も当然ではないんですよ。それを当然みたいに言われたら、流石に聞き捨てならないのですよ。
      • 昔はこう言う話題が出ると黙っていたのだけど、年齢と職(=良くも悪くも自分の社会的立場の固定化)の後押しで恥じることなく話すことができるようになった。
      • やや冷たい言い方をすれば、知り合って20年以上経つのに今までそういう話題をする機会がなかったのは、ある意味その程度の知り合いという見方もできる。
  • もう一つ自分に関連することとしては、情報系の同期の仕事の話がわかるようになったのも発見だった。
    • 情報系でオンライン大学に通っていることを告げたら、それをきっかけにハードウェア寄りの人とソフトウェア寄りの人が専門トークを繰り広げ始めたのだけど、その会話内容が結構わかるので感動したり。逆に、自分から学習したネタを振ってみたら、それに対して専門トークを返してくれたり。学部2年生ってすごい!大学教育ってすごい!!
      • 自分の理解度が、英語を真剣にやり始めて数年経って英字紙を読んだ時のようだった。要は学習として詰め込んだあれこれを実際のコンテキストで発見して、心の中で小躍りしたりするステージ(具体的には、ビジネスロジックとか本当に言うんだなあ…とか)。
  • 他にもいろいろな話題があったのだけど(投資とか)、自分にあまり関係があるように思えないので記録しない。
    • 40歳になって&同期たちの会話を聞いていて実感したが、自分は金を増やすことに本当に興味がない。ついでに言うと自分の給料の額にも興味がないので、年収がいくらなのかも実は知らない。赤字でなければ良い、金が尽きて死ななければそれでいい、程度の認識。

ちなみに今回のタイトルは先日とあるきっかけで調べた英単語です。

  • とある論文誌がActaで始まる→会話相手による「Actaがなんの略か知らない」の発言から、何かの略と思い込んで調べ始める→別に略でも何でもないという事実に行き当たる。
    • 後から「そういやActaって入ってる論文誌いっぱいあるじゃん…なんであの時なんかの略だと思ったの自分…」と思ってみるなど。会話の流れは恐ろしい。
    • Actaの正確な意味をきちんとわかっているわけではないけども、 年の最後の日の記録としてこのエントリはActaの名に相応しい気も少しするので無理矢理使ってみた。要はこじつけ。

というわけで(ry

Extreme

奨学金の返済について、もしくは人生とは何かについての唐突な自分語り

 今年がちょうど自分が40歳になる年というのもあって、最近20代の時の事、特に20代前半の時のことを思い返して(少しばかり客観的なつもりで)再解釈などしてみたりするのですが、それに関連して最近話題になっていた記事2つにこんなようなブックマークコメントを書きました。

奨学金返済歴12年(最大残り8年)だけど、家計から出すのは駄目でしょ。借金は個人の物なのだし。ちなみにブコメ、返済額が毎月1万って決めつけは何なんですかね(もっとたくさん返して(る/た)側からの謎のマウント) - mbr のブックマーク / はてなブックマーク
ブクマが少ない時に読んで、ああ嫌だなあこういう考え方、でも賛同する人多いんだよな、と思って再び来てみたらやはり賛同多し。自分の場合、人生側が自分を勝手に遠くへと爆速で引っ張っていくので、磨くとか無い。 - mbr のブックマーク / はてなブックマーク

 思い返すと自分は20代前半の頃から、とにかく経済的自立・社会的自立というものに憧れていたように思います。それは家庭環境の事もあるし、生まれ持っての気質もあるかもしれない。とにかく何でもできるかぎり他人に頼らず一人でやりこなさないと気が済まない。だから学部の頃は、奨学金を借りるにあたっても親が(日本育英会なら無利子・低利子なので)多めに借りろと言ってきても激しく抵抗したり、大学の授業料免除の書類を書くたびに激しい怒りを覚えたりしていました。今だから言いますが。

 また、その一方で自分の人生があたかも「激流下り」のように展開しがちであることにも、割と気づいていました。何事も上には上がいるので、この程度で激流かよと言われれば「すみません」と返すしかないのですが、とりあえず自分の大学の同期や職場の人間などに自分の境遇(子供から今に至るまで)を話すと割と同情される&ショックを受けた顔をされるので、多分激動っぽいのではないかと思います。

 それで、この二つを合わせて考えたときに、どうも自分はこの激流下りの人生を一人でやりこなすことに、大きな満足感を得ているようなのですね。要はロッククライミングやラフティングのような、ソロのエクストリームスポーツ的な。自分には実際にこの手のスポーツの心得があるわけではないので、例えが適切ではないかもしれませんが。

 やってる最中・特に危険な局面ではものすごい苦しいんだけども、それでも別に止めようとは思わない=誰かに頼って状況を根本的に変えたいとは思わない。仮にそばに他の誰かがいて一緒にプレイしていても状況によっては助けられないし、逆に自分が危なくなっても助けてもらえない可能性があってそれが当然。

 なので20代の頃から、いわゆるささやかな日常の繰り返し(丁寧な暮らしのような概念も含む)には反感を抱いているし、奨学金を共同の家計から出すというのにも全然賛同できないのだろうと思います。自分の趣味じゃないという意味で。

 実のところ、20代の時に(自分の記憶が誤っていなければ)安定した家庭を築くことに憧れを持っている人に「自分と結婚したら代わりに奨学金を返してあげるよ」というようなことを言われたのですが、その時ものすごいネガティブな感情が浮かんだのが未だに忘れられないのですね。それは経済的自立を至上命題としている自分にとってたいへんな侮辱になる(奨学金の返済を肩代わりしてもらう=相手に経済的に従属する)からだと思っていたのですが、今にして思えば多分それだけではないのだろうなと。

 奨学金の返済というハードルを乗り越えることもまた自分個人の人生の醍醐味で、それを親切心で横から他人に手を出されるのは非常に不愉快、言ってしまえば人生の侵害、そういうことだったのだろうと思います。ちなみに博士課程への進学も、たぶん同じような理由が含まれている気がします。そもそも安定した家庭とか、自分の人生観と全然あってなかった(でも20代の時は自分がそういうエクストリーム好きだとなかなか気づけないのも事実)。

 そんなわけで、自分にとっての人生はソロエクストリームスポーツなので、家族で助け合いがどうのとか説かれてもいまいちピンとこないのは仕方がない部分もあるのだろうなあと、40歳の年になって今更思うわけです。

  • まあしかしどうしてこうなった(人生観が)。
  • 自分の、他人から助けてもらいたいと大して思わない気質は13年前のこのブログ記事の中にも書かれている 例:https://mbr.hatenadiary.jp/entry/20080709
    • 13年経った今となっては、記事内に挙げられている「生きることに対して大して執着がない」のに加えて「いや一人でやらないと気が済まないんです、一人で生き抜かないと人生を生きたことにならないんです、自分にとっては」というのが多分明確な回答。
  • 教員として学生を指導するときは多分「経験の少ない人の横で一緒にプレイしながら指導するインストラクター」みたいな動きをしている気がする。たとえばスカイダイビングとかだと一緒に降りたりできる(らしい)し。
    • そういう意味で、自分のパートナーは自分と同じくらいの人生経験(年数)があるはずなので、助け合うも何もないのでは?と思っている節がある。相手の年齢が近い前提ですが。


というわけで(ry

eclectic

人生及び2度目の大学進学の途中経過を報告したりしなかったりする

気が付いたら2021年も半分が過ぎていて、最近は大晦日更新もさぼっている*1ので全然ここを更新していないのですが、幸か不幸かまだ死んでいません。

  • はてなブックマークでは度々言及しているように、基本的に反出生主義者なので生き延びる事にもさほど価値を感じないがゆえに「幸か不幸か」。

実は昨年末くらいから2度目の大学進学ことUoPeople*2の体験記を書いていたのですが、公開するタイミングを逃しつつ内容を追記していったら長大になりすぎてしまったので公開を諦めることにしました。このエントリはいわば諦め宣言です。

  • UoPeopleに行くきっかけとなった働きながら米国のコンピュータサイエンスの学士号を取得する、UoPeopleという選択肢 - Velocityとか、楽しく読ませてもらった体験記Computer Scienceの学位を取るために学費無料のオンライン大学UoPeopleに入ってもうすぐ1年 - えんぴつぶろぐとかに触発されて、自分も似たようなものを書こうと思ったのだけど、根本的に無理だと悟った。
    • なにが無理なのか、結局のところ自分の経験を他人へ情報として整理して書くのが無理なのだと思う。経験から得た抽象的な概念は記述するけれど、体験そのものはあんまり書けない。
    • あとはやっぱり自分の状況が特殊過ぎる。現役の大学教員がもう一度学部に行く、しかも自分が現在所属する学術分野に進学する(現在は情報系の教員なのだが、もともとは生物の出身なのでComputer Scienceコースに入学して情報工学を基礎からちゃんと修めようとしている)*3のは色々と他人の参考にならない。せいぜい、ただの面白いエッセイ程度。
      • とりあえず教員と学生の両方の立場で物を見れるのは面白くはある。とりあえず、アメリカの学部のレポートって日本の学部より制限が厳しいけど、その後のアカデミック論文執筆のことを考えたら日本も本当はこれくらいすべきだよね…とかは思ったりする。まあ日本の方は試験のウェイトが大きすぎる感じもあるけども(理系学部しか経験ないが)。
  • 具体的なコースの内容でなく、精神的なもの(特に学業と仕事を両立するしんどさ)ならもう少し一般性があるのだろうけど、それはもう多くの社会人学生の先輩方が書いている通りなので今更書く気にもならず。まああれですよね、「なんで自分こんなことやってるんだろうか、馬鹿じゃないのか」って思考が最大の敵ですね。
    • 学部に通ってる時間で研究したらもっと研究業績出るだろうよ馬鹿が、という自分の内なる声と戦う日々。いやそのステートメントは真実なんですけど、短期的には。あくまで超短期的には。
  • あとまた別の軸として&各種体験記を読んでいて感じたこととして、大学って独りで通うもんだ、みたいな謎の感覚が自分の内にあるのに気づいたのもある。体験記を読むのは楽しいけれど、じゃあ自分も似たようなものを書いて、他の学生とつながりたいかと言われると良く分からない。オンラインキャンパスのMoodle上で日本人学生の方に声をかけて頂いたことがあるのだけど、あんまりポジティブなリアクションができなかったのはそのせい(大変申し訳ない…)。
    • 1度目の大学の時も一応友人はいたけども、みんなで勉強というよりは自分で教科書読むし読んで理解できない場合はその単位は落とすしかないよね、それが自分の限界なんだから、というタイプだった気がする。自分で書いてて辛辣過ぎる気がしてきた。

ちなみにUoPeopleは2020年1月末から始めて、1Termに2科目6単位を取るペースで1年半弱、Term数で7Term(1年で5Term+5か月で2Term)続けたので、現在42単位あります。ちょうど3分の1。

  • 3分の1まで来たので記録も兼ねてブログに書こうと思ったのはある。
  • これからコロナが収まると各種出張が入ってきて試験監督付き試験が受けられない事態とかもありうるので、今後はこんなに順調には行かない予定。
    • 実は一番最初のTermは途中に海外出張が入っていて大変だった(2020年2月頃)。アメリカ行きの国際線機内とか、学会の最中にわずかな時間を見つけて(会場の弱いWifiと戦いながら)一生懸命課題をやっていたのは良い思い出…。思えばあれが最後の出張で、あの出張から帰ってきてから一度も県外に出ていない。
  • (追記)あくまで1度目の大学からの単位移行はしないでゼロから積み上げるつもりなので、卒業までの120単位を地道に取る予定。ただし、本当にどうしようもなかったら一般教養の生物学系科目で2科目6単位(もっと可能?)くらいは移行してもよいかもしれない。なにせ「なんちゃら生物学」「分子なんちゃら学」*4と名の付く単位は死ぬほど持ってるし…(それが専門というものなのだけど)。

本業の方は昨年度とさしたる違いはない(講義形態にせよ研究室運営形態にせよ研究そのものにせよ*5)ものの、自分より若い人たちが異動したり昇進したりするのを観測すると自分も年取ったなという感じがします。

  • 振り返ると20代の終わりから30代半ばが異動のピークな気がする。自分も平均で2年に1回くらい引っ越してたし。

いずれにせよ昨年今年がコロナで非常に特殊な状況&総合的には自分にとって楽な方への変化だったので、来年度以降がとてもめんどくさそうだというのが現在の本音です。

  • コロナ禍が終わっても講義は全部オンデマンドにしたい*6し学会も半分くらいはオンラインであってほしい*7。しかしこれは叶わない夢なのだろうなあ。せめて1限の講義はオンデマンドの方がお互い幸せだと思うんだけどなあ(夜型の嘆き)。


というわけで(ry

*1:ここのメジャーな更新理由だった大学の同期忘年会は変わらず開催されているのだけども。ちなみに前回はオンラインだった&年末のまさに感染大爆発直前の時期だったのだけど、南関東のみなさんの認識がやばいと思った(東北から目線)

*2:はてなブログでこの名前を出すのは初めてな気がする

*3:当然、独学で情報系の勉強はしているし情報処理技術者試験とかもちょっとは合格してるけど、それだけでは情報系教員としては知識が全然足りない

*4:基礎生物学、生物学、分子生物学、細胞生物学、分子遺伝学、分子生理学…

*5:厳密にはいろいろ変わってはいるのだけども、さすがに「2度目の大学に通い始める」みたいなインパクトはない

*6:去年は担当講義は全部オンデマンド動画で、実習だけはリアルタイムで実施した

*7:全部オンラインだとそれはそれでちょっと寂しい。遠方開催は学生に学会参加を勧めるときの口実になるし…

jarring

近況のようなそうでもないような

今日は、たまたま見かけた大学進学の記事に何となく書いたコメント*1が随分とはてなスターを集めていたので&言及コメントを貰ったので、ちょっとだけ何か近況めいたものを書いてみます。

  • 「准教授=テニュアで安定してるから学び直しとか出来るんだよ」なコメントに部分的には同意しつつ*2、そういえばこの地に降り立った時に告げられた「本来の任期」が先月末だったことに思いを馳せるなど。
    • 今だからバラしてしまうと、助教として赴任した2014年8月当時、任期が終わる2020年7月末といえば東京オリンピックの最中のはずだったこともあり「オリンピックの開始カウントダウンが自分の任期切れのカウントダウンになる」という無茶苦茶な設定をよくネタにしていたのだった*3
    • しかしいざ2020年7月になってみると、オリンピックはどこかに行き任期もなんか知らないが消滅していた*4。全然わからない。
  • でも落ち着いて考えると、自分の大学の同期で修士出て大手企業に就職した人たちは最初から比較的安定していたのでは…?という気も。
    • こっちがポスドクor任期付き助教で不安定&収入低い時に、年収トーク*5してきたやつのことは今でも忘れませんよー?(突然の積年の恨み)
    • しかしそんな彼らが学び直しに大学に行き直したという話は今のところ聞かない(博士に行った人はいたが)
  • あとそもそもアカデミックな人でも、学部に行き直すという話を肯定的に捉える人ばかりではなかったり。
    • リアクションが大体真っ二つになる。「へえー!」と「ハァ?」の2択。
  • 結局のところ、18歳の時にどこの大学に行くか、学術or研究関連の職につくか、というのと、人生の半ばでもう一度別の分野をゼロから始めたいと思うかどうかはあんまり関係ないんだろうなあという気が。
    • 端的に言えば、専門を複数持ちたいかどうか。「2つくれ、なんならもっとくれ」VS「一つで十分ですよ」
    • 大学は「2つくれ」な人たちをいっぱい集めて楽しくやれる制度を早く整備すべきっていうか整備したい。そんな権力持ってないけど。


今日はせっかくなので、修士1年の時点(2004年10月24日)での自分と大学院の関係について引用して解説した、赴任当初(2014年11月4日)の記述を、もう一回ここに引っ張り出しておいて話を締めようと思います。

引き剥がしたショックで死んでしまう、粘着シートとねずみの関係。
これを大学院と自分の関係に当てはめてみると、奇妙なほど自分がねずみ臭いことに気付く。

http://d.hatena.ne.jp/mbr/20041024


この、自分を大学院から引きはがしたら死ぬんだろうなぁ、という修士1年の時の漠然とした感覚は結局その後も消えることなく、むしろ年月とともに強まり支配的になって自分を突き動かし、そうして10年経った今も当時と身分は違えど大学院に所属しています。


ああすごい!まだ死んでない!

  • 一部の人相手にはたまに喋っている「アカデミックから脱落したら死ぬぜ!」という発言の原点は多分ここにある、かもしれない。要はショック死。
    • 修士1年の時点でこれだからね!まだこの時点では学会発表すらしたことがないというのに!
https://mbr.hatenadiary.jp/entry/20141104


実は上の日記を書いてからの6年弱で一度だけ、自分をアカデミックから引きはがして死のうとしたことがあるんですが、何とか思いとどまって今に至っています。*6

ああすごい!まだ死んでない!

死んでないどころかまた学部に通ってるわけですが。
どんだけ大学が好きなんですかね?


というわけで(ry

*1:専攻によるけど30過ぎならまだ大丈夫。必要なら修士も行って年齢不問の所へ/自分は来年40歳の大学准教授だけど今年初めに学部に入り直して2つ目の専門を身に着けつつあるよ。うるさい外野は無視して一緒に頑張ろう。 - mbr のブックマーク / はてなブックマーク

*2:一応反論としては、修士の頃から40歳くらいでまた大学に行きたかったんだよ、というのと、任期付き助教のときも英語学習に精を出してたし、安定だけが理由じゃないよ、とか

*3:その発言をしてしばらく後に「オリンピックまであと2000日!」とかいうカウントダウンのニュースを見て「もう始まってる!」と戦慄した

*4:2019年2月の日記で書いた通り、いまだに任期がないとか詐欺ではないかと微妙に疑っている

*5:しかも微妙に高めの数字をぶつけてきた

*6:この件については当時の研究室の学生さんには感謝してもしきれない。彼らが直接何かをしたわけではないのだけども、とにかく自分のものの考え方はこれ以降大きく変わった

universe

いつも年の瀬に更新していたような記憶があるので更新

この時期は毎年、大学時代の同期の忘年会の様子を記録していた気がしたのですが、昨年の日記を見たら書いてなかったのであれっと思ったのでした。

  • メールを見る限り、開催しなかったわけではないらしい。何も覚えていないが。
    • 多分自分がアメリカ滞在のために2017をスキップしたので、書こうという気がなくなったのだと思われる。
    • あともう一つ理由らしきものがあるのだけど(2016年の会の時のこと)、それは別に表にする必要もないので記載しない。もっと言えば、自分が忘れないから書く必要がない。

そんなわけで記録を一度中断してしまったのでもう頑張って書く必要もない&書こうという気もないので、非常に個人的な視点からの寝言を書き残しておこうと思います。

  • 結局、みんな日常(or生活)に飲み込まれていく道を選ぶのだなあ、と。人生のどのタイミングでそっちに向かうかは個人差があるのだけど(最初から日常&生活系で行っていた同期もいたけど)、とうとう自分以外のみんな、そっちに行ってしまったなあ、という気分になった(※あくまでも個人の感想です)。
  • 日常&生活に飲み込まれると目の前の問題がとても大きく見えて、それが大変だ大変だと力説したくなるけど、実はどうでもいいことだよね、とか。
    • 会の最中に自分が言った通り、ほとんどの人間の人生の出来事は「自分の周りで人が死んだり生まれたり、仕事が(せいぜい似たような業種・職種の、ただ会社が違うだけという程度で)変わったり、住む場所が(地球上の、せいぜい先進国の中で)変わったり、付き合う人間(含む配偶者やその親戚)が増えたり減ったり、健康を害したり(事故にあう場合を含む)」という程度のバリエーションしかないので、それを「その程度」と引いて捉えないと、同じようなことでずっと同じように大騒ぎしているだけだよな、と。
    • 個人的には、そこから大幅に外れるような生き方を目指したいし目指しているし、今の大学教員という職は業務そのものが世俗からやや隔離されているという点で、比較的目指しやすい。*1
      • みんなが家庭のことやら仕事の雑務やらの話題を展開する横で、自分は大学の微分積分学を英語で学ぶ話をしますが何か?なにせこれが自分の本務で、いま一番面白いことなので。そして多分、上に書いた「人生の出来事」よりも語っていてずっと楽しい。
    • 最近思っていたのだけど&少し話題がずれるのだけど、意外とみんな学ぶことが好きでないんだな、とか。これは同期だけでなく、大学の同僚や学生を見ていても思う。もちろん多くの学生さんは学ぶことに非常に意欲的で、大学の同僚も当然研究者なので学ばないわけがなく、今回会った同期も(同じ大学を修士まで出ているので)もちろん学習欲が高いのだけど、よくよく観察すると、ああ、この人は底なしだ、とか、ああ、この人は自分の興味の外側には絶対出ていかないなとか、ああ、この人は今必要なことしか学ばないんだとか、いろいろある。いや、自分も本当に人のことは言えないのだけど(上に書いた大学数学も必要なので始めたのだし)。でも、自分は(あくまで理想だけども)無限に知りたいし無限に学習したいし無限に記憶したい。もっと言えば、すべてを知り尽くし、すべてに対してベストな解決策を考えて、そしてできれば一切何もしない、という態度を取りたい。最後の何もしないが全て。そしてあまりこういう態度の人に会わない。いや、ゼロではないのだけど。

微妙にまとまりのない感じになりましたが、来年は2020年、大学入学からちょうど20年&博士号取得からちょうど10年の節目の年なので、上に書いた「日常&生活に飲み込まれない」「無限に知りたい」を少しでも進められるよう何かしたいものです。

  • 先程ちょっとアイデアを得たのだけど、この程度でなくもっといろいろなことがしたい。本業に差し支えない程度に(本当は本業にうまくリンクして、本業が伸びていけばもっと良いのだけども)。


というわけで(ry

*1:あと、自分の生まれ育ちもやや一般的でないので、その点でも目指しやすい。特に今年は6月末に上記に関することで、普通の人が経験しない少し変わったタイプの事象が発生したのだけど、それもこの生まれ育ちがあってこそだった。

Iso

気づいたら新年号になって2ヶ月も経ってる

ここを更新しようしようと思いながら忙しさを言い訳に全然書いてなかったのですが、さすがに2ヶ月も空けるのはどうかと思うので適当に近況を報告します。

  • 相変わらず忙しい。やること多すぎ。忙しさレベルが下がったかと思うと、全然関係ないことが降ってくること多すぎ。割り込みで性能が低下してる日々。
    • おかげさまで締め切りを過ぎた書類の山が出来ております&順調に育っております。すみませんを連呼するしかない。
    • 絶対越えてはいけない締め切りは越えないけども、まあギリギリは攻める羽目に。
  • この前学会に行ったら久しぶりに会う人がそれなりにいて楽しかった(平凡な感想)。
    • 落ち着いて考えると、ホームにしている学会が前期に偏っているせいで、この時期の学会は久しぶり感が強い。昨年の秋ぶりとか。
    • 忙しさ定量比較(抱えているプロジェクトの数とか授業のコマ数とか)で結構他の人に勝つ。でもかつての同期には割と負ける。でもなー、物量では負けるけど内容では多分勝てるなー(謎の負け惜しみ)。
      • 全然わけわかんない仕事が出現しやすい人生。
    • 件の忙しい同期と会話するうちに「〇〇(一般的には評価の高い研究費)を取る人はヒマなのでは?」という結論に至る。いや正直、そんなかなりのコミットを要求されるような研究費、今貰っても全く時間ないしありがたくないよ?
      • あと多分、研究テーマが割と狭い範囲に収まってるとか、非常に高額の研究費がないと研究ができないとか。自分の場合、計算系だし今現在の研究テーマのダイバーシティ割とやばい感じなので、金より時間が欲しい方に傾いている、圧倒的に。
      • 昔ある人に「いろんな研究費もらうと、どの成果をどの研究費の報告書に書くか迷うよね!さすがに同じ成果を別々の報告書には書けないしさ」と言われたので「今やってるテーマ全部何一つ被ってないんでそういう事態は全く発生しないし、ちょっと何言ってるかわかりませんね」と返すなど。そもそも被せるのはずるい感じがするし、何より自分がつまらないので。そして加速する忙しさ。

この前の学会の話はもうちょっといろいろ書きたい気もしますが、今日はとりあえずこの辺で。

  • 今回のタイトルはこの前の学会でとある方が「イソロイシンとロイシンとバリンが紛らわしいので合体してイソバリロンとかの一個のアミノ酸になって欲しい」というネタから来ています。イソバリロン。
    • それをラボに持ち帰ってネタにしたら、イソロバリンの方が語呂が良いという冷静な指摘を受けるなど。何となくこっちの方が薬剤感ある。
  • 今回の学会は、本当になぜかいろいろな人を久しぶりに見かけた&話した気がする。自分が一昨年から昨年にかけて海外にいた&国内学会に行かなかった(実際に久しぶりに会う人が多かった)というのもあるのだろうけど、ここ10ヶ月くらい人生加速し過ぎてて、数年前のことが10年くらい前のように感じられるせいもあるかもしれない。
    • 正直2016年とか、後半ですら全然思い出せない。まだ3年も経ってないのに。

というわけで(ry

The Era

年の終わりでも年度の終わりでもないけども終わりの日

いつも年の終わりや年度の終わりに更新しがちなこの日記らしく、30年の終わりの今日にも日記を更新しておきます。

  • あえて件の名前(現元号)を出さずに書いていくスタイル。
  • 今から30年前は7歳で、小学校2年生でした。
  • 英語を勉強したくて習い始めた(人生で初めて英語を口にした)のが30年前の元年の4月でした。そしてその年の秋にハムスターを飼い始めたのでした。
    • 確か講談社ブルーバックスを初めて読んだのもこの年かもしれない。内容は宇宙物理とか量子力学とかで、もちろん全部分かっていたわけではない。特に初めて読みきった時、めちゃくちゃ難しかったのは覚えている。
  • あれから30年、あれ以来ハムスターは飼っていないし物理は専攻しなかったし英語は相変わらずネイティブには程遠いけども、一応生き物を物理っぽく研究することを本業にしていて英語の本場にも2度ほど住んでみたので、多分あの時見ていたものから何かを得たのでしょう。
    • 何よりも、30年の終わりの日に英語の発音訓練の体験レッスンを受けたり、もう一つ別のところを申し込んだりしている時点で、30年経っても英語への執着心だけは色褪せていないのは間違いない。
      • ちなみに思ったより発音が良くなっていて(良いという判定を受けて)びっくりした。最近初めてTOEFL iBTを受けたらぎりぎり3桁あったりもしたし、能力的には文系なのに無理くり理系に進学したあたりも含め、自分の執着心は長期的に見ると意外と侮れない。


それでは皆様、良い令和をお迎えください。


というわけで(ry