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奨学金の返済について、もしくは人生とは何かについての唐突な自分語り

 今年がちょうど自分が40歳になる年というのもあって、最近20代の時の事、特に20代前半の時のことを思い返して(少しばかり客観的なつもりで)再解釈などしてみたりするのですが、それに関連して最近話題になっていた記事2つにこんなようなブックマークコメントを書きました。

奨学金返済歴12年(最大残り8年)だけど、家計から出すのは駄目でしょ。借金は個人の物なのだし。ちなみにブコメ、返済額が毎月1万って決めつけは何なんですかね(もっとたくさん返して(る/た)側からの謎のマウント) - mbr のブックマーク / はてなブックマーク
ブクマが少ない時に読んで、ああ嫌だなあこういう考え方、でも賛同する人多いんだよな、と思って再び来てみたらやはり賛同多し。自分の場合、人生側が自分を勝手に遠くへと爆速で引っ張っていくので、磨くとか無い。 - mbr のブックマーク / はてなブックマーク

 思い返すと自分は20代前半の頃から、とにかく経済的自立・社会的自立というものに憧れていたように思います。それは家庭環境の事もあるし、生まれ持っての気質もあるかもしれない。とにかく何でもできるかぎり他人に頼らず一人でやりこなさないと気が済まない。だから学部の頃は、奨学金を借りるにあたっても親が(日本育英会なら無利子・低利子なので)多めに借りろと言ってきても激しく抵抗したり、大学の授業料免除の書類を書くたびに激しい怒りを覚えたりしていました。今だから言いますが。

 また、その一方で自分の人生があたかも「激流下り」のように展開しがちであることにも、割と気づいていました。何事も上には上がいるので、この程度で激流かよと言われれば「すみません」と返すしかないのですが、とりあえず自分の大学の同期や職場の人間などに自分の境遇(子供から今に至るまで)を話すと割と同情される&ショックを受けた顔をされるので、多分激動っぽいのではないかと思います。

 それで、この二つを合わせて考えたときに、どうも自分はこの激流下りの人生を一人でやりこなすことに、大きな満足感を得ているようなのですね。要はロッククライミングやラフティングのような、ソロのエクストリームスポーツ的な。自分には実際にこの手のスポーツの心得があるわけではないので、例えが適切ではないかもしれませんが。

 やってる最中・特に危険な局面ではものすごい苦しいんだけども、それでも別に止めようとは思わない=誰かに頼って状況を根本的に変えたいとは思わない。仮にそばに他の誰かがいて一緒にプレイしていても状況によっては助けられないし、逆に自分が危なくなっても助けてもらえない可能性があってそれが当然。

 なので20代の頃から、いわゆるささやかな日常の繰り返し(丁寧な暮らしのような概念も含む)には反感を抱いているし、奨学金を共同の家計から出すというのにも全然賛同できないのだろうと思います。自分の趣味じゃないという意味で。

 実のところ、20代の時に(自分の記憶が誤っていなければ)安定した家庭を築くことに憧れを持っている人に「自分と結婚したら代わりに奨学金を返してあげるよ」というようなことを言われたのですが、その時ものすごいネガティブな感情が浮かんだのが未だに忘れられないのですね。それは経済的自立を至上命題としている自分にとってたいへんな侮辱になる(奨学金の返済を肩代わりしてもらう=相手に経済的に従属する)からだと思っていたのですが、今にして思えば多分それだけではないのだろうなと。

 奨学金の返済というハードルを乗り越えることもまた自分個人の人生の醍醐味で、それを親切心で横から他人に手を出されるのは非常に不愉快、言ってしまえば人生の侵害、そういうことだったのだろうと思います。ちなみに博士課程への進学も、たぶん同じような理由が含まれている気がします。そもそも安定した家庭とか、自分の人生観と全然あってなかった(でも20代の時は自分がそういうエクストリーム好きだとなかなか気づけないのも事実)。

 そんなわけで、自分にとっての人生はソロエクストリームスポーツなので、家族で助け合いがどうのとか説かれてもいまいちピンとこないのは仕方がない部分もあるのだろうなあと、40歳の年になって今更思うわけです。

  • まあしかしどうしてこうなった(人生観が)。
  • 自分の、他人から助けてもらいたいと大して思わない気質は13年前のこのブログ記事の中にも書かれている 例:https://mbr.hatenadiary.jp/entry/20080709
    • 13年経った今となっては、記事内に挙げられている「生きることに対して大して執着がない」のに加えて「いや一人でやらないと気が済まないんです、一人で生き抜かないと人生を生きたことにならないんです、自分にとっては」というのが多分明確な回答。
  • 教員として学生を指導するときは多分「経験の少ない人の横で一緒にプレイしながら指導するインストラクター」みたいな動きをしている気がする。たとえばスカイダイビングとかだと一緒に降りたりできる(らしい)し。
    • そういう意味で、自分のパートナーは自分と同じくらいの人生経験(年数)があるはずなので、助け合うも何もないのでは?と思っている節がある。相手の年齢が近い前提ですが。


というわけで(ry