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今日は先日に引き続き、生物物理関係をだらだら書きします。
- この話題の他にも「関東と関西の違い」「教授家庭教師」などなど書くべきネタは多いが書ききれず。この二つはまた今度。
生物物理と生物と物理
先日、[id:mbr:20080915]にて、「生物物理は生物と物理か、生物物理か」とかいう話題をうだうだ書いた際、調子に乗って
とか書いちゃったわけですが、それに対してhitoさんからレスがきました。
ただ両方の軸が絡み合いつつ科学を推し進めてきたという歴史的事実には同意しますが、個人の中でその二つが共存することが出来るのかが議論のポイントのように思います。
自分を振りかえってみてもmbrさんのように両方に納得できるのですが、相反する考えなので同時に両立はできません。生物物理という言葉は不思議と両立が出来ているガンダーラの地を指す言葉に思えます。
いつも単にいっちゃってる集団*1としか見えてない生物物理の人々が、突然ユートピアからの使者みたいな貴重な存在に思え(ry
とかいうのはさておき。
この前の問いは「生物物理は生物 と 物理か」だったわけですが、今回は「生物物理は生物 か 物理か」になるのだと思います。
で、分野の成り立ちからすると、基本的に生物物理は物理の血筋*2なのだと思われます。
これを唯一神と八百万でいうなら、「一神教の人たちが大挙して『この八百万の神々も実は我々の信じる唯一神(とそれをとりまく教義)で説明可能なのだ』と押し寄せてひどく頑張ってる」といったところでしょうか…(何を唯一とか八百万とか思うかによりますが)。
生物の世界はどうあがいても八百万である*3ことは重々承知の上で、その大量の神々を唯一神の教義にうまいこと押し込めるとなんか気分いい、のが生物物理の人の基本スタンスな気がします。
そして、個人の中での共存が可能か…ですが。
…同時に思うことはできなくても、日替わりくらいはできるんじゃないでしょうか?^^;
なんというかですね、私個人のことなので他の人には全くあてはまらないかもしれませんが、
「この世界は唯一神でなんとかなるしその方が美しいに決まってるだろ明らかに」と強気な気分の時もあれば、
「いやでもやっぱり八百万とか居過ぎでさすがにもうどうしようもないわこれは」と弱気な気分の時もある、
その間をふらふらしてる感じはします。(唯一神を語るとき=強気、という時点で世界観が物理より)
- そしてもちろん、学会に行くとふらふらしていない人も見ます。全力で唯一神(物理だけでなく、情報科学の場合もある)を掲げる人がいます。
- で、唯一神を掲げているはずの人が「これは進化によってできたに違いない」とか口にして、「進化を出したら負けだろう*5」とか他の一神教信者に言われてるのも見たことあります。
そういった問題に無自覚な人をみると、心から羨ましく思う一方でどこかに嘘臭さを感じ取ってしまうのです。生物物理のコミュニティに顔を出すとそういう人たちがたくさんいて観察がとても楽しいですw
学際領域で全力で唯一神を掲げる(=時に問題に無自覚な)人は弟子が多い気もします。その迷いなき信念に嘘臭さを感じるか、パワーを感じるかの違いでしょうか。
追記(よくわからんおまけ):
うちの研究室のポスドクの方(化学出身)が、バリバリの物理出身の人に
「生物物理は物理ではないんですよ、生物なんです。だって(ry*8」
と語っていたので、生物出身者として負けじと
「生物物理は物理なんですよ、生物じゃないんです。だって(ry*9」
と対抗してみました。
- 信念以外の、手法とか対象とかで見るとまたね、ややこしくてですね(ry
というわけで(ry