はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
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「境界領域」

学際領域はなぜ難しいか+αについての適当な(あくまでも適当な)考察

まずはこのエントリをば。
圧倒的に生産性の高い人(サイエンティスト)の研究スタイル - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing


はてなブックマークでえらい盛り上がったそうですが、それはさておき。
このエントリでは、研究の進め方を

1. まずイシューありき
2. 仮説ドリブン
3. アウトプットドリブン
4. メッセージドリブン

ってな感じでやると、効率よく研究が進んでばんばんよさげな論文が出るよ、と言っています。
でもって最初のところで、こう言うわけです。

1. まずイシューありき
自分の考える世界観があり、そのパースペクティブ、ビューポイントに基づいてこういうことが言えるはずだ、あるいはこういうことを言えば意味(インパクト)があるというメッセージがまずある。

…学際領域が難しいのは、ここなんじゃないの、と。
自分がこれまで大事にしてきた、悪く言えば振り回してきた世界観が、通用しないから難しいんじゃないの、と。


たとえば先日の「生物物理と生物と物理*1」でも書いたとおり、生物物理なんて分野では、物理学的唯一神を信じる人たちが大挙して多神教である生物学にやってきて、がんばって物理的=唯一神的世界観を見出そうとしていたりするわけです。

  • 上のイシューありきに照らし合わせれば、生物学を「物理学的に美しい/正しい/納得できる」形で解釈する、というテーマが浮かび上がってくるはずです。
    • 物理学のあれこれ(法則とか手法とか)を生物にあてはめてみて、ほら説明できた!という感じ。たとえば魚の縞模様がチューリングパターンですよとか(丁度いい例だというだけで他意はありません)。

ところが、その「自分の慣れ親しんだ、信じている世界観(生物物理で言う物理学的一神教世界)」と「現実として立ち現われてくる世界観(生物学的多神教世界)」にギャップがあるために、ついもにょもにょしてしまう人なども出てくるわけです。

  • 簡単にいえば「生物は複雑なのでそんなに都合よく物理学だけで説明できません」。あるテーマを進めていくor分野に長くいるうちにそういう気分が立ち込めてくると。

で、もにょもにょしない「強気」(=時にこの世界観の違いに無自覚)な人は、その強気さにうっかりほだされて弟子がわんさかできたり、逆に嘘臭いといわれてしまったり、するわけです。

  • 強気な人々はたとえ前に何かが立ち現われても、あくまで自分の持っている世界観を全力で振りかざして対象に襲いかかる。
    • そして時にそれは「自分の世界観にあうものだけを拾う」行為に変質したりして大変困ったことこの上なかったりしなくもない。ちなみに困るのは本人ではもちろんなくて、その世界観に共感しない同じ分野の人たち。

まとめると、このエントリの書き手&題材になった人は学際領域的な意味で世界観の違いに挟まれたことはないのかなってことと、少なくともこのエントリについては「強気」だからこそ、嘘臭いとか弟子(=ブックマーク数&賞賛コメント)をゲットしまくっているのではないか、ってことです(まとめてない)。

  • だんだん、「強気な人は自分の信念があるから憂いがなくて強いよね」という研究室でのいつもの結論に近づいてきた気がする…。
    • でも、念のため付け加えておくと、憂いがないのはいかんよねえ、というのが指導教官の個人的意見(=ラボに何となく立ち込める空気)なのだよな、うん。


というわけで(ry