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今日の最も印象深い出来事:
知り合いの先生が、学位取得の話題の際に、
『私は(自分の指導教官の名前)さんのように優しくはないんですよ(笑)』
なる発言をしたらしい、という話をふと思い出し
昼食時に指導教官にしてみたら、
『ええーっ、別に、優しくはないよ!優しくないって!ねえ?』
とか同意を求められて大いに困った。
- 同意しても否定しても申し訳ない展開が待っている。
- 同じような話は研究室の指導方針についても出たことが。
以下、「生物物理は生物と物理か、生物物理か」についてだらだら書く前のネタ出し。
- 分野を名乗るときに「手法」「対象」に軸足を置くか、既存の学問分野(=どう問題を処理すると正しい/美しい/満足だと感じるか、どういった世界観を持っているか、といった抽象的なものを含む)に帰着させるか、の違い。
- たとえそこに何一つ物理学的な要素がなかったとしても、「世界はいくつかの数式で書き表わせる」と信じてそれに向かっている人たちはあくまで物理の人(かなり乱暴な言い方だが、学際領域に漂う「同じ分野を名乗る、でも分かり合えない人たち」を分け切るには仕方がない)。
- 「対象」を名乗る人には「で、究極的にはその対象にまつわる問題にどんな答えが出ると気が済みますか?」と尋ねることで既存の分野に落とせなくもない*1。問題は「手法」を名乗る人。
- 「(1)自分は手を動かしてこの手法を実行しているときにこの上ない満足感を得られる。(2)自分の使っている手法は物理学で支えられているが、実際手を動かす時は何一つ物理はいらない。だから自分は物理ではない。(3)そして自分は生体高分子を扱ってはいるが、元々の出身は物理で生物学を把握しているとは言い難い。だから自分は生物ではない。(4)だから自分は物理でも生物でもない、生物物理だ」という人に、何を言うか?
- 生物でも物理でもないものは生物物理ですらないと思うのは、おかしいか?
- 手法が物理から生まれたなら、それを操る人たちにも物理の信念が必要となると思うのは、飛躍か?
- 学部教育が物理なら、たとえそれに途中で挫折したとしても、そこで身についた思考の道筋は物理よりだと思うのは、奇妙か?
というわけで(ry