はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
まとまった文章が中心。日々の短文はmb(ryにあります。

銀色シンボリック

学会が今日で終わって一段落ついたところで、ちょっと気になるエントリに感想を書いてみます。
2008-06-12 - IHARA Note


これは先日のHashさんのエントリに絡んだ話題の続きなのですが、「与えられた研究テーマがつまらない!」という二つの発言に対し、テーマが面白いとはどういうことかという視点から、

学生は大抵とりかかりやすさを目安にしてテーマの面白さを評価する。ここでいうとりかかりやすさというのは、問いの認知度、結果の分かりやすさ、解決手法の派手さ、解決手法の適用のしやすさ、などである。

と返しています。
います、が…
…うーん、これって、本当にこれが全てなんでしょうかね?

  • 自分の場合、取りかかりやすさ=「自分が本当に知りたいと思っている、今までの経験からおのずと不思議だと思えていることにつながっているか否か」です(注:自分は理学系なので「知りたい」「不思議」という言葉になってますが、工学だと「やってみたい」「実現してみたい」あたりに置き換わると思います)。
    • つながる、といっても直接ではなく、わずかでも確かなつながりを感じることができるかどうか(個人の思考の流れに大きく依存)
  • そりゃ流行りの話題やイージーな結論も魅力的ですが、それだけで学生の手が動くと思ったら大間違いのような。

また、テーマがその後発展していく可能性を秘めているかについて

教員の与えた動画のクラスタリングというテーマは、そこまでならば価値はないが、そこから学生がテーマを発展させるとすごい価値を生む可能性がある。

と述べているのですが、これまた「自分がどう思うか」がごっそり抜けている感じがするのですよね。

  • 世の中がいいというものでも、「自分はそこまで積極的に関わりたいと思わない」ものは無限にあるわけで。「すごい価値」は学術的にすごい価値であることに加え、自分にとってもすごい価値でないと、そもそもすごいと認識すらできない可能性も十分ある(業界の様子がわからないと尚更)。
    • 学術的にすごい=自分でもすごいと直結して思えるなら別。

また、テーマを発展させることに関して

 テーマを発展させるためには、間違いや勘違いを犯すのが近道であり、間違いを犯すためにはねばり強く「時間をかけて」問題にとり組まなければならない。

とあるのですが、その「粘り強さ」はどこからくるのでしょうか?

  • 性格?もちろんそれだけじゃないはず。

思うに、「つべこべ言わずにやれ」と言われた時にどれだけ手が動くかは人によって随分違っていて、「とにかくしがみついてやり続ける」ためのエネルギーをどう調達するかが問題なのではないでしょうか。

  • 一度いい結果(いい「間違い」)を出せれば、達成感で次に進めるかもしれない(おもしろくないテーマでも、やったら褒められるのならやる気も出る、という理屈)。しかし、最初の結果まで動き続けるためのエネルギーは達成感とは違うところからくるはず。
  • 「価値を感じるか」=「たとえ全く結果が出なくても、問題解決に向かって手を動かしているときに喜びを感じるか」「たとえ今は全く手が動かなくても、その問題に取り組めることそのものに喜びを感じるか」
    • 特に効くのは後者だと思われる。

もちろん最初は価値を見出せなくても、やっているうちに色々とわかってくることも当然あるはずです。
ただ、「特にこれと言って価値を感じるものもなく、先の見えない状態でただ淡々とやっている」状態でバンバン圧力が来ると、やっているうちにとか悠長なこと言ってられないってのも当然あるでしょう。

  • 圧力=叱咤することだけではない。上の人間の「みんな当然のようにテーマを楽しんでいる」空気だって、十分圧力になりうる。テーマを楽しまないことを言い出しにくいor「時間をかけてやっていればそのうちわかるよ」と流されるなら、尚更。

上と全く関係ない追記:
最近あった出来事いろいろをまとめたいのですがいまいち気分がのってきません。
明日あたり、1週間分くらいまとめてだらだら書きするかもしれません。
(と宣言することで、書きたいことを有耶無耶にしないテスト)


というわけで(ry