はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
まとまった文章が中心。日々の短文はmb(ryにあります。

naive

あまり重要じゃないことばかりですが、忘れないうちにとっととメモします。
あと、今日のタイトルは英語本来の意味*1で取っていただきますよう、寝言ながらお願い申しあげてみます。

ぐるぐるまわるぜすごいやつ

先日、同期の会社が倒産した件をここに書いたところ、巡り巡って「この日記を通じてそれを初めて知った」というメッセージをとある方から間接的にもらった。

  • これだからWebはおそろしい。誰が見ているか分からない。ただの寝言なのにちゃんと読まれているというのがもうすでにへぴゅー。つまりは寝言をブロードキャスト。
  • Webを介しての情報の流通という(めったにない)日記の価値ある側面をひさしぶりに見てしまい、具体的な記載への欲求がわずかに高まる。でもこれは諸刃の剣なので、やはり基本的にはやらない。

34=17*2

実は前々から「この方々は同い年ではないだろうか」と考えていたお二方が、本当に同い年であることを昨日知った。今はやりの言い方で言うとナナゴー世代。
おもしろいのは、二人とも「この年になると、自分の正確な年齢なんて忘れてしまう」と言っているのに、ある方は「誕生日の日付は忘れないけれど西暦があやしくなる」と言い、もう一人の方は「西暦は忘れないけど誕生日の日付は忘れる。月は覚えてるけど日付があやしい」というようなことを前に言っていたところ。そういうものだろうか。

  • 確かに自分も年齢・誕生日は忘れないが、最近西暦があやしくなってきた。21世紀入って真っ先(2001年)に20歳になったという辺りから逆算して計算することが時々ある。
    • そういえば、誕生日の日付は忘れないが、誕生日当日を何事もないようにスルーする力はかなり前からある。今年も全力でスルー予定。

某所にて

うっかり加わってしまった某所にて「これは!」と思う文章を見つける。しかしこれが一部の人にしか公開されないのはあまりにももったいないように感じる。
それ自体はマイナス・ネガティブな感情を含むもので、確かに包み隠したくなる気持ちはわかる。ただ、だからこそ表に出してくれたら同じ心境でいる多くの人が安堵するのでは、とも思う。
もちろん、公開したときの書き手への影響も考えるとそのままにしておく方が賢明だという考えもよくよくわかるので、自分は勝手に思うだけでそれ以上は何もしない。せいぜいこうして寝言にするくらい。
気が向いたら書き手の方に上のような感想を書いてみるのも、ひょっとしたらいいのかもしれない。しかし今はそれどころではない。

走り幅跳び的なにか

あと何をするべきか。時間は限られていて手段も限られている。
自分のやりたいように、気が済むまでやってどうにか乗り切りたいが、そのやりたいこととやらが真に意味のあることかを吟味する時間が欲しい。吟味する時間が少ないと結局時間を浪費する。

わりとさくっと追記

ブックマークにてある記事に正直に叫んだせいか、人が若干こちらに流入したのを確認。ちょっと正直に叫びすぎたかもしれない。
この手の話題に接するのは初めてではないけれど、なにせ書かれている情報が少なくて「ここに書かれていることがもし全てだと言うなら、まだ手の打ちようがあったんじゃないか、なんとか解決できたんじゃないか」と思ってしまうところに、いつもと違う何かがある気がする。

  • もちろん叫んだ通り、境遇が近いというのもある。でもそれ以上にこの「まだやれたかもしれないのに」というやるせなさがあのリアクションを生んだのだと思われる。
  • だから、詳細がいろいろと明らかになったら、また違った感想を抱く可能性は大いにある。納得感のようなものにも近いかもしれない。少なくともあの情報だけでは、いろいろわからなさすぎ&納得できなさすぎで「なんでそうなっちゃったの!」という叫びしか出なかった。
    • こういうの、分野の若手の会とかが取り上げないかな(ふと思う)。キャリアパスがらみでブレストすると「キャリアパスに乗れなかった人を取り上げる」という案は出る(そして当然のように却下される)し、いろいろなキャリアパスがあるよ、という具体例なんぞ結構聞くけれど、その根底にあるメンタルな話はなかなか出ない。
    • まあ、企画を立てている人たちはある程度の「強さ」を持っているから、確かに話題の筆頭には上がらないかもな、と思い返してみる。あと湿っぽい話は好まれなさそうだし。この辺、二つ上の某所で見た文章とも関係するかも。


というわけで(ry

*1:日本語のナイーブとはプラマイが反転し、けなしの意味が入る