はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
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discrete

更新したつもりでしてなかったので更新

そんな訳で7月も半ばあたりになってようやく家にインターネットが来たのですが、その時に更新したつもりになって実は更新していない事に今頃気づいたのでおもむろに何か書きます。

  • 眠いんだけどもまだ寝たくないこの中途半端な時間を、生存報告的日記の更新という中途半端な行動に配分。
  • そしてこの日記に載せるべく、写真をせっせと撮っていたのだけども、いざいつでも更新できるようになるとさっぱりアップしないのはお約束の展開。
    • Twitterには若干ポストしてはみたものの。やっぱり慣れない事すると続かない。

さて、前回の更新から3週間&トータルで1ヶ月半経って、いろいろと新環境での新イベントに巻き込まれたりもしているのですが、巻き込まれる度に思うのが「ああこれ日本と変わんない」「日本でもこういうのあった」という事だったりします。

  • いやそりゃシステムとか違うところも多いし、よくシステムの違いでひっかかりはするけれど、結局のところ社会生活は人間の集まりで出来てる&同じ人間だからやっぱり取る行動あんまり違わないよ?と。
    • まあ郵便が1週間全く届かなかったりとかさすがになかったけど、どうも最近は日本でもゆうパック遅延してたみたいだし(ry

しかしよくわからないのは、この「大して違わない」発言を他の方にすると、意外と不満が入り混じった微妙なリアクションが返ってくる事です。

  • あれか、みんな何かを…日本にいたら経験できない「何か」を期待してるんだろうか。期待にこたえるべく、頑張って違いを探さないといけなかったんだろうか。
    • でもアメリカ滞在歴長い人たちも同じリアクションなのは何故だろう。もしかしてみんな最初はカルチャーショックとか受けて、それと同じ答を期待したんだろうか。
    • でも、スーパーマーケットあるしコンビニあるし、インターネットあるしアマゾン配送あるし、電化製品もサイズが違うだけで使い方大体同じだしコンセントの形まで同じだし、地下鉄あるしSUICA/ICOCAもどきあるし、Windowsあるし服も洋服で民族衣装とかないし、ついでに研究環境も個人ブースが大きいのと共通スペース&流しがないのが最大の違いで他は同じだし*1、研究テーマもほとんど変わらなかったし、後なにか自分の生活で違うところなんてあるだろうか、英語以外で。

そういえば、この前お会いした日本人の方はあれこれ話をするうち、「東京から大阪に行った時のショックの方が、大阪からアメリカに来た時のショックより大きかった」とか口にされていたので、カルチャーショックを受けたい関東人は、アメリカ留学じゃなくて関西留学をすべきじゃないかと思います。逆はどうかわかりませんが…。

  • 冗談で「高度なボケとツッコミを求められる関西に行くくらいなら、カタコトでも英語喋って海外行きますよ!」と言った事はあるけど、まさか本当に行った人からそんな事言われるとは(ry

追記:
ここまで「大して違わない」を強調して書きましたが、実際は「規模が違うがそれ以外は同じだ」と思う事も多いです。
ただ、自分でもよくわかりませんが、どうも規模の違いは自分の頭の中では違いにカウントされないのですね。人口多い&人種が多様&国土広いから、何にせよ規模が大きくて当然だろうと思ってる節がありそうです。

  • でもあれですよ、今のところ国が違う事によるカルチャーショックみたいなものをほとんど受けてない(気がする)のですが、一体何でなのかよくわかりません。


というわけで(ry

*1:ただし、この点についてはいわゆる大学の研究室、人が一つの部屋に大した仕切りもなくうじゃうじゃいたり、共通スペースにたまって雑談したりするのとは大きく違うので、まったく同じだとは言いづらい。でもこれはNIHの中でも自分のいる建物が特殊なだけ&大学と研究所の違いと言った方が正確=別にアメリカ関係ない