The first attempt
なんだか、適性という言葉に人生の全てが凝縮される気がしてきました。
- 自分の適性がどの程度あるかと、その適正度合だとどれくらいのことが出来る/出来ないかを把握していることと、出来ないことをとっとと出来る人にうまいこと頼めるか、の三要素である分野に対する成果の度合が決まるような。
- もともとは研究室のサーバ管理(スーパーユーザー)についてのポスドクの方の持論から。
- 「スーパーユーザーを出来るかどうかは、その適性があるかどうかが全て。ない人には務まらない。ない人にいくら教えても無理。言うだけ無駄。仮に自分が出来るからと誰でも出来るものと思ったら大間違い。適性のない人には絶対できない。適性がある人がやるしかない」(要約)
最近、ひそかに楽しみにしていたことが
(自分の責任ですが)ついに駄目になってしまい
すっかりめげめげだったのですが、
どうやらfirst attempt的*1なイベントが起こりそうなので、
ようやっとめげ脱出の予感が少しします。
- first attemptの「日本語での意味(最初の試み)」とは「全く関係ない」のであしからず(まったくもって最初でも、試みでもない)。
全く覚書的追記:
- 東京-名古屋間テレビ会議で向こうの方に「もしかして『というわけで』の人ですか」というような台詞で呼びかけられる。違わないけど反射的に「違います」って言いたくなるのはなぜですかなぜですか。違ったらいいなとかそういう深層心理があるんでしょうか。でも今こうして更新してるよね。
- 研究科の庶務課に行って教官が「この人東工(とーこー)大なんだけど(以下事務手続きの質問)」→事務の方「ああ、じゃあ東邦(とーほー)大の方に書類を…」
というわけで(ry
*1:分かる人ほぼ皆無な内輪ネタな上、わかる人はここを全く見ていない