はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
まとまった文章が中心。日々の短文はmb(ryにあります。

defer

今いろいろと書きたいこと(生物物理のまとめ、ブクマしたエントリへのコメントなど)があるのですが、それよりまず忘れないうちに昨日人から聞いた事を書き残しておこうと思います。

  • あまり珍しくもない話だけども覚えておきたい、にも関わらずどういうわけか急速にこの記憶だけが劣化するのが自分で分かるのでここに書き留め。

何かがどうでもよくなる瞬間の話

これは知人の話だけど、
義理の親を老人ホームに入れる瞬間、というのがあるんだって。
つまり、それまで介護だなんだとやってきた義理の親御さんを、
老人ホームに預けようと決意する瞬間。


それは、相手から敬意が感じられなくなったとき
らしいよ。


そりゃそうだよね、敬意とか尊敬とか…まあ尊敬までしなくてもいいけど、
そういうものを貰えているから、
世話をする側は辛くても我慢していられるのに、
それが貰えなくなったら、もう、終わりだよね。
あ、もういいや、って。

敬意とか信頼とかって一体何なのだろうと最近考えさせられます。

  • 人間関係において極めて重要であることと、一度失われるとなかなか元に戻せないものであることだけは分かっているけれど、じゃあどうやって獲得したり示したりするのかって改めて問われると意外と言葉にできない。
  • 敬意って何だと思ってGoogleで検索して一番最初に出てきた有効そうな答え:相手を尊重し、敬意をもって接するために最低限必要な5つのこと: DESIGN IT! w/LOVE
    • ここには敬意を示すための方法が記されているけれど、そもそも敬意とは何なのかは謎のまま。
  • 「敬意とは」で検索するとそのものズバリ敬意とは他人との距離の置き方。が来る。
    • 上のページからリンクをたどっていった2000年6月 Archives - 内田樹の研究室にある『「敬意」というのは、「自分とは別のもの」に対する畏怖と、理解不可能であることへの涼しい諦念と、それにもかかわらずコミュニケーションの回路を維持しておきたいと願う欲望のおりなす、とてもデリケートなこころのあり方である。』というのが分かりやすい。
    • 上の話で行くと、あるべき畏怖と諦念が失われて、欲望だけが残ったということだろうか。逆の立場から見ると、畏怖と諦念を示してもらえていたからこそ、我慢できたということになる(正確には、欲望を畏怖と諦念で抑えて示しているのだろうから、この書き方はよくないかもしれない)。
  • タイトルをつけるべく辞書を引いていて面白いことに気づいた。敬意を示しつつ従うという意味の動詞にdeferというのがあるのだけど、これのもう一つの意味は「延期する」らしい。語源は微妙に違うが、基本的にはどちらも「離す(de)+運ぶ(fer)」でいいようだ。やはり敬意というやつには距離が大事らしい。


というわけで(ry