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さほど何かを語る気分でもないので瞬間抜き書き*1でもしてみます。
常識や客観はどうやって習得されるのかについてのヒントらしきもの
以下の文章は、合理的思考→客観的思考(=自分と世界の関係性を冷静に把握すること)と読みかえ可能(のはず)。
- 注1:文中での「ジャイアン」はADHD(注意欠陥・多動性障害)の一形態である「自己正当化型ADHD」(筆者独自の分類)のこと。
- 注2:抜粋元のエントリは〜空気を読むことと、人の個性〜アスペルガー症候群についてしらべてみた - たまごまごごはんにあるような「先天的に空気を読むことができない人*2」が、いかにして多数派に馴染む術を身につけるか、という話。
- 注3:(分かる人だけ)自分は自閉症スペクトラム指数自己診断をやると、37点だったりします。*3
合理的思考の一番のポイントは「本当のことに目をつぶらない」ということだ。
ジャイアンは「否認」の一番強い人種だ。自分に不利な事実を認めることの困難さ、指摘した相手を責めたり、責任転嫁する対象を探し回る。得意の屁理屈で自分を正当化し、不都合な事実から目を逸らす悪あがきをやめない。
(中略)
「どんなに不利で不都合なことでも、当たっていれば、本当のことなら認める」これが合理的思考への第一歩だ。
合理的な思考(1) -- 意味不明な人々−発達障害(ADHD、アスペルガー)と人格障害に取り組む
合理的な思考へのポイントの第二は、「自分が正しいとは限らない」と認識することだ。
(中略)
「偉そうに主張出来る」ことの根拠は何か? そもそも自分自身は世間と自分についてそれほどちゃんと分かっていたのか? 自分の主張を他人に強制して良いのか? などを自分自身に問う努力が無条件に必要なのだ。
合理的な思考(2) -- 意味不明な人々−発達障害(ADHD、アスペルガー)と人格障害に取り組む
客観性を習得する過程を分解するとこうなるのかな、という感触。
このシリーズはまだ続くようなので今後に期待。
- 基本は主観&それに伴う脊髄反射の否定か。
で、急になんでまた常識とか客観とか言い出したかといえば、この前読んだ「哲学実技」やら、まだ読み終えてない「外国語を身につけるための日本語レッスン」なんぞを適当に眺めていて、論理的思考力と常識(=その場にいる大多数の人が当然のものとして受け止めているあれこれ、大多数が支持するという意味で客観的なもの)の関係についてちょっと引っかかるものがあったからだったりします。
- いや単に論理的思考は常識があって初めて成立するんじゃないかっていうだけのことですが。大前提としての常識と、その上に乗っかる論理。前提=常識が共有されないといくら筋道通っていても、どうしても通じあわない or ただの屁理屈認定なのかもな、とか。
- ロジカルなんちゃらの本でも、どんどん論理に分解していくと最後には「常識で判断」のフェイズがある気が(具体例は上の「外国語〜」を読んでからまた書く予定)。
- 論理さえあれば誰とでも会話が成立するかっていうとやっぱり無理なんだなという今更な諦めを覚えつつ。むしろ論理が破綻していても前提が共有できている場合の方が、会話成立率は高いと見た(と、ここまで書いて当たり前な気がしてきた)。
というわけで(ry