はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
まとまった文章が中心。日々の短文はmb(ryにあります。

cyclic

あけおめ in Japan

気が付けば年も明けて1月も後半に入ってますが、今更新しないと2013年は一度も更新しないような気配がするので、とにもかくにも覚えている事を記録しておきます。

  • 帰国直後に何を考えていたのか、何が起こったかを忘れてしまう前に書きとめておきたいのもあったり。


12月29日:9ヶ月と数週間ぶりに日本の地を踏む。これが永久帰国だとはまだ信じられない。

  • 成田に着いて、「おかえりなさい」の文字にふと苦笑する。何だかなあ、というのが正直な感想。
  • アメリカから送った船便の荷物が届くまでの間、生活するのに必要な全てが詰まった大量の荷物を引きずって、別送品申告書を出しに空港を端から端まで移動。税関の人が右の突き当たりと言ったので右側のカウンターに行ったら、実は左だったというオチ。
  • とりあえず実家に帰るべくバスのカウンターへ。「2100円になります」といわれ、ニセンヒャクが理解できない。2100であることは分かるが、そんな大金持っていたっけ?と思い、これがドルではなく円であることに気づき、1ドル=100円ならば2100円は21ドル程度である事に思い至り、それなら持っていそうだぞと財布を覗き込みつつ、さらに2100円は千円札2枚と百円玉1枚で払える事を思い出し、財布の中に青くてドル札より丈夫な紙2枚と、10セント硬貨より大きくて厚い銀色のギザギザがついた硬貨を探す。ここまでおよそ数秒。傍から見ると何となくもたもたしている人程度で済んだはず。
    • 3月に帰国したときも千円札に違和感を覚えたが、今回はまるっきり忘れていた。


12月30日・31日:時差ボケ真っ最中。もちろん年明けの瞬間まで起きていられない。紅白中にうっかり寝て、起きたらさだまさし

  • 日本に帰ったら買いに行こうと思っていた本を求めて本屋へ。520円を約5ドルに換算するまでは良かったものの、代金を払おうとして無意識のうちに五百円玉と百円玉2枚を握り締めている事にはっと気が付く。10セントと100円玉がどちらも銀色で縁にギザギザがついている故の間違い。10円は茶色くて100円よりさらに大きい硬貨のことであると思い出し、財布をごそごそする。まだ、ぎこちない。


1月1日〜3日: http://anond.hatelabo.jp/20130103040523

  • 衝動的に、誰かに読んで欲しくて書き付ける(=叫びだす)場所として増田が恐ろしく有効である事を身にしみて感じた。
  • 上の記事はフィクションです。実在のなんたらとは一切関係ありません…と言えたらどんなに良かった事か。実際はフィクション分5〜10%でつまりは95%ノンフィクション。思い出の中の品物は永遠に失われてもうどこにもない。


1月4日:初出勤、の前に転入届を出しに行くなど。退勤後は、毎年恒例の同期の忘年会/新年会。

  • 住民票の「米国から転入」の記載が、自分がアメリカにいた証のように思える。もちろんパスポートにビザは貼ってあるし、DS-2019だって持っているけれど、日本のシステムに「この人は海外にいました」と書面で言われたのはこれが初めてのような気がした。
  • 大変懐かしくもあり新しくもある職場に到着し、自分の机の所に積まれたPCの箱を開ける。セットアップをしつつ、最後にこんな事をしたのはいつだろうと思ってみる(たぶん学位取る前)。
    • 大量に発生したゴミであるダンボールや発表スチロールをゴミ袋に入るサイズに切りながら、内心「すごい!ダンボール切ったり束ねたりとか!久しぶりすぎてやり方忘れた!大学だ!これが!日本の!大学だ!!!」と妙に盛り上がる(あくまで内心)。
    • 前職場はありとあらゆるものがInstitute内のPC部隊によって管理されているので、セットアップ含めこういう作業は絶対に発生しなかった。逆に言うと、自分では絶対に何もしてはいけない環境。ソフトのインストールすらPC部隊にメールで頼む。
  • 新しい職場の食堂に行くが、「ピリ辛葱チャーシューラーメン」が読めない。ピリ辛という単語があまりにも久しぶりすぎて、うっかり「ピリ/辛葱」といった具合に間違って単語認識したため。あとチャーシューラーメンとかカタカナが続くのも読みにくい。日本語の識字能力が下がっている感じがする。
  • 毎年恒例の忘年会*1は、今年は新年会となってこの日に開催された。昨年欠席したので2年ぶり。でもほとんどの人はTwitterで見かけるので久しぶり感が少ない。
    • 同じ時期に1年間のドイツ滞在を終えて帰国した知人と、日本と海外の文化の違いについて語れたのが一番記憶に残っている。
    • 逆カルチャーショックというか、細かい習慣の違いが分からなくなっていて結構ストレスなのだが、意外とそれを打ち明けられそうな相手がいなかったりする。たとえば、バスに乗るときに運転手に挨拶しないのが気持ち悪かったり、レストランで会計するときに伝票の上に十分なお金を置いても帰ることはできない、等々。
    • 3月に帰ったときはそれほどでもなかったのに今回はかなり違和感を感じるのは何故なのか、色々考えるがはっきりした理由が思い浮かばない。唯一の心当たりは、前回は滞在後満2年を迎える前で、今回は2年と7ヶ月が経過した事。英語の喋りやすさが満2年に近づいてから急に変わった(一段と喋りやすくなった)ので、2年過ぎた辺りでトランジッションというか、知らない間により向こうの文化に馴染んだのかもしれない。


1月5日:いよいよ国内引越に向けて具体的に行動する。

  • 「海外から引っ越してきてまた国内で引越する」という状況を口頭で説明するのは意外と面倒なことを実感し始める。一回実家に滞在して、でもそこからまたさらに…という辺りが特に。しかも、実家自体も自分とは別に引っ越すのでさらにややこしい。
  • そして日本で部屋を借りる際の初期費用の高さに嘆息する。特に関東。礼金とか何のためにあるのか。地味に仲介手数料も他と比べて高いように思う。


1月6日の週:なぜか採用手続きが遅れていたらしく色々なものが遅延する。前ボスとの仕事をぼちぼち再開。並行して引越の準備もする。

  • 部屋を借りるに当たって収入証明を出せといわれる→月収の書かれた採用通知書がこない→今決済に回っている原案の状態のものを送る→これ3月末までの採用だけど4月以降は?とつっこまれる→4月からは職場は同じででもお金の出所は別で、採用は内定してるけど政府の来年度予算が通らないとこれもまた採用通知が(ry
    • 大学の特殊事情をすごく頑張って説明。これで借りられなかったらどうしようかと(結局、週末に無事借りられる事が分かって一安心)。
  • この日記を書いている16日時点でもまだ色々遅れまくっている。具体的に言うと採用通知書がまだ来ない。実害はあまりないけども…。
  • 新しいPCに、以前使っていたInkscapeやらRやらNotepad++やらのソフトウェアを全部そろえて、さらにVirtual Box+CentOSLinux環境を整えたら格段に仕事しやすくなったので、とりあえず前の仕事を再開する。まだ投稿していない論文をどうにかする作業。ちなみに新しいPCは自分の都合で英語版OSの英語版キーボードにしてもらったのだけども、お蔭で全く違和感なく作業が出来ている。有難い限り。
  • 引越の箱詰め。前述の通り自分の荷物は非常に少ない(少なくなってしまった)のだけれども、名古屋から持ち帰ってアメリカに持っていかなかった荷物(ほぼ全て研究室に置いていた専門書等)だけは箱に入っていたせいか手付かずで残されていたので、それをつめ直す作業が主。
    • その過程で雑誌「生化学」を全部、「生物物理」の大半を処分。ほとんど会費払ってるだけだった前者はともかく、割とせっせと学会に出ている後者はちょっと心が痛んだけども、内容はWebでも読めるので巻頭言が面白いものだけとっておく事に。

でもって、1月13日の週こと今週はついに国内引越の予定です。

  • ついこの前転入届を出した役所に、今度は転出届を出しに行く空しさ。ただしどこかにまず転入しないと部屋が借りられない(はずだ)し、一応帰国後14日以内に転入届を出さないといけない事にになっているので、仕方ない。


というわけで(ry

departure

退去、退職、退アメリ

日本に帰る前にもう一回くらいは更新しようと思っていながら、気がつけばあと数時間で空港に赴かなければならないような日時になってしまいました。

  • 書こうと思っていたことを思い出しつつ、今日のところはとりあえずアメリカに行く直前のツイートをTwilogから拾ってみたりなど。

  • 2年半を振り返るに、これは賭けというよりある種の転換点、言い換えれば人生における重要な通過点だったのだと感じる(人生における重要じゃない通過点があるのか、と言われると難しいが)。まだ終わっていない仕事や確定していない事項もあるので、最終的な評価ができるのはもう少し先になるけども、今のところは勝ちも負けもなく「質の変化」としか言えない気分でいる。
    • しかし当時は確かに人生最大に匹敵する行動であったとはいえ、区切りが終わった今となっては、これが人生最大になってしまうとこれから退屈してしまう、それは困るなどと呑気な事を考えている。まさに喉元過ぎれば何とやら。
    • ついでに、人生という単語は、当たり前だが自分のかかわる全ての物事を含んでいることを再確認する。上のツイートを書いたときには、「人生」という単語に対して仕事以外のことを考慮に入れていなかったし、そもそも考慮するつもりもなかったのをよく覚えているので、尚更。


というわけで(ry

restoration

近況:日本への片道切符を手に入れた(文字通り)

いきなりですが、上の見出しの通り、日本に(恒久的に)帰ることになりました。

今年の大晦日は日本で迎えることになりそうです。

  • かなり前から、それこそ2月の学会や3月に一時帰国した際などにお会いした人には伝えていたものの、色々な事がはっきりするまで大っぴらにする必要もないかなあと思っていたらこんな時期に。実に9ヶ月が経過。
    • インターネット上で書くのはほぼ初めて*1
    • 実はこの記事の大半は10月末頃、アパートの退去届を出したり飛行機のチケットを取ったりしていよいよ異動準備の始まりだ、という気分のときに書いたものだったりする。ハリケーンのSandyが近づいている中、停電する前に書き上げたもののアップするのが面倒で放置→予想通り停電する→復旧したけど更新するのが面倒になる、という流れ。さすがにもう更新しないとうっかりそのまま帰国してしまいそうなので、遅ればせながら加筆&更新。


次の職についての話自体は今年1月頃からあったのですが、いろいろと時間に余裕を持たせるために時期を調整してもらったところ、実際の異動は来年1月になってしまいました。

  • 1年も先方をお待たせして大変申し訳ないことに。でもお蔭でこちらでの仕事は異動前にきっちり片付きそうなのでどうか(ry
    • 自分がいなくなると宙ぶらりんになる論文が複数ある状態で異動するとか、ちょっと恐ろしい。1報くらいならまだいいけれども。


異動先はわりと(かなり)慣れ親しんだ環境なので、今から楽しみだったりします。

  • 今の職場の最大の不満である「窓がない(遠い)」「流しがない」「セミナーがない」の3大「ない」をクリアする素晴らしい環境。これを口にするとみんな微妙な顔をするけれども、窓があって流しがあってセミナーがあったラボで学生時代を過ごしているので、この環境の変化には正直耐え切れないものがあった。*2
    • 特にセミナーがないのが応える。学会に頻繁に行く訳でもなく、ラボの他の人と話す機会も全くない状態で、ボスとだけ&自分のプロジェクトについてだけ議論するのは効率こそ最大だが、自分としては不自由極まりない。*3
  • ただし、上の人の研究スタイルについては、元指導教官に「極端から極端」と評された*4ので、あまり気を抜くときっと落差で大変な事に(ry


さて、今年は昨年にも増してまったく日記を更新しなかったのですが、日本に帰ったらもう少し更新頻度を上げられそうな気がします。

  • 普段の言語が英語なのが地味に効いてきている感じが。日記だけでなく、日本語で物を書くという行為そのものから遠ざかってしまったように思う。*5
    • 5月に某申請書類を書こうとしたとき、この手の書類でよく使う語彙を忘れてしまっている事に気づいて困った*6。自分が博士学生だったときに書いた書類を読み返して、忘れていた単語を覚えなおすレベル。
    • 前回の更新は5月の申請のあと、日本語物書き気分が高まっているところに解放感が重なったためにあんな長文になってしまった。もし英語で似たような書類書きをした後だったら、ここまで書く気になったかどうか怪しい。
    • Twitterでも少し書いたが、5月の申請では久しぶりに「言語に不自由せず、かつ誰にも邪魔されずに自分の考えを綴るよろこび」を噛み締めて、書くことを純粋に楽しんだように思う。なので、結果がついて来たのはただただ幸運だったとしか言えない。
  • この5月から12月の間に、サマーインターンの学生が来たり、元指導教官が現職場を訪問したり、自分が赴任したときに始まった2年越しのプロジェクト*7の論文が投稿されたり、新しいポスドクの人がきたりと出来事てんこ盛りだったのだけども、それはまた思い出したときにでも。


というわけで(ry

*1:10月半ばに、Twitterで他の方とのやり取り中にちょっと言及したのが最初

*2:これについては異動直前にエントリーとしてまとめたい、なんとしてでも。

*3:もっと言えば、この「効率」はあくまで短期的な、論文1報2報というレベルであって、長期的な視点からはむしろ有害ですらあるように思える。あくまで個人的、かつ感覚的なものでしかないけども。

*4:自分としてもそれを意識して異動を決めた

*5:それが自分にあまりよくない影響を与えていそうな事にも気づいているけれど、対処せずにここまで来てしまった

*6:〜を示す、〜が期待される、〜だと推察される、等

*7:半分腐りかけていたと言っても、状況を踏まえればきっと誰も否定できないと思われる(嫌がられはするだろうけども、もちろん…)

periodically

近況まじりの感想

最近まったく日記を更新しなくなって久しい訳ですが、今日は久しぶりに何か物を言いたくなるようなものを発見したので、近況を混ぜつつ書いてみます。

  • なぜ近況混じりになるのかは読めば分かるはず。

http://studygift.net/home.php


サイトのタイトルは非常にきれいなんですが、残念な事に中身を読むと


Google+で日本一になった大学4年生(3年生?)の私ですが、成績が下がって奨学金日本学生支援機構など)を打ち切られてしまいました。でも大学出たいからお金欲しいです。お金くれたら情報メルマガ送ります」


というもので、現状は多くの人に開かれたシステムというよりは、個人の知名度と特異な能力に依存した特定の個人のためのサイトになっています。


さて、自分が学生時代、特に学部時代に学費に困っていた話は日記やブコメで小出しにしていますが、ちょうど10年前の今頃、学部3年生だった自分も学費が払えなくて退学、または休学してアルバイトに専念しなければならないかも、という状況になったのでした。

  • 小泉改革のあおりで授業料免除枠が縮小になったため(らしい、他にも結構な人があおりを食っていた)。急な事だったので、厚生課に話をしにいって、逆に事情を聞かされ諭されたりした。

結局、いろいろとやりくりする事で卒業まで2年間なんとか生き延びたのですが、あの時もし休学・退学していたらどうなっていただろうか、なんてことを今でも考えたりする訳です。


で、それとは別に最近、元指導教官に推薦状の執筆をお願いした際、時間の関係で自分が下書き*1を書かねばならず、昔の事をあれこれと思い返す機会があったわけです。
この元指導教官に初めて遭遇したのもちょうど10年前で、卒業研究でお世話になり始めたのが9年前。結局、この先生のところで博士号を取って今の職についているので、9〜10年前の自分の決定で今の自分がいることになります。


そんな訳で、10年前に退学してたら今の自分はないよなあ、休学してたらチャンス逃してたかもなあ、と思うことしきりであったり、奨学金を「このお金を返すと誰かの口座に振り込まれて、その人が大学に行けるんだ」と思いながら返している人間としては、経済的に困窮している人が大学を続けるための支援は惜しまないし、5000円どころか5万円を毎年*2出したって痛くないのです*3


でもまあ、その見返りで、上記のサイトが提示している「いまどきの学生事情」メールなんて、いらないなあ、と。


どうせならそんなものより、1年後、5年後、10年後、その人がどうなったのか、知りたい。X年後のレポートが欲しい。
たとえ、その時学んでいたのとあまり関係ない方向に行ってしまったとしても、あの時大学出れてよかった、と思っているか、思えるような人生を送っているかどうか知りたい。別に思ってなかったら駄目とかではなく、純粋に、興味として。

  • こういう、何年も後になってからやって来るノルマが、結構負担になるのは知っているけれど(そりゃ、お金を貰ったときは恩を感じてても、10年も経ったら…ねえ)、奨学金などの既存制度を使わずにサポーターと称して他の人からダイレクトにお金を集めた以上、相応の負担があってもいいんじゃないかなと。
  • タイムカプセルのように、当時の事を思い返しながら、今の状況を考える機会が定期的に来るのは、個人的には人生にとって良い方向に働くような気がするのです。
    • これは、お金を貰う側だけでなく、あげる側も。

とまあ、研究室配属前〜学部〜修士〜博士〜ポヌドク〜ポスドクと、ここ10年間くらいを推薦状の下書きのために思い返して、あれやこれや書いてとりあえずは教官に送りつつ、学費に思い悩んでいた10年前の自分がこの10年間の出来事リストを見たら驚くだろうなあ、とニヤニヤしたりした直後にこんなウェブサイトを見てしまったので、色々思ってつい書いてしまった次第です。

  • 自分は結局学費は支援してもらわなかったけども、9年前の研究室所属の際には何人かに無理を言って、決定事項の解釈の余地を残してもらったり、枠を譲ってもらったりしたことは今でも覚えていて、その人たちの好意や善意を無駄にしたくない、という気持ちで研究活動に励んでいます。今まで一度も口に出した事も文章にした事もないけども、割と本音です。
    • 特に枠を譲ってもらった人には、今でも申し訳ない気持ちになったり。あの場で枠を譲ってくれたから、10年後の今も同じ分野で仕事をできていますよ、というのが果たしてよい感謝の言葉なのかわからないけども、譲って損したとだけは思われたくないなあ、とはいつも思う。


追記(2012/05/22)

ぼくはぼくが金を恵んであげた相手の顔を見たかったんだなって。顔を覚えて、名前を覚えて、その相手のその先の人生を知りたかったんだなって。その子が将来大成して、どこかぼくの知らないところで「私がここまで来れたのはあのときフォスターペアレントになってくれたMr.Suzukiのおかげです」みたいなことを喋るのを期待してたんだなって。説明が難しいんだけど、ほら、他人にしてあげたことってずっと忘れないじゃない。だからぼくはぼくが募金したフォスターチャイルドのガネシュ君の名前を死ぬまで覚えているはずで、もし彼が学者にも大臣にも実業家にもならなかったら、「なんだよしょっぱいな、せっかく金出してやったのに」くらいのことをチラっと思うはずなんだよね。

http://d.hatena.ne.jp/harutabe/20120520/1337454405


実は不思議と、こういう感覚はなかったりする。昔はあった気がするけど、もう無い。

  • 自分は相手を覚えていたって、相手は自分のこと覚えちゃいないだろうと最初から思い込んでいる節が。非対称で当然。
  • 確かにしてあげたことは忘れない傾向にあるけれど、その記憶はあくまで自分のためのもの(たまに思い返して、あの人どうなったのかなあと思いを馳せたり、当時の自分自身のことを思い出したりするきっかけにする)で、基本的にはそれ以上のものにはならないと勝手に思っていたりなど。
    • なので、上で自分が「X年後のレポート」を欲しがった理由は「あの人どうなったのかなあ」に対する答みたいなもので、一番近い感覚は小中学校、高校の同級生が今どうしているのかなあ、に対する同窓会みたいなもの。
  • そんなわけで、自分としてはどうなったのかさえ分かれば、どこの誰なのか知る必要もないし、お礼の言葉とかも特に要らない。


というわけで(ry

*1:正しくは、どういうエピソードがあったか等、推薦状を書く上でリマインドしたい出来事を列挙したもの

*2:さすがに毎月は奨学金の返済が厳しいので勘弁してください

*3:ただし、だとしても成績が下がったから、というのは個人的にはいただけないのだけど

San Diego

アメリカ横断学会参加

久しぶりの更新はいつもの東海岸からではなく、もう一方の側こと西海岸からお送りします。

  • アメリカに来て初めての国際学会参加。しかし所属先からみると国内学会という謎な状態。
    • 今の所属に存在する「ポスドクは年に1回または2回だけ、国内学会の旅費を出してもらえる」というルールを初めて利用。
    • 実は昨年6月に日本の学会に出た際にも(国内の旅費という定義を使って)日本国内の移動費&宿泊費を賄えたらしい。ただし、学会が終わったらすぐに戻らなければならないという縛りがあったために使わず。*1
    • いつも日本と行き来するときは直行便なので、これが初めてのアメリカ国内便利用体験。国際線と比べ、いろいろ勝手が違って恐ろしい。

それにしても、知り合いの方々が予想をはるかに超えて大量に参加していて衝撃を受けています。

  • 学会会場でお会いして、面と向かって「えっ?!XXさん参加されてたんですか!?」と叫ぶなど。ほとんど気分は日本の国内学会。テンション上がり過ぎてやや危険。
    • ついでに日本の分野近況を聞き出すなど。何年も前にした「分野に人がいない」トーク*2を別の方と再びする。しかしポストも少ないといういつもの方向性。実は、この手のループは意外と嫌いではない。
    • そして何故かブログの話になるなど。更新されていないことを突っ込まれたので更新することをこっそり決意→今実行。
  • そして何故か、他の日本人の方々と一緒に行動すると"Where are you from?"と度々聞かれる。East Coastというのを飲み込んでJapanと言ってみる。
    • その直後、Konnichiwa!と言われ、微笑ましさを通り越してよくわからない気分になった上に、条件反射でThanksと言ってしまって(ry(割とよくある)

ちなみに個人的な今日の名言は、同じ計算機生物学(シミュレーション分野)の方による「(シミュレーションではなく)バイオインフォマティシャンは(恋愛沙汰方向で)全然火が点かない!湿気てるんだよ!!」でした。

  • まわりがバイオインフォマティシャンしかいない普段の環境では、絶対出ない発言。にしても、こういう、仕事と関係ない上にわりとしょうもない*3方向の話をされたのはいつぶりだろうか。


追記:
この日記を書いた後、職場のメールボックスをチェックし、今関わっているやや難航気味のプロジェクトについてのやり取りを読んで、自分の物の考え方について改めて確認しました。

  • 「厳しい状況を乗り越えた後の期待をこめてポジティブな発言をするより、今現在の厳しさを思い切りネガティブに素晴らしい笑顔で言いたい」という方向性。どういう訳か、今のところ後者のパターンを日本語でしか聞いたことがないし言ったことがない。しかし自分に馴染むのは後者。
    • 別の言い方をすれば「これをやればこう良くなる」対「これはこうだからまだ駄目」。


というわけで(ry

*1:ほかにも、日本国内の移動費がどうやって計算されるのか不明とか、領収書を英訳するのが面倒とか(ry

*2:参考:http://d.hatena.ne.jp/mbr/20080525#p1

*3:これを「しょうもない」と思う時点で湿気てるのだろうけども…

procrastination

年末年始感が全くないのだけども更新

どういうわけか、気が付いたら最後の更新から5ヶ月が経過して年末になってしまいました。
今年は30年間の人生で初めて、年末に実家に帰らない決断をしたので、アメリカでの全く年末の休み感がない年越しです。

  • アメリカに来て1年半強、日本は休みが多くていいよなーと思う事しばしば。ゴールデンウィークとお盆と年末年始と、1週間弱連続で休みが存在しているって素晴らしい(実際に休むかどうかは別に、世間で休みとはっきり認識されている期間という意味で)。
    • 日本で言う仕事納めの日(12月28日)に週例ミーティングがあって、仕事始めの日(1月4日)にやっぱり普通にミーティングがあったりすると、結構しょんぼりする。日本なら進捗がないのは分かりきっているし、1月4日のミーティングはスキップされるんだろうなあ、と。
  • ここの更新頻度が7月以降急激に落ちた理由はいろいろと思い当たるのだけども、最大のものは、諸事情でNIH内の日本人コミュニティに関わる頻度が激増したため、だと思われる。
    • 自分の元々の行動パターン*1を踏まえて、徐々に自制しないとならないレベル。
    • そういう意味で今の職場の淡白さは有り難くはある。ミーティング以外で他の同僚とまとまって会うのは年数回のランチだけ。前の職場よりさらに淡白。しかも関係者によれば、年々淡白になっているらしい。凄い。大丈夫なんだろうかここは。
    • 1年目に比べて日本語を使う機会が増えて、日本語を使っていると英語を忘れるという事実を発見する。英語の身につき方が速い順に、英語しか話さない>英語も日本語も話さない>英語も話すが日本語をより話す、な気が。
  • 昔どこかで書いたのだけれども、自分の中で1日に使える「言葉の数」は決まっていて、誰かと喋ったり物を書いたりすることで消費されていく、ように思う。誰かと会って話してしまったり、Twitterに投稿したりして言葉を使ってしまうと、ここに書ける言葉が残らない。それがいいのか悪いのかはさておき。
    • で、できれば自分の望むネタにだけ言葉を使いたいと思っても、なかなか。
    • 逆に言えば、言葉を使わずに済むアクティビティーは今年も健在だった。たとえばTumblr.とか。queueを切らさないために、dashboardといくつかのタグを流し見するのがほぼ日課と化している。
      • 毎日3枚ずつqueueから投稿するように設定してある http://mbr-ry.tumblr.com/ はとうとう2年半で総reblog枚数2000枚を記録しつつある模様。
      • 昔は枚数を稼ぐために猫の写真と空&海の写真の2種類をReblogしてたのだけども、タグをフォローする機能が付いてから空&海画像を探すのが非常に楽になって*2、今年は3月からは空と海の写真だけに絞って900photosほどReblogしたようだ(今数えた)。
      • もうひとつ、文字やネタ中心にこっそりreblogしている方は大体2年間、1日3posts(ここ半年くらいは6posts)で2600postsを過ぎた辺り。継続は力…なのか?これは?*3


で、この5ヶ月間にあったことを、年末のまとめついでに振り返ってみると、「メートル原器*4マジ大事」という事になりそうです。

  • メートル原器の詳細:「比喩的な表現になってしまうが、自分がこの研究室から持ち出したのは精巧かつ頑丈なメートル原器のようなもので、叩いたり投げ飛ばしたり水に漬けたり火にくべたりしても、表面に傷こそつくが原器としての役割は損なわれず、いかなる環境でもある一定の長さを正確に示すもののように思う(その長さをどう使うかはさておき)。」
    • 去年の12月の日記では折り合いとか口にしているけども、その数ヵ月後にはこのメートル原器をボス(新・旧両方)に向かって全力でぶん回すことになっ(ry*5
    • さらに、今年も後半になってから同じような価値観(=メートル原器もどき)を持っている人が周囲に結構現れるようになって、ずいぶん気分が楽になった。やっぱりあれですよ、いくら精巧かつ頑丈でも、たまには似た誰かのものに当てないと目盛りが狂ってきてるんじゃないかと不安になりますよ。いや、目盛りは狂ってなくても、読み手の自分の眼が狂ってきてるかもしれないとか。
    • ちなみに、仕事の件に限らず、この自分の中のメートル原器らしき何かでもって現実を測ってみて、現実がどう見えてそれに対してどう行動するか、を色んな事に対してもうちょっと意識的にやってもよさそうだ、と感じたり。


その他にもいろいろと書けそうなネタがあったりなかったりしますが、それは年明けの通常更新(できるのか?)で載せようかと思います。

  • 一度こうして書き始めると、記憶の底に沈んでいたものが次々と浮かび上がってくる。これだから物を書くのはへぴゅへぴゅーですよ(へぴゅーの所は各自適当に補って下さい)。


というわけで(ry

*1:飲み会は半年に一回あったら大満足とか

*2:#seascape追ったら空&海写真に困らなくなった

*3:一体何の力がついているのかさっぱり不明

*4:http://d.hatena.ne.jp/mbr/20101228

*5:目上に向かって一体自分は何をしているんだろうか…。まあ、でも、仕方ないよね?(謎)へぴゅへぴゅへぴゅーですよね?(全く謎)

dire

恐ろしいことに1ヶ月が経ってしまった

そんな訳で、今月は出張など特に大きなイベントが無いにもかかわらず気が付いたら1ヶ月が経過していて、自分の時間感覚に不安を抱く今日この頃です。

  • カレンダーを片手に、色々なものをひっくり返して自分が何をやっていたのかを確認しないと、何があったのか思い出せないレベル。
  • 本業:一段落→光の速さで状況逆戻り→再び一段落。
    • 数ヶ月前(日本に帰国していた時期を含む)から「(そういう方向でやることになってはいるけど)正直無理すぎるだろ…」と周囲に言っていた件が、まさにその通りになった。
    • 最初から100%無理だというのが自分の予想だったので残念な気持ちは全く無い(むしろ予想通りになった安心感すらある)。かといって、その無理ネタを振ってきた相手に「それ見た事か!」と言うのもさすがにどうかと思うので、粛々とスルーして次に行く事にする。
  • その他1:今年も独立記念日の花火を見にDCまで出かけた。去年よりもさらに花火に近いところで鑑賞したために、上から降ってくるものに苦しめられる。そして去年同様、訳の分からないところまで歩いてからメトロに乗る。
    • 別段花火が好きな訳でも、DCに行きたい訳でもないのだけれど、なんとなく行っておかないといけない気分になるのは何故だろう。
  • その他2:こちらに来て初めて映画を見に行った。しかし英語が分からないので雰囲気で理解するしかない。しかも、そもそも映画自体が雰囲気重視でストーリーなんてあってないようなものだったので、なおさら雰囲気理解で何とかなってしまった。
    • 日本にいたときには数年に1度しか映画を見に行かなかった事を考えると、これがアメリカでの最初で最後の映画になる可能性も無きにしも非ず。
  • その他3:ひょんなことから家具が大幅に増えた。ソファーや椅子・机セットややオーブントースターなどが設置されて人間的な生活が可能に。
    • また入手して2週間程度なので、家具を見ると違和感を感じる。
    • そして「自宅を快適にすればするほど、家から一歩も外に出ない確率が上がる」という自分の習性を思い知る。
    • しかし、どうも家具が多すぎて使いこなせない。椅子に座って机に向かっているときに、同時にソファーを堪能できないことを心のどこかで残念がっている。こうなったら分裂して同時使用するしかない(どうやって)。


他にもいろいろと出来事&思う事はあるのですが、まだ現在進行形なのでまたそのうち書けたら書きます。

  • 時間が経たないと結果が出ない類のあれこれ。うまくいくといいなあ&これが先々まで良い影響を与えるといいなあ、というぼんやりした願いはあるけれども、果たして。


というわけで(ry