はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
まとまった文章が中心。日々の短文はmb(ryにあります。

San Diego

アメリカ横断学会参加

久しぶりの更新はいつもの東海岸からではなく、もう一方の側こと西海岸からお送りします。

  • アメリカに来て初めての国際学会参加。しかし所属先からみると国内学会という謎な状態。
    • 今の所属に存在する「ポスドクは年に1回または2回だけ、国内学会の旅費を出してもらえる」というルールを初めて利用。
    • 実は昨年6月に日本の学会に出た際にも(国内の旅費という定義を使って)日本国内の移動費&宿泊費を賄えたらしい。ただし、学会が終わったらすぐに戻らなければならないという縛りがあったために使わず。*1
    • いつも日本と行き来するときは直行便なので、これが初めてのアメリカ国内便利用体験。国際線と比べ、いろいろ勝手が違って恐ろしい。

それにしても、知り合いの方々が予想をはるかに超えて大量に参加していて衝撃を受けています。

  • 学会会場でお会いして、面と向かって「えっ?!XXさん参加されてたんですか!?」と叫ぶなど。ほとんど気分は日本の国内学会。テンション上がり過ぎてやや危険。
    • ついでに日本の分野近況を聞き出すなど。何年も前にした「分野に人がいない」トーク*2を別の方と再びする。しかしポストも少ないといういつもの方向性。実は、この手のループは意外と嫌いではない。
    • そして何故かブログの話になるなど。更新されていないことを突っ込まれたので更新することをこっそり決意→今実行。
  • そして何故か、他の日本人の方々と一緒に行動すると"Where are you from?"と度々聞かれる。East Coastというのを飲み込んでJapanと言ってみる。
    • その直後、Konnichiwa!と言われ、微笑ましさを通り越してよくわからない気分になった上に、条件反射でThanksと言ってしまって(ry(割とよくある)

ちなみに個人的な今日の名言は、同じ計算機生物学(シミュレーション分野)の方による「(シミュレーションではなく)バイオインフォマティシャンは(恋愛沙汰方向で)全然火が点かない!湿気てるんだよ!!」でした。

  • まわりがバイオインフォマティシャンしかいない普段の環境では、絶対出ない発言。にしても、こういう、仕事と関係ない上にわりとしょうもない*3方向の話をされたのはいつぶりだろうか。


追記:
この日記を書いた後、職場のメールボックスをチェックし、今関わっているやや難航気味のプロジェクトについてのやり取りを読んで、自分の物の考え方について改めて確認しました。

  • 「厳しい状況を乗り越えた後の期待をこめてポジティブな発言をするより、今現在の厳しさを思い切りネガティブに素晴らしい笑顔で言いたい」という方向性。どういう訳か、今のところ後者のパターンを日本語でしか聞いたことがないし言ったことがない。しかし自分に馴染むのは後者。
    • 別の言い方をすれば「これをやればこう良くなる」対「これはこうだからまだ駄目」。


というわけで(ry

*1:ほかにも、日本国内の移動費がどうやって計算されるのか不明とか、領収書を英訳するのが面倒とか(ry

*2:参考:http://d.hatena.ne.jp/mbr/20080525#p1

*3:これを「しょうもない」と思う時点で湿気てるのだろうけども…

procrastination

年末年始感が全くないのだけども更新

どういうわけか、気が付いたら最後の更新から5ヶ月が経過して年末になってしまいました。
今年は30年間の人生で初めて、年末に実家に帰らない決断をしたので、アメリカでの全く年末の休み感がない年越しです。

  • アメリカに来て1年半強、日本は休みが多くていいよなーと思う事しばしば。ゴールデンウィークとお盆と年末年始と、1週間弱連続で休みが存在しているって素晴らしい(実際に休むかどうかは別に、世間で休みとはっきり認識されている期間という意味で)。
    • 日本で言う仕事納めの日(12月28日)に週例ミーティングがあって、仕事始めの日(1月4日)にやっぱり普通にミーティングがあったりすると、結構しょんぼりする。日本なら進捗がないのは分かりきっているし、1月4日のミーティングはスキップされるんだろうなあ、と。
  • ここの更新頻度が7月以降急激に落ちた理由はいろいろと思い当たるのだけども、最大のものは、諸事情でNIH内の日本人コミュニティに関わる頻度が激増したため、だと思われる。
    • 自分の元々の行動パターン*1を踏まえて、徐々に自制しないとならないレベル。
    • そういう意味で今の職場の淡白さは有り難くはある。ミーティング以外で他の同僚とまとまって会うのは年数回のランチだけ。前の職場よりさらに淡白。しかも関係者によれば、年々淡白になっているらしい。凄い。大丈夫なんだろうかここは。
    • 1年目に比べて日本語を使う機会が増えて、日本語を使っていると英語を忘れるという事実を発見する。英語の身につき方が速い順に、英語しか話さない>英語も日本語も話さない>英語も話すが日本語をより話す、な気が。
  • 昔どこかで書いたのだけれども、自分の中で1日に使える「言葉の数」は決まっていて、誰かと喋ったり物を書いたりすることで消費されていく、ように思う。誰かと会って話してしまったり、Twitterに投稿したりして言葉を使ってしまうと、ここに書ける言葉が残らない。それがいいのか悪いのかはさておき。
    • で、できれば自分の望むネタにだけ言葉を使いたいと思っても、なかなか。
    • 逆に言えば、言葉を使わずに済むアクティビティーは今年も健在だった。たとえばTumblr.とか。queueを切らさないために、dashboardといくつかのタグを流し見するのがほぼ日課と化している。
      • 毎日3枚ずつqueueから投稿するように設定してある http://mbr-ry.tumblr.com/ はとうとう2年半で総reblog枚数2000枚を記録しつつある模様。
      • 昔は枚数を稼ぐために猫の写真と空&海の写真の2種類をReblogしてたのだけども、タグをフォローする機能が付いてから空&海画像を探すのが非常に楽になって*2、今年は3月からは空と海の写真だけに絞って900photosほどReblogしたようだ(今数えた)。
      • もうひとつ、文字やネタ中心にこっそりreblogしている方は大体2年間、1日3posts(ここ半年くらいは6posts)で2600postsを過ぎた辺り。継続は力…なのか?これは?*3


で、この5ヶ月間にあったことを、年末のまとめついでに振り返ってみると、「メートル原器*4マジ大事」という事になりそうです。

  • メートル原器の詳細:「比喩的な表現になってしまうが、自分がこの研究室から持ち出したのは精巧かつ頑丈なメートル原器のようなもので、叩いたり投げ飛ばしたり水に漬けたり火にくべたりしても、表面に傷こそつくが原器としての役割は損なわれず、いかなる環境でもある一定の長さを正確に示すもののように思う(その長さをどう使うかはさておき)。」
    • 去年の12月の日記では折り合いとか口にしているけども、その数ヵ月後にはこのメートル原器をボス(新・旧両方)に向かって全力でぶん回すことになっ(ry*5
    • さらに、今年も後半になってから同じような価値観(=メートル原器もどき)を持っている人が周囲に結構現れるようになって、ずいぶん気分が楽になった。やっぱりあれですよ、いくら精巧かつ頑丈でも、たまには似た誰かのものに当てないと目盛りが狂ってきてるんじゃないかと不安になりますよ。いや、目盛りは狂ってなくても、読み手の自分の眼が狂ってきてるかもしれないとか。
    • ちなみに、仕事の件に限らず、この自分の中のメートル原器らしき何かでもって現実を測ってみて、現実がどう見えてそれに対してどう行動するか、を色んな事に対してもうちょっと意識的にやってもよさそうだ、と感じたり。


その他にもいろいろと書けそうなネタがあったりなかったりしますが、それは年明けの通常更新(できるのか?)で載せようかと思います。

  • 一度こうして書き始めると、記憶の底に沈んでいたものが次々と浮かび上がってくる。これだから物を書くのはへぴゅへぴゅーですよ(へぴゅーの所は各自適当に補って下さい)。


というわけで(ry

*1:飲み会は半年に一回あったら大満足とか

*2:#seascape追ったら空&海写真に困らなくなった

*3:一体何の力がついているのかさっぱり不明

*4:http://d.hatena.ne.jp/mbr/20101228

*5:目上に向かって一体自分は何をしているんだろうか…。まあ、でも、仕方ないよね?(謎)へぴゅへぴゅへぴゅーですよね?(全く謎)

dire

恐ろしいことに1ヶ月が経ってしまった

そんな訳で、今月は出張など特に大きなイベントが無いにもかかわらず気が付いたら1ヶ月が経過していて、自分の時間感覚に不安を抱く今日この頃です。

  • カレンダーを片手に、色々なものをひっくり返して自分が何をやっていたのかを確認しないと、何があったのか思い出せないレベル。
  • 本業:一段落→光の速さで状況逆戻り→再び一段落。
    • 数ヶ月前(日本に帰国していた時期を含む)から「(そういう方向でやることになってはいるけど)正直無理すぎるだろ…」と周囲に言っていた件が、まさにその通りになった。
    • 最初から100%無理だというのが自分の予想だったので残念な気持ちは全く無い(むしろ予想通りになった安心感すらある)。かといって、その無理ネタを振ってきた相手に「それ見た事か!」と言うのもさすがにどうかと思うので、粛々とスルーして次に行く事にする。
  • その他1:今年も独立記念日の花火を見にDCまで出かけた。去年よりもさらに花火に近いところで鑑賞したために、上から降ってくるものに苦しめられる。そして去年同様、訳の分からないところまで歩いてからメトロに乗る。
    • 別段花火が好きな訳でも、DCに行きたい訳でもないのだけれど、なんとなく行っておかないといけない気分になるのは何故だろう。
  • その他2:こちらに来て初めて映画を見に行った。しかし英語が分からないので雰囲気で理解するしかない。しかも、そもそも映画自体が雰囲気重視でストーリーなんてあってないようなものだったので、なおさら雰囲気理解で何とかなってしまった。
    • 日本にいたときには数年に1度しか映画を見に行かなかった事を考えると、これがアメリカでの最初で最後の映画になる可能性も無きにしも非ず。
  • その他3:ひょんなことから家具が大幅に増えた。ソファーや椅子・机セットややオーブントースターなどが設置されて人間的な生活が可能に。
    • また入手して2週間程度なので、家具を見ると違和感を感じる。
    • そして「自宅を快適にすればするほど、家から一歩も外に出ない確率が上がる」という自分の習性を思い知る。
    • しかし、どうも家具が多すぎて使いこなせない。椅子に座って机に向かっているときに、同時にソファーを堪能できないことを心のどこかで残念がっている。こうなったら分裂して同時使用するしかない(どうやって)。


他にもいろいろと出来事&思う事はあるのですが、まだ現在進行形なのでまたそのうち書けたら書きます。

  • 時間が経たないと結果が出ない類のあれこれ。うまくいくといいなあ&これが先々まで良い影響を与えるといいなあ、というぼんやりした願いはあるけれども、果たして。


というわけで(ry

arbitrary

気が付いたら6月が終わりつつある

この間、2週ほど日本に出張してみたり、最初の週に大阪の学会に行ったと思ったら次の週に東北にぶらっと行ってみたり、その次の週には逆に友人が日本から観光に来たりとイベントは多かったのですが、意外と新しく感じた事(で文字に出来る事)は少なかったりします。

  • 文字に出来る事は大体もう書いてしまって、文字にしにくい事を多めに経験した1ヶ月だった。
    • 書いてしまった事の一例:「(学会にて)やっぱり自分はこのコミュニティで育ったのだ」等。
    • 文字にしにくい=話題として大っぴらに語るのはよろしくなさそう、と、自分がどう感じているかいまいちわからず記述しにくい、の両方。後者は時間がたてば文字になるとして、前者をオープンにするには言葉を選ばないといけないので難しい。


というわけで(ry

reckoning

ついに、人生初の渡米からちょうどぴったり1年が経とうとしています。

  • 1年前の2010年5月26日水曜日、午後4時の便で旅立ったのだった。
  • とりあえず当初思い描いた最も悪いシナリオのいくつかは発生せずに済んだ。具体的には「行く途中で飛行機事故に遭う」「来て数ヶ月後、あまりのストレスで気が変になり最終的に1年未満で日本に連れ帰られる」など。
  • 未来のために書き残しておいた、1年前の旅立ちの日の発言2件を転載。

いよいよ旅立ちの日。さらば、色々なあれこれよ。
6:39 AM May 26th, 2010 webから

http://twitter.com/mbr_br/status/14719016249

成田行きのバスの車内で考える。今回のこの渡米にはいろいろと思うことがあるが、言葉にしにくい。一つだけクリアなのは、これが(人生最大に成りうるかもし れない)大きな賭けであることくらいか。正直あまり勝ち目があるとは思っていないが、勝負無しに真に何かを得ることはできないとも思っている。
11:51 AM May 26th, 2010 Keitai Webから

http://twitter.com/mbr_br/status/14736014553
  • 結局「さらば」したもののその後1年近く前ラボの仕事を平行してやっていたし、12月には数日間出勤するはめになるし、また今度の6月には日本の学会で発表するために一時帰国するし、全然さらばではない現実。
  • 「人生最大の賭け」という表現は途中『書きすぎた』を経て『あんまり間違ってない』に戻ってきた。来て数ヶ月~半年くらいまでは大袈裟過ぎたと少々恥ずかしく思っていたが、諸事情から徐々に状況が変化して、昨年末から年明け、そして4月末をピークにして『紛れもなく大きな勝負』になってしまった。もちろん、当初想定していた内容(ぼんやりと想像していた、海外ポスドクにありそうな決意と苦悩と戦い的な何か)とは異なるのだけど、具体的ないきさつを話すと大体相手は驚愕するので多分大きな何かであることには違いない。*1

1年経って思うのは、最初のうち自分が個人的な悩みだと思っていたいくつかの事柄は全然個人的ではなく、このInstituteのポスドクにそれなりに共有されている、おそらくこのInstitute特有で、常勤のStaff Scientistにはあまり縁のない、ポスドクにしか感じられない悩みであったらしい、ということだったりします。

  • いわゆる万国共通の「次の職どうしよう」問題とは別に、組織の運用形態*2的にポスドクが活動しづらい部分があるため。
    • この悩みはポスドクが溢れ返ってる日本だとあまり発生しない気がする。
  • ちなみに、キャリア問題は皆それぞれの国の事情があるので意外とネガティブな方向にはならない。まあ日本は先日のNatureの記事にもあるようにワーストケースの筆頭みたいな扱いなので、英語に不自由しているついでにしれっと黙っておくわけですが。だって口を開いたら自虐以外言う事が(ry

その他の小ネタ:

  • 同じ建物の日本人同僚に1年も経って今更「えっ東京工業大学って理学部あるの?!」とか冗談抜きに言われる。この同僚は曲がりなりにも関東地方出身で、学部は東北にある旧帝大(先日の震災で多大なダメージを被った)の理学部生物なのに、この言いようはないだろうとさすがに思う。
    • (自分のリアクション要約)「工業工業ってやっかましいわ!工業大学の生命系だからって勝手に生命工学科とか決めるなッ!自分が出たのは生命『か・が・く』科なんだよ!違うッ化学じゃなく科学だッ!学士・修士・博士、全部理学なんだよ、悪かったな!」
    • 文系の方に言われるのはいいのですよ、実態を知らなくて普通ですから。でもねえ理系でねえ(ry
    • 腹立たしいので懇切丁寧に類の説明をする。ついでに転類の説明までする。なんでアメリカまで来て日本人にうちの大学の説明をしなければなりませんか?
  • 日本は先輩後輩関係が厳しいとよく言われるが、さらに厳しい国も存在するらしい。具体的には韓国とかインドとか。
    • アメリカに来てまで持ち越される「同じ大学の先輩後輩」関係。そして後輩に押し付けられる雑用の量が半端ない模様。多分日本語で言うところのパシリ扱い。それが何歳になっても、世界のどこに行っても発生する恐ろしさ。
    • そしてふと「…NIHに自分の先輩に当たる人はいるんだろうか?」と疑問に思う。今のところ会った事はない。さすが工業大学(余裕で自虐)。
  • とか何とか言ってたらなにやら爆発事故が起きたらしいですが、自分の知る限り前にも似たような事故(火災)があったので「またか」と思っていたら実は今回は結構な被害だったらしいです。

追記:
折角なので大学ネタをさらに追加。
おめでとう! 東京工業大学130周年! | ギズモード・ジャパン

  • 自分は1981生まれなので、実は大学とちょうど100歳違いだったりします。
  • それ以外にも個人的に、5月26日は入学当初から様々な事情により印象深い日でした(参考:http://d.hatena.ne.jp/mbr/20060524。2000年/2006年の5月26日の2日前の水曜日についての抽象的ないろいろ)。
    • で、1年経ったし130周年だしこっそり暴露すると、実は渡米の日を5月26日の水曜日に設定したのは、上記のあれこれを踏まえてのことだったりします。


というわけで(ry

*1:ただしこれは自分の想像の範囲が狭すぎたというのもあるにはある=そういう話を全く聞かないわけではない。しかし自分がまさかその方向に行くとは全然思っていなかったので(ry

*2:常勤の研究者の人数が半端なく、彼らが淡々と組織&データベースを維持している

synchrony

近況(主に仕事の)

そんな訳で、このままいくと月2回はおろか月に1回も更新しないというゆゆしき事態が発生しそうなので、前回の前振り(仕事の話はまた後日)を引き継ぐ形で今回は仕事周りの近況を中心に記録します。

  • 仕事周り=仕事そのものの状況+仕事場で起きた出来事


1.ようやくN大の重力から解放された

  • いきなり前の職場の話になってしまうのだけども、ちょうど1年前、http://d.hatena.ne.jp/mbr/20100515で書いていた「ほとんど水の入っていない水槽から水を掬いだすような行動」がついに結実し、世に出て行くことがつい先日、決定した。
    • 実のところ、これが形にならなかったら自分にはポスドクを(表面的に取り繕う事はできても)続ける資格はないだろうとずっと思っていたので、今はただほっとしている。*1
    • この1年とちょっと、旧職場のボスに半泣きになって何か*2を叫んだり、よりにもよって新職場のボス&同僚が競争相手になったり部分的に先を越されたり、年末に日本に帰って(新ボスにはバケーションと言われながらも)実際は名古屋にリバイスをやりに行ったり*3、リバイスの方針で旧ボスにこれまでになく強く反論されたり、かと思えば「くよくよしない覚悟でやれ」と言われてみたり、それじゃあくよくよしないためにとレビュアーに全力でぶちきれてみたり*4、それを新職場の別の同僚にたしなめられたりと、書き出すとそれなりにめちゃくちゃな展開だった。
    • 新しい職場に行ってもこの旧職場の仕事を平行して進めていたために、自分の中で両者の違いが鮮明になりすぎた感もある。


2.面白さと重要さ、または後付けの興味

  • 上の「両者の違い」に関連して、最近、何をもって「この研究テーマor研究分野はおもしろい」とするのかについて、ぼんやり考える事が増えた。
  • 明確なきっかけは進化生物学の同僚の「この前、構造生物学でノーベル賞を取った人の講演を聞きに行ったが、はっきり言って面白いと思えなかった」との言葉。
    • その同僚の知人の発言だという「構造生物学の人間はこんなつまらないことをやってるのか!」はさらにインパクト大。ノーベル賞形無し。
    • いやいや、あれは面白い部分もあるのですよと説明しながら、ふと違和感を覚える。言われてみれば自分だって、学部の3年の時は「構造生物学なんて、全ッ然興味なかった」し、未だにどこかでは嫌悪感を抱いている*5のだから、面白くないと言われて「ですよねーあんなのの何が面白いんですかねー」と返しても何の不思議もないのだった。でも構造生物学にかなり近い分野で学位取ってるこの事実。
  • 「自分はいつ、この分野の面白さを理解したのだろうか。未だに感覚的には『何が面白いのかさっぱりわからない』にも関わらず、なぜ面白さを説明しようとし、ある程度は出来てしまうのだろう?」
    • 無条件で「おもしろがれてしまう」*6のとは違う、後から身につけた「面白さの基準」。一体これをどうやって獲得したのか思い返すに、やはりそれは学部4年〜ポヌドク時代の7年間で、指導教官や交流のあった他ラボのスタッフの方々、さらには学会で会った&自分の研究発表にリアクションをくれた人々の様々な価値観を少しずつ『コピー』してきたからなのだろうという結論に達する。もっと明け透けに書いてしまえば、彼らがあれがこんな風に面白いといって喜ぶ姿を眺め耳を傾けつつ自分もなんとなく楽しい気分になっているうちに、彼らと同じ理屈を使って同じリアクションを取るようになってしまった、のだった。
    • ここでひとつ重要なのは、「自分に直接指示を下す人間以外の価値観」に触れる機会が十分あったことのように思う。たとえコピーと言えども、その中での取捨選択は行われていて、誰か一人を完全に受け入れなければならない訳ではない。逆に言えば、コピーのための価値観が一つしかない状況は、非常に苦しい。
    • もうひとつ、自分が面白いと錯覚するのは「その分野または他の分野にとってはっきりと重要である」場合であることにも思い当たる。分野にとって重要=特定の個人にとって面白いでは決してないのだが、自分の場合はその二つがごっちゃになりやすい*7。実際、上で述べた価値観のコピーが完了するまでの間(学部から修士終わりくらいまで)は、自分のテーマがいかに重要であるかがやる気の源泉だった。
    • 結局のところ、少なくとも自分は複数の他人に「これはこんな風におもしろい/重要だ」と年単位で色々な側面から説明されまくっていれば自分が面白いと思わなくても学位を取るくらいには続けられるし、そのうち勝手に面白いと錯覚して独りで勝手に何かやり出すかもしれないしやり出さないかもしれない、というところだろうか。


さて、実は今回がこの日記の600日目の更新になるのですが、切りのいい数字に合わせて割とまともな話が書けたのでこっそり満足しています。

  • 600回記念にかこつけて後者はもっといろいろ具体的に書いてもいいが、事態がやや現在進行形なのでひとまず自粛。1のN大ネタのように、1年後くらいに何か書けるととても良いのだけれども。


というわけで(ry

*1:ただし、何故そう思ったのかその根拠を聞かれると、そこまで確かなものはないのでやや困るのだけども。

*2:当時の日記が手元にあるので内容は覚えているがここには記さない

*3:http://d.hatena.ne.jp/mbr/20101228

*4:注:後悔のないようにやれと言われると、とりあえず後先考えず無茶をするのは自分の人生においてよくあるパターン

*5:これについては学生時代からラボの何人かには明言していた

*6:個人的には、この「無条件の面白さ」は同じ感性を持たない他人に説明できないと、あまり価値のあるものではないと感じる。もちろん、自分ひとりで楽しむ分には何の問題もないのだけども。

*7:これは性格的なものだと思われる。このタイミングでむりやり昔やったstrenghfinder(http://d.hatena.ne.jp/mbr/20090111)を持ち出すなら、回復志向という言葉で説明できる

April

気が付いたら1ヶ月日記を更新していない事に気づいた、のでさくらまつりの画像でもアップする

どうも最近、Twitterでちょこちょこつぶやいたり、はてなブックマークでコメントを書いてみたり、TumblrでReblogしてみたり、別Tumblrで独り言Twitterもどき*1やったりと「アウトプットに順ずる行動」を取り続けていたら、ここに書くべきことが全然浮かばなくなってしまっていました。

  • 少なくとも仕事の話に関しては日記にまとめるタイミング(区切りのいいところ)が4月を通り越してしまった、というのもあったり。

そんな訳で、4月のまとめを(Twitter他にあまり書かなかった内容を中心に)この1エントリで何とかやってみたいと思います。

  • 一般的な話と仕事に関する話を書こうとしたら、前者だけでかなりの量になってしまったので後者はまた後日。5月の10日までに書けるとややハッピー。
  • で、実のところ一般的な話といっても、ネタとしてはさくらまつりとまどかマギカしかないのだけども(これだけで気分的におなかいっぱい)。


【さくらまつりの件】

  • 4月上旬はDCで開かれていた「さくらまつり」に行ってきた。人生で初めて、屋台で天丼を買って歩きながら食べるという経験をした。
  • そして集っている有志のコスプレイヤーの方々。むしろ公式イベントの中にコスプレイヤーさんを集めて紹介する時間があったりなど。日本=アニメの構図を積極的に打ち出しているような。


↑公式ステージで開かれていた「アニメUSA」イベントの一幕。他の人々もかつらやら衣装手作りやら手間をかけまくっていたが、この人だけ羽を担いでいてさすがだった。インタビュアーは「このキャラは何のキャラ?」「どれくらい準備した?」「コスプレはよくしているのか?」など聞いていたが、なにせ数が多い(10人以上?)上に、質問が毎回同じなので徐々にグダグダになっていった。

    • これに関連してふと「一国の首都で、ある国に特化したイベントをやるとか、あんまり例がないのでは」という話を日本人同僚(オランダ滞在経験あり)にしたら、「ああ、でも、長崎のハウステンボスはオランダ人からすると『何故作ったし』って感じらしいですよ*2」という返事を貰った。何故だか妙に納得した。
    • ハウステンボスよろしく、この祭もいわば「アメリカから見た日本」を具現化した祭なので、本物の日本人にとってはうれしくも(誇張や作り物感が)悲しいイベント…だというのが正直な感想。
      • 写真には撮らなかったが、折鶴が売られていたり、新幹線の模型の展示をやっている屋台もあった。もちろん、先の震災について募金を集めるブースもあった。


左:高度にアメリカナイズされた盆栽はガーデニングと区別が付かない。
右:当然のように道端にいる鏡音レン(後姿)。むろん、ここは舞台でもなければコミケでもない。舞台にあがっていた人々よりもナチュラルにレベルが高いと思ったのは自分だけではないはずだ。



上:日本酒テイスティング。梅酒はワインなのかとか、6種で25ドルはさすがに高すぎやしないかとか考えてはいけない。
下:神道もまた出張屋台と化す。近くを通りがかったとき、「Shintoとは何か?」「どうやって参拝するか?」などが書かれたパンフレット群を配られて、ふと新興宗教の勧誘を連想したなんて事は畏れ多いのでもちろん無い。



    • と、こんな具合に日本ならぬ「ジャパン」風味溢れるこの祭の中で、たった一つ、一切の作り物感を排した、まさに生の日本を伺えるのぼりを見つけたので貼っておきたい。


フレッシュ素材をふんだんに使ったジェラート!!!!

    • なぜか異様に並んでいたので残念ながら食べるのは諦めたが、この素晴らしく安っぽいのぼりは、まさに最も日本にありふれていたものだと断言できる!とかなんとか言って勝手に感動して思わず写真に撮ってしまった。
    • その後、DCの桜を見に行った。色味(DCの方が白っぽい)や葉の出方(花がまだ残っているうちから葉がかなり出ている)など、どことなく日本の桜と違うような感じがしたがはっきりとしたことは分からなかった。



上2枚:DCの桜(Tidal basin付近)。画像クリックで拡大。
下:参考画像。昨年名古屋港のそばで撮った桜。



まどか☆マギカの件】

  • 4月の下旬は様々なあれこれ(主に海外にいる事にいるハンデ)を何とか解決し、まどか☆マギカの11・12話を見ることに成功した。個人的に8話のさやかの崩壊っぷりが強く印象付けられすぎていて、最後の「神エンド」は完全なハッピーエンド以外の何物でもないと思ってしまった。が、ネット上の感想を見る限り、そういう受け止め方は少ないようだ。
    • 確かに虚脱感や、寂寥感がまったくないとは言わないが、今まで死ぬ間際に絶望してきた無数の人々(含むまどか本人)が、苦しまずに人生を閉じられるようになった、というのはおそろしくいいことだと思うのだが。
    • 大どんでん返しではないけれど、1話〜10話にある材料で組み立てられる最も良い終わり方、という印象。
    • そもそも普段アニメ見ないので批評するほどの知識はない、のであくまで感想。
    • ちなみにさくらまつりにはまどマギコスプレの人は見かけなかった。やっぱり流行は遅い。本物のコミケじゃないというのも大きいとは思うけども。


というわけで(ry

*1:http://mbr-br.tumblr.com/

*2:正確には、敷地中にいくつかある、オランダの著名な建物のレプリカ?についての発言。なぜそんなん建てるの?ということらしい。詳細は忘却。