not so dusty
昨日一日くたばっていたら、今日ようやく疲労から立ち直りました。
- 様々な要因が重なりすぎて(ry
そんな訳でいろいろとここ数日(夏の学校)のことを思い返しているのですが、やはり印象としては「見てしまったからには突っ込まずにはいられない」と、「幻想がとれてくる」の二つが大きいように感じます。
- 前向きで目をキラキラさせている状態にはやはりついていけない。キラキラさせながらやや自画自賛*1モードに突入されると、もっとついていけない。
- そしてまた、話を聞くことによる「隣の芝は青い」から「隣の芝も大したことない」への変化。
- 結局のところ、自画自賛にせよ隣の芝にせよ「ちゃんと見えてない」が故のことで(ry
ふと思うのは、痛い目酷い目に遭うと否が応でも様々なものを見る羽目になる=そういう類に見舞われてはじめてきちんと物を見えるようになる、ということだったりします。
- 不自由していない人には不自由さが分からない、これ人類普遍の原理。
あとは「やっぱり完全なものなんてないし、やっぱりみんな人間なのだよなあ」というある種の気だるさを強く感じたりもしました。
- 脳の情報処理のモデル化が云々という研究をしている人に、「そうやってモデルを考えている貴方の頭そのものも、そのモデルで動いているんですよね?」とか訳の分からない質問をしてみたかったりとかそういう(会場ではとっさに思いつけず)。
- モデル化という作業に憧れた時期もあったのだけれども、やっぱり川で砂金取りしている(もしくは何かの鳥のように、地面をあちこち突っつきまわって餌を探す)*2方がピンと来るなあ、などとも。
というわけで(ry