はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
まとまった文章が中心。日々の短文はmb(ryにあります。

synchrony

近況(主に仕事の)

そんな訳で、このままいくと月2回はおろか月に1回も更新しないというゆゆしき事態が発生しそうなので、前回の前振り(仕事の話はまた後日)を引き継ぐ形で今回は仕事周りの近況を中心に記録します。

  • 仕事周り=仕事そのものの状況+仕事場で起きた出来事


1.ようやくN大の重力から解放された

  • いきなり前の職場の話になってしまうのだけども、ちょうど1年前、http://d.hatena.ne.jp/mbr/20100515で書いていた「ほとんど水の入っていない水槽から水を掬いだすような行動」がついに結実し、世に出て行くことがつい先日、決定した。
    • 実のところ、これが形にならなかったら自分にはポスドクを(表面的に取り繕う事はできても)続ける資格はないだろうとずっと思っていたので、今はただほっとしている。*1
    • この1年とちょっと、旧職場のボスに半泣きになって何か*2を叫んだり、よりにもよって新職場のボス&同僚が競争相手になったり部分的に先を越されたり、年末に日本に帰って(新ボスにはバケーションと言われながらも)実際は名古屋にリバイスをやりに行ったり*3、リバイスの方針で旧ボスにこれまでになく強く反論されたり、かと思えば「くよくよしない覚悟でやれ」と言われてみたり、それじゃあくよくよしないためにとレビュアーに全力でぶちきれてみたり*4、それを新職場の別の同僚にたしなめられたりと、書き出すとそれなりにめちゃくちゃな展開だった。
    • 新しい職場に行ってもこの旧職場の仕事を平行して進めていたために、自分の中で両者の違いが鮮明になりすぎた感もある。


2.面白さと重要さ、または後付けの興味

  • 上の「両者の違い」に関連して、最近、何をもって「この研究テーマor研究分野はおもしろい」とするのかについて、ぼんやり考える事が増えた。
  • 明確なきっかけは進化生物学の同僚の「この前、構造生物学でノーベル賞を取った人の講演を聞きに行ったが、はっきり言って面白いと思えなかった」との言葉。
    • その同僚の知人の発言だという「構造生物学の人間はこんなつまらないことをやってるのか!」はさらにインパクト大。ノーベル賞形無し。
    • いやいや、あれは面白い部分もあるのですよと説明しながら、ふと違和感を覚える。言われてみれば自分だって、学部の3年の時は「構造生物学なんて、全ッ然興味なかった」し、未だにどこかでは嫌悪感を抱いている*5のだから、面白くないと言われて「ですよねーあんなのの何が面白いんですかねー」と返しても何の不思議もないのだった。でも構造生物学にかなり近い分野で学位取ってるこの事実。
  • 「自分はいつ、この分野の面白さを理解したのだろうか。未だに感覚的には『何が面白いのかさっぱりわからない』にも関わらず、なぜ面白さを説明しようとし、ある程度は出来てしまうのだろう?」
    • 無条件で「おもしろがれてしまう」*6のとは違う、後から身につけた「面白さの基準」。一体これをどうやって獲得したのか思い返すに、やはりそれは学部4年〜ポヌドク時代の7年間で、指導教官や交流のあった他ラボのスタッフの方々、さらには学会で会った&自分の研究発表にリアクションをくれた人々の様々な価値観を少しずつ『コピー』してきたからなのだろうという結論に達する。もっと明け透けに書いてしまえば、彼らがあれがこんな風に面白いといって喜ぶ姿を眺め耳を傾けつつ自分もなんとなく楽しい気分になっているうちに、彼らと同じ理屈を使って同じリアクションを取るようになってしまった、のだった。
    • ここでひとつ重要なのは、「自分に直接指示を下す人間以外の価値観」に触れる機会が十分あったことのように思う。たとえコピーと言えども、その中での取捨選択は行われていて、誰か一人を完全に受け入れなければならない訳ではない。逆に言えば、コピーのための価値観が一つしかない状況は、非常に苦しい。
    • もうひとつ、自分が面白いと錯覚するのは「その分野または他の分野にとってはっきりと重要である」場合であることにも思い当たる。分野にとって重要=特定の個人にとって面白いでは決してないのだが、自分の場合はその二つがごっちゃになりやすい*7。実際、上で述べた価値観のコピーが完了するまでの間(学部から修士終わりくらいまで)は、自分のテーマがいかに重要であるかがやる気の源泉だった。
    • 結局のところ、少なくとも自分は複数の他人に「これはこんな風におもしろい/重要だ」と年単位で色々な側面から説明されまくっていれば自分が面白いと思わなくても学位を取るくらいには続けられるし、そのうち勝手に面白いと錯覚して独りで勝手に何かやり出すかもしれないしやり出さないかもしれない、というところだろうか。


さて、実は今回がこの日記の600日目の更新になるのですが、切りのいい数字に合わせて割とまともな話が書けたのでこっそり満足しています。

  • 600回記念にかこつけて後者はもっといろいろ具体的に書いてもいいが、事態がやや現在進行形なのでひとまず自粛。1のN大ネタのように、1年後くらいに何か書けるととても良いのだけれども。


というわけで(ry

*1:ただし、何故そう思ったのかその根拠を聞かれると、そこまで確かなものはないのでやや困るのだけども。

*2:当時の日記が手元にあるので内容は覚えているがここには記さない

*3:http://d.hatena.ne.jp/mbr/20101228

*4:注:後悔のないようにやれと言われると、とりあえず後先考えず無茶をするのは自分の人生においてよくあるパターン

*5:これについては学生時代からラボの何人かには明言していた

*6:個人的には、この「無条件の面白さ」は同じ感性を持たない他人に説明できないと、あまり価値のあるものではないと感じる。もちろん、自分ひとりで楽しむ分には何の問題もないのだけども。

*7:これは性格的なものだと思われる。このタイミングでむりやり昔やったstrenghfinder(http://d.hatena.ne.jp/mbr/20090111)を持ち出すなら、回復志向という言葉で説明できる

April

気が付いたら1ヶ月日記を更新していない事に気づいた、のでさくらまつりの画像でもアップする

どうも最近、Twitterでちょこちょこつぶやいたり、はてなブックマークでコメントを書いてみたり、TumblrでReblogしてみたり、別Tumblrで独り言Twitterもどき*1やったりと「アウトプットに順ずる行動」を取り続けていたら、ここに書くべきことが全然浮かばなくなってしまっていました。

  • 少なくとも仕事の話に関しては日記にまとめるタイミング(区切りのいいところ)が4月を通り越してしまった、というのもあったり。

そんな訳で、4月のまとめを(Twitter他にあまり書かなかった内容を中心に)この1エントリで何とかやってみたいと思います。

  • 一般的な話と仕事に関する話を書こうとしたら、前者だけでかなりの量になってしまったので後者はまた後日。5月の10日までに書けるとややハッピー。
  • で、実のところ一般的な話といっても、ネタとしてはさくらまつりとまどかマギカしかないのだけども(これだけで気分的におなかいっぱい)。


【さくらまつりの件】

  • 4月上旬はDCで開かれていた「さくらまつり」に行ってきた。人生で初めて、屋台で天丼を買って歩きながら食べるという経験をした。
  • そして集っている有志のコスプレイヤーの方々。むしろ公式イベントの中にコスプレイヤーさんを集めて紹介する時間があったりなど。日本=アニメの構図を積極的に打ち出しているような。


↑公式ステージで開かれていた「アニメUSA」イベントの一幕。他の人々もかつらやら衣装手作りやら手間をかけまくっていたが、この人だけ羽を担いでいてさすがだった。インタビュアーは「このキャラは何のキャラ?」「どれくらい準備した?」「コスプレはよくしているのか?」など聞いていたが、なにせ数が多い(10人以上?)上に、質問が毎回同じなので徐々にグダグダになっていった。

    • これに関連してふと「一国の首都で、ある国に特化したイベントをやるとか、あんまり例がないのでは」という話を日本人同僚(オランダ滞在経験あり)にしたら、「ああ、でも、長崎のハウステンボスはオランダ人からすると『何故作ったし』って感じらしいですよ*2」という返事を貰った。何故だか妙に納得した。
    • ハウステンボスよろしく、この祭もいわば「アメリカから見た日本」を具現化した祭なので、本物の日本人にとってはうれしくも(誇張や作り物感が)悲しいイベント…だというのが正直な感想。
      • 写真には撮らなかったが、折鶴が売られていたり、新幹線の模型の展示をやっている屋台もあった。もちろん、先の震災について募金を集めるブースもあった。


左:高度にアメリカナイズされた盆栽はガーデニングと区別が付かない。
右:当然のように道端にいる鏡音レン(後姿)。むろん、ここは舞台でもなければコミケでもない。舞台にあがっていた人々よりもナチュラルにレベルが高いと思ったのは自分だけではないはずだ。



上:日本酒テイスティング。梅酒はワインなのかとか、6種で25ドルはさすがに高すぎやしないかとか考えてはいけない。
下:神道もまた出張屋台と化す。近くを通りがかったとき、「Shintoとは何か?」「どうやって参拝するか?」などが書かれたパンフレット群を配られて、ふと新興宗教の勧誘を連想したなんて事は畏れ多いのでもちろん無い。



    • と、こんな具合に日本ならぬ「ジャパン」風味溢れるこの祭の中で、たった一つ、一切の作り物感を排した、まさに生の日本を伺えるのぼりを見つけたので貼っておきたい。


フレッシュ素材をふんだんに使ったジェラート!!!!

    • なぜか異様に並んでいたので残念ながら食べるのは諦めたが、この素晴らしく安っぽいのぼりは、まさに最も日本にありふれていたものだと断言できる!とかなんとか言って勝手に感動して思わず写真に撮ってしまった。
    • その後、DCの桜を見に行った。色味(DCの方が白っぽい)や葉の出方(花がまだ残っているうちから葉がかなり出ている)など、どことなく日本の桜と違うような感じがしたがはっきりとしたことは分からなかった。



上2枚:DCの桜(Tidal basin付近)。画像クリックで拡大。
下:参考画像。昨年名古屋港のそばで撮った桜。



まどか☆マギカの件】

  • 4月の下旬は様々なあれこれ(主に海外にいる事にいるハンデ)を何とか解決し、まどか☆マギカの11・12話を見ることに成功した。個人的に8話のさやかの崩壊っぷりが強く印象付けられすぎていて、最後の「神エンド」は完全なハッピーエンド以外の何物でもないと思ってしまった。が、ネット上の感想を見る限り、そういう受け止め方は少ないようだ。
    • 確かに虚脱感や、寂寥感がまったくないとは言わないが、今まで死ぬ間際に絶望してきた無数の人々(含むまどか本人)が、苦しまずに人生を閉じられるようになった、というのはおそろしくいいことだと思うのだが。
    • 大どんでん返しではないけれど、1話〜10話にある材料で組み立てられる最も良い終わり方、という印象。
    • そもそも普段アニメ見ないので批評するほどの知識はない、のであくまで感想。
    • ちなみにさくらまつりにはまどマギコスプレの人は見かけなかった。やっぱり流行は遅い。本物のコミケじゃないというのも大きいとは思うけども。


というわけで(ry

*1:http://mbr-br.tumblr.com/

*2:正確には、敷地中にいくつかある、オランダの著名な建物のレプリカ?についての発言。なぜそんなん建てるの?ということらしい。詳細は忘却。

temblors

近況(主に地震関連の)

3月も終わりに近づいているのですが、どうにも11日から後の記憶が曖昧で困ります。

  • 東北に近しい親戚等が全くいない&ぱっと思いついた知り合いの方は早々に無事が確認された上に、本人は日本から1万kmも離れていたにもかかわらず、素晴らしくエア被災*1しました。

まずは自分がどういう状態で過ごしていたかを記述しようかと思ったのですが、ちょうどタイミングよく、ほぼ完璧に同じ状況で過ごした人の記事を見つけたのでそのまま引用します。

一報を聞いて、息を飲んでから一週間、寝ている時を除けば、ほぼインターネットの前に張り付いた。刻一刻と変わる被害状況を、各新聞や通信社のウェブサイトで確認して回りながら、NHKが震災のために特別配信していたリアルタイム放送をネットで流しっぱなしにした。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110325/219150/


例の地震が起きたのはこちらの時間だと夜12時46分。

なぜかこの日に限って9時という小学生並みの時間に就寝した自分は、朝5時前に起きてPCに向かってだらだらしていたら何やらTwitterのタイムラインが騒がしい事に気づき、ようやく地震の発生を知りました。

  • 突然の事に混乱しすぎたのか、気象庁の震度情報の後、真っ先にTumblr(一説にはインターネットのテレビ東京の異名を持つらしい=情報源としては全然速報性がない)を開いてしまった。そして流れてくる市原のコンビナート火災画像。
    • しかし、そこでようやく、これが宮城だけの問題ではないと認識する。
  • たまたまアメリカ西海岸に滞在していて、ちょうど帰国間際だった知人が必死に情報を集めてはTwitterで流しているのを見て、概要を把握する。Foxを見ているというのでFoxをつけるが、短い間隔で繰り返される動画が何なのかさっぱり分からない。それは物凄い勢いで田畑を飲み込む名取市津波だったことを、あとで知った。
    • そうこうするうちにUstreamでのNHKのストリーミングの存在を知る。他のありとあらゆるメディアを一切よせつけない、圧倒的な情報量。
    • この後、ストリーミングが終了するまでの2週間ほど、この配信をつけっぱなしにしてCNN他アメリカのテレビ番組はたまにしか見なくなった(おかげで、英語に触れる機会が激減して会話レベルが悲惨な事になった)。
    • 後日、ケーブルテレビ等、各テレビ配信業者がTV Japanチャンネル(普段は日本のNHKや民放番組を織り交ぜて放送しているが、今回は緊急事態のためある程度NHK垂れ流し状態)を無料で配信していた事を知った。実はこの日記を書いている今もつけっぱなし。


あまりのことに呆然としながら正午過ぎになってようやくよろよろと職場に行き、それでも続報が気になって日経新聞のWebサイトを見ていたところ、今度はリアルタイムで「長野県で震度6強」の速報に出くわして、完全に意識がどうにかなりました。

  • 「なななな長野ッ?!ながの??!!ながの!!??なななんでながの?!」
  • しかも何度も来る強い余震。短期間のうちに次々と巨大な文字で震度を知らせる日経ウェブサイト(一度見れば分かるが、日経のウェブサイトの速報は新聞本紙の見出しよろしく大きな文字サイズで、記事の上部に表示される)。2度の余震の時には「うそだろ…!」と半泣きになった覚えが。今でも、あの巨大文字はややトラウマ。
  • 全容についてはこの記事があまりにも秀逸。アンサイクロペディアさん素敵すぎ:「http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E6%A0%84%E6%9D%91%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
    • 上記のアンサイクロペディアの記事についたはてなブックマークのコメントによると、日本だと深夜で、かつニュースがほとんど続報を取り上げなかったので、存在を知らなかった人がいる模様。リアルタイムで見てたら、全く揺れなくても本当に恐ろしい思いをしたというのに…。

そうしてその後も震災関連のニュースにかじりつき、関東の計画停電情報を実家に電話したりなど、続く土日をまるで関東にいるかのように過ごしながら、いい加減落ち着かないとと思った矢先、15日朝(EST)に静岡震度6強

  • この地震によって、関東南部に知人友人実家に出身小中高大学と、ありとあらゆるもろもろを抱えている自分の精神がぽぽぽぽーん。関東にいない自分の関係者でぱっと出てくるのは前にいたラボくらい。
  • 当然、NHKのストリーミングはつけっぱなし。リアルタイムの緊急地震速報で背筋が凍る。
    • ちなみに、あまりにも頻繁に速報が鳴るので、これまた一時期トラウマ気味に=パニック起こしそうになる前兆みたいな気分が誘発されやすくなって大弱り。
  • また、この地震も長野の地震よろしくメディアの扱いが酷い。そしてやはりアンサイクロペディアがいい仕事をしている:「http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E5%9C%B0%E9%9C%87_(2011%E5%B9%B4)


…で、そのまま浮上しそこない、この週は魂抜けっぱなしで費やしたような気がします(その次の週はゆるゆると復帰)。その間にも緊急地震速報でヒヤッとしたり等、NHKのストリーミングで日本の気分を存分に体験しました。

  • 正直に告白するなら、本当に最低限の仕事しかしていない状態。
  • しかし一歩外に出ると買占めも停電もない不思議。このギャップがとてもとても嫌。
    • あまり書くと誤解を招く可能性があるが、今を逃すと多分二度と書かないと思うのであえて。静岡での地震の後、1週間〜10日ほど「どうして自分はこんなところで無事でいるんだろう。どうしてあの、テレビの向こう側の世界にいないのだろう」という感覚が長いこと頭を占めていた。これは、NHK首都圏ニュース845とかのローカル番組を見たことによるホームシック(関東を離れてもうすぐ3年)と、子供のときから東海地震/第2関東大震災が来る来ると言われていたことによる「自分は関東南部の地震に遭うのだ」という強い思い込みによるものだと思われる。
    • 関東終末思想についての過去のTweet:http://twitter.com/mbr_br/status/19378181835。「先程帰り道で、なんで自分は「世界は滅ぶもの、平和な生活は破壊されるもの、自分はとっとと死ぬもの」と思いこんでいるのか考えていたところ、前世紀末の終末思想もさることながら、関東生まれ関東育ちゆえの「いつか必ず関東大震災が来て大被害」の刷り込みの影響が無視できない事に気付いた。


ようやく3月も終わりに近づいて、ストリーミングが去ったりネット上にACネタが出てきたり(=日本と民放が見れない自分との距離が広がって、自分の環境が冷静に捉えられるようになった良いきっかけだった。ありがとうあいさつの魔法!ありがとウサギ!)、なにより余震が収まってきたことで自分の気分も落ち着いてきたように思います。

  • 今回の事で、同じ日本人でも出身で温度差があるとしみじみ思った。
    • 今期もNIH内の英語のクラスに毎週出席しているのだが、日本人以外の人の「放射線はどうなの?」という質問には、ニュースと同じ内容を繰り返す以上の事は出来ない。
    • また、震災以来、毎週授業の冒頭に(英会話の練習の一貫として)教師に日本人何か言えと促されるのでとりあえず何か言うのだが、南関東人の自分としてはどうしても「長野で地震が!東海地震きたらどうしよう!(震災直後)」「今度は静岡で地震だ!富士山が(ry(1週間後)」「計画停電が長引いて来年にまで影響するかも!(2週間後)」とかの方に話題がシフトしてしまう。そして他に二人いる日本人は西日本の人なのもあってか、リアクション少な目。いや話題としてそもそも英語で説明するのが物凄く難しいというのもあるけれど。

とりあえず今は、ヨウ素とかプルトニウムとか原発とか、アメリカに来たときには全く想定しなかった語彙が次々と増えていて泣きそうです。

  • 最近はようやく他のニュースが増えてきたが、一時のCNNは常にスナミ!センダーイ!→フクシマダイイチ!リビア!(この二つがほぼ交互)→今は主にTEPCOが毎日連呼される。CNNでこんなに一企業の名前が連呼されまくるなんて!と思ったら、唐突にBPの原油流出事故を思い出した。あー…、これは…。
    • 全くどうでもいいが、仙台の発音はセン『ダ』ーイで、ダにアクセントが付く。


というわけで(ry

*1:実際に被災した訳ではないのに身体的、もしくは精神的に調子が悪くなる現象を指すネットスラング

noodle

就活絡みでカップ麺送ってきた某企業といい、研究室にカップ麺ってのはデフォルトなんだろうか?

たまにはポスドクっぽく(?)こういう話題を取り上げてみます。

/.では知らない人はいないであろうぷらっとホームが科研費払いで1万円以上購入するとカップ麺1箱プレゼント!キャンペーンを始めたところ、各方面から問題が指摘されキャンペーンの中止がアナウンスされた。詳細な対応は2月14日に発表される。


ご存じのように科研費の出所は税金であり、カップ麺の代金を科研費で払ったことに相当する事実上の不正経理である。


カップ麺とかじゃなくノートやペンの事務用品にしておけば(ry

  • 研究費で買える物をおまけにつける分にはきっと問題ない…ような。後から言い訳が出来るかどうかが全てなように思える。

で、案の定、その後の発言には飛行機は正規料金で乗るべきかとか、マイレージを溜めるのは許されるのかとかの話があったりとかします。

  • 渡米するまでマイレージとか一切溜めてなかった自分大勝利(単にずぼらなだけ)
    • 多分抜き打ちマイレージ検査とかやると、多くの大学教員が大ダメージを食らうに違いないと予想。っていうかみんな当たり前のように溜めるよね。何故に?
    • 多分ホテルの会員カード(ポイントが溜まるもの)とかも広義のマイレージに入るのだろうなあ、と思わなくもない。要は後で個人で使えてしまえるものを研究費から生成するのがいかんと。
  • 自分の知っている範囲では、旧国立大学のTK大およびN大は飛行機は半券出す必要がある&実費支払いで、陸路は特に提出物なしだったはず。でも某横浜の市立大学とかでは陸路でも領収書がいるという話も聞いたので、国立と公立の差はありそうな。
    • こっちに来てからまだ出張とかないので、今いる所の仕組みは分からず。今度誰かに聞いてみよう。

ついでなので、こちらの研究費絡みの余談:
なんとも恐ろしいことに、新年度予算が決まった関係で上から人員削減命令が来たらしいですよ。噂によればポスドクには影響ないみたいですが、影響を受ける(首を切られる)人は確実にいるらしいです。

  • 一応、部局トップから部局全員に送りつけられたメールによれば「大統領が発表した新年度予算は知ってるよね?」「あれでNIHからうちの部局も予算減らすよう言われたから」「で、とっても心苦しいけど、うちの部局の数あるプロジェクトのうち、XXは縮減で○○と△△は廃止ね!」らしいです。で、問題は自分がXXに属してい(ry
    • このメールを受け取った次の日、フロアによってはひそひそ話が半端なかったとかいう話も。
    • 他のポスドクさん曰く「規模の小さいうちですらX人削減なんだから、もっとでかいところじゃ一体どうなってるんだか…」。その時は同意したんだけども、今思い返すと「単にうちが要らない子扱いって可能性もあるよね?」というツッコミが可能なことに気づいた。今度言ってみよう。ついうっかりめっちゃ笑顔で口走らないように気をつけねば。
  • 書いてて思うのだけどもこういうのって守秘義務とかあるのだろうか?


というわけで(ry

maneuver

「言語操作能力」/早いものでもう2月ですよ!なぜだ!

そんなわけで自分を取り巻く現実世界、主に職場では最近もいろいろと衝撃的な出来事が起き続けていますが、その辺はまた今度記載することにして、今日は久しぶりに面白いと思える文章を見つけたのでそっちに取り掛かってみます。

タイトルの「論理操作能力」ってなんかライトノベルに出てきそうだ!と思ったらブックマークコメントで指摘されてたり、この言葉の意味が分からんから文意が分からんと言う人がいたり、かと思えばなんとなく想像すればわかるじゃんという人がいたり、こんな事書く奴は(ryという人がいたり、逆に、えっ凄い分かりやすかったよ?という人がいたり、リアクションが多様でまず驚きました。

  • 内容は、「東大行って思ったんだけど、生まれつき頭の回転が速くて反応速度が半端ない奴にはかなわないから、そいつらから仕事を奪われないように気をつけつつ、勝つ方法を見つけてうまく立ち回っていこうぜ!」という感じ(かなりはしょっている上に、筆者が強調したいところが適当な扱いになっている可能性大)。
    • この主張は分かるし、うまく攻撃をかわしたり、たまには何とか勝ってみたり、というのは必要な行動だと思うので、全面的に同意。ちなみに自分は普段からこういう事は結構考えているので、もし仮にこの文章が読みにくかったとしても多分理解できたと思われる(文章自体もそこまで読みにくくはなかった、はず)。

でもこの文章の面白みは内容の外、特に追記にあるような気がします。以下、興味深いいろいろ。

  • 自分の感覚に最もぴったりくる言葉を選び取ろうとする過程(なぜ情報じゃなく論理、なぜ処理じゃなく操作なのか)。
  • 定義したから自分の発明した言葉でも使ったっていいじゃないか、という主張。
  • 明確に定義された言葉の方が、世間に広まっているが何を指しているがいまいちぴんとこない曖昧な言葉より良いだろう、という主張。
  • シンフリとかシケプリ・シケタイ・シケ長とかいった言葉を知っていることは、僕が実際に東大卒である傍証にはなると思います。」という一文。

ぼんやりとした印象をあえて無理やり文章に落とし込むならば、これらの点に見え隠れするのは、言葉至上主義というか、それこそ言葉操作能力というか、言葉を高度に駆使しまくる、自分が言葉について持っている技術をぶんぶん振り回すのは全然問題ありませんよね?という態度な気がします。いや、多分無意識に駆使していて気づいてないに1票。論理操作能力と同じで勝手に発動しているんじゃなかろうか、にさらに1票。

  • 自分の感覚にあった言葉を選ぼうとする姿勢は凄い好ましいというか、素敵というか、いいなあと思うのだけど、その過程が明かされないと他人には分かってもらえないわけで。いきなりアウトプットだけ出されたら、他人は各々が持つ言葉のイメージで解釈するしかなくなってしまう。言葉のイメージは人によっていろいろなので、聞きなれない言葉の組み合わせは読み手に誤ったイメージを持たせてしまうかもしれない。
  • 定義してあればOKなのは原理原則であって、やっぱり分かりやすさを追求しようと思ったら、新しい言葉の発明は避けた方がよいのじゃなかろうか。自分にとってはぴったりでも、他の人にとってはそうじゃないわけだし、定義を理解する時間も必要なわけだし、時には何度も定義に立ちかえらないとならないわけで。知らない用語を一から理解するのって大変だよね。
  • 世間に出回っている=それだけその言葉を含む文脈が多く存在する→大量の文脈から意味を推し量りやすい、イメージが浮かびやすい、ということでもあるので、明確に定義されてなくても文脈がたくさんあるってだけで、十分アドバンテージのはず。「4本足の体長30cm程度の動物であり、全身は毛に覆われている。長い尾としなやかな体を持つ。顔は丸く正面に目を持ち…」ってな長々とした描写の代わりに「猫」なら一瞬で済むのとある程度同じ現象。
  • 自分は東大卒じゃないけど進振りとかシケプリとかは新聞にも取り上げられるほど有名な「東大用語」だから知ってるし、言葉を知っていることは証明にならないよ、言葉はそこまで万能じゃないよ、と。

とまあ適当に手に任せて書いたわけですが、多分この文章も無駄に冗長性が高い(元エントリより表現を借用)んじゃないかと思われます。今回は特に、なるべく難しい言葉を使わないようにして書いたので、一言で済むところが3語くらいになったりしてだらだら感がアップしてそうです。

  • でもそれもまた文章の雰囲気と言う奴じゃなかろうか、うん。


というわけで(ry

inflame

時差ボケしつつ風邪をこじらせると1週間早送りできる裏技

気が付いたらもうアメリカに戻ってきて1週間が経過していました。早すぎです。

  • 日本にいる間にやっておきたかった事が終わっていないのが手痛い。そしてタイトルの通り、時差ボケ→直りかけに風邪→風邪こじらす→この1週間は一体…?という流れ。
  • 基本的に風邪引いたくらいじゃどうってことないのですが、今回はどうも高熱が出たようだった&高熱が出ても自覚症状が少ない体質?なので普段から体温計を軽視→適当に収納→探し当てるのに失敗&解熱剤を飲むのが遅れる、の三連コンボ。
    • 体温計を探していたら解熱剤を見つけて、とりあえず飲んだら突然楽になって、落ち着いてからよくよく探したら解熱剤の下に体温計があるとか非常にありがちな、でも今までなかった体験をする。やっぱり熱が出ているときは注意力がへぴゅーへぴゅー状態ですよ。
  • そして熱にうなされながらも「熱が出たって英語で何て言うんだ」「体温計とか解熱剤とか英語で言えないぞ(今回使ったのは両方とも日本から持ち込んだもの)」「体温とか華氏で言えないんだけども!えーっとでも平熱が100度?だっけ?」「そもそも医者のかかり方がいまいちわかってない件について」とか色々考えてさらに熱を上げる活動に励むなど(やめましょう)。

また、こちらに戻ってきてから、仕事面で色々と新たなるカルチャーショックを受けたりしているのですが、それについては書けそうな時期が来たらぼんやりと放出する予定です。

  • とりあえず、日本に一時帰国する前にしていたとある邪推&今後の展開予想というのがあって、今それが大体当たっていたりさらに斜め上を行ったりしていて愉快痛快ぽぴゅぷぴゅー(ry
    • 端的に言えば、「あーやっぱりそうなってるわけね舞台裏」。


というわけで(ry

lever

もうすぐ再び日本から去るので思った事をまとめる

さほど分量無い上に非常に限定された範囲の話なのでTwitterで書けるかと思ったのですが、意外とまとめにくい&整理するのに十分なスペースが必要だと感じたのでここに書き付けます。

  • 「やばいポストの色忘れてたwww赤いwww」とか「コンビニで愛想よくへーベルハウスごっこ(『Hi!』)しなくても物が買える!」とか「すっごいどうでも良さそうなことをまったり議論しても許されて、しかも話が脱線しても戻す圧力がかからないとか幸せすぎる」とか、書こうと思えばくだらない事から仕事の仕方の違いまでなんだって書けるけれど、単なる経験のひけらかし以上の何かになりそうな気がしないので書かず。
    • そもそも仕事の仕方・進め方なんて、日米比較というより前のラボと今のラボの比較にしかならないわけで。

で、久しぶりに知り合いの方々と話してみて思ったことですが…

  • 分野外(非アカデミック)の同期と話したときは「海外滞在=海外出張や海外旅行の延長」という方面から理解されることが多く、大抵は「海外だとこんなことあるよね」トークに落ちるので割とやりやすかった。海外経験が多くない人は適当に想像の範囲内で思った事を言ってくれるのでこれもまた話しやすかった(注:自分も今回の渡米を除けば圧倒的に経験が少ないので、この「想像の範囲内」トークはとてもよく分かるし受け答えに窮することも少ない)。
    • 同期の一人に「で、アメリカに行ってどうよ?」と言われ、別の同期がすかさず入れた「『マイルがたまる』?」という茶々が最たる例。何かを期待しているわけではなく、あくまでニュートラルな「どうよ?」に答えるのはかなり難しいので、この茶々のおかげで相当助かった。
  • それに対してアカデミックな人たちと話すと「海外ポスドク=何かが特別」というフィルターを多かれ少なかれ感じるので、そこはかとなくやりにくい。このやりにくさの厄介なところは、この「何かが特別」をNIHに滞在している他のポスドクの人の言説からも感じることがあって、しかも「日本にいる人が抱いている『何かが特別』」と「海外にいる人が自負している『何かが特別』」がきれいにかみ合っているように思える点。
    • 「何かが特別」をもうちょっと展開すると、見えないハードルを越えて外に出た、とか、外の世界を体験した、とか。他にも色々ありそうだけれども言葉にしにくい。

今から書くのは今この瞬間に思っていることなので、後から撤回したくなりそうなことうけあいなのですが…
海外を無条件で賛美するのがアホらしいのと同じく、海外に行った人を無条件に特別視するのもアホらしくて、さらに言えば海外に行きたがる人をやたらと褒めるのも上記の「何かが特別」感を助長するので止めた方がいいように思えます。

  • 個人的には、どうしようもなく眠いから机に突っ伏して寝るくらいの気軽さと自然さとどうでもよさを持って海外行きをとらえたい(し、今はそういう気分で過ごしている)のですが、果たして。
    • つまりは「東京から名古屋に異動なんだって」と「名古屋からワシントンDCに異動なんだって」が同じスケールで語られるべきだよな、といったところか。職種や業種が変わるならまだしも、自分の場合やることほとんど変わってないんだから場所が変わったくらいで騒ぐべきじゃないな、とも。8ヶ月目に突入した時点での素直な感想。

ちなみに今日のタイトルの"lever"は、へーベルハウスのへーベルがドイツの会社であるhebel(てこ、英語ならlever)に由来しているらしいというあたりから来ています。

  • てこの原理はドイツ語だと"Hebelgesetz"の模様(Wikipediaから適当に探索)。
    • 英語タイトルシリーズに飽きたらドイツ語シリーズをやるのも楽しいかもしれない。


というわけで(ry