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「私が『私が博士課程に進学しなかった理由』を突破しちゃった理由」

はじめに、タイトルと矛盾するようですが自分は原則「博士ダメ、絶対」派であることを宣言しておきます。

  • 理由は他の方々が散々指摘しているように「博士行くと先々大損するからやめなよ」というのに尽きます。今でもその迫りくる大損を直視し続けている立場として、「やめなよ」と言いたい。声を大にして。

そんな訳で、今から書くあれやこれやは、あくまで「如何にして立ちふさがる『進学しない理由』をスルーしたか」の記載で、間違っても「こうやって突破しちゃいなよ」という誘いではありませんので念のため。

  • その辺、「しちゃった」の言い回しからも感じ取って頂けるとありがたいところです。

突破の過程

まず、「進学しなかった理由」として黒影さんが挙げてくれている3つの(一般的な)項目は、当然自分にとっても無視できないものでした。


>1.経済的な問題
>2.バイオ系博士卒の先行きの見えなさ
>3.自分の適性と「売り時」を考えて


■1の「経済的な問題」について
はっきり言って、自分の家は裕福とは程遠いと思われます。大学ならいざ知らず、高校から奨学金+授業料免除のお世話になっている人はそう多くないでしょう。
大学に入ってからも常に授業料免除+奨学金(日本育英会1種及び2種(きぼう21)の貸与額最大=月額14.1万)のコンボで4年間突っ切ったり、修士からは奨学金を切り替えたり(日本学生支援機構1種+大学関連団体の無利子奨学金=14.7万)してやってきたので、修士修了時点でおそらく800万くらいの借金はあったと思います。

  • 家の収入が相当少ないとまず1種(無利子奨学金)に通らないことはないのと、授業料の免除が視野に入ってくるのが、いろいろと。ボーダーラインちょっと上くらいが一番シビアでしょう。

この額だけ見ると黒影さんの


>この上さらに博士課程に進むとなると、借金は800万近い額になり、
>親にも負担を掛けることになるので、
>経済的に博士課程進学というのはそもそもありえませんでした。


という流れで行けば、「もうすっかりボーダー越えてますorz」ということになって到底進学など考えないのが普通かもしれません…
…が、ちょっと考えて頂きたいのです。
当時私は自宅生で、1人暮らしの家賃やらなんやらはこれっぽっちもかかっていませんでした。

  • この辺、黒影さんの「つまり旧帝大クラスに通おうと思ったら、親がある程度裕福であるか、幸運にも直接通える範囲に自宅があるか、高額の奨学ローンを組むかの条件を満たさなければならないということです。」をかみしめつつ。将来の大学進学を見越して直接通える範囲に自宅を構え続けてもらった恩は大いにあります。

さらに運良く授業料の免除も通れば、その分の額も浮きます。
では、上記の月額貸与額の余った分はどこにいくのか。はい、家です。親です。
そんな訳で、「未来の自分本当に返せるのかこれ」という思いこそあれ、『親に負担』というのだけは全く考えていませんでした。

  • まあもちろん経済的なものだけじゃなく「子供がまだ学生やってる」という精神的なものも入れれば、負担ゼロとは言えませんが…(しかし親にも早い段階で「会社でやっていけなさそう」「国立の研究所とかでのんびりやるのがよさそう」とか諦められていたのであまり問題ないような。しかしそれにしたって後者のハードル、えらい高いのですが(もちろん親は知らない))

もう一つ自分の場合、D1の間は21COEのRAを受けられることが分かっていたので、博士からはそんなに奨学金を借りなくても済む目処がたっていたのもありました。

  • D2からは苦しくなる予定でしたが、幸い学振に滑り込んだのでなんとか。落ちていても結局GCOEがあったので多分奨学金フリーだったと思います。
  • はっきり言ってこればっかりはです。東工大生命理工が学部全体でCOEを展開してくれたお蔭です。差別・区別なくすべての博士学生に給金をばらまいてくれたお蔭です。そこにたまたま在籍出来た幸運に感謝する以外にありません。
    • でも、でも、いくら21COE通った直後だからって学部3年生(当時)に「博士に行くとお金もらえるよ〜さあ博士においで〜」ってやるのはどうかと思うよ(わりと実話)

ちなみに例の新聞記事(「国立授業料私大並みにしなよ。したらお金に困んないよ」)の


>「高等教育の機会均等は、貸与奨学金での対応が適当」


えっ、今でもそうじゃないですか?と言ってみるテスト。

  • 授業料上げてもいいけど、その分当然免除のラインも上がるんですよね?ね?当然ですよね?
  • 貸与貸与っていうけど、貸与だって親の所得と本人の学力次第じゃ取れなかったりするんだけど、結構。
    • そしてある特定の(真ん中あたりの)層が大学に行きづらくなる事態発生。とっても意味不明。この場合の層は多分所得と学力両方。
    • 東大は年収400万以下なら授業料免除って言うけど、親の年収450万の東大生さんと東大に行けない年収400万以下の学生さんは爆発だよね。
  • この前とある飲み会で隣に座った学生さんが「博士になって初めて奨学金借りようと親の収入見たら、年収○○万円もあってびっくりした」とか言ってるのを聞いて思わず笑いました。私の家はその10分の1しかないなと。
    • 奨学金駆使したら、とりあえず親の所得10倍違う人と隣に座れるくらいまでは来れました。教育の機会均等ってこういうことでしょうか。」

まあ他にもいろいろ言えること、言うべきことありまくりですが、少なくとも黒影さんの


>ついでに低所得層に存在する有形無形のハードル
>(あるいは高所得層のみが持つアドバンテージ)について
>思いが至らなさすぎです。


に関してはしっかり同意。

  • 有形無形のハードルの例:「生活苦しいのになんで昼間の大学に行くの?従兄弟の○○ちゃんや××ちゃんは二部に行って昼間ちゃんと働いてるのに」(by親戚。ただしこんな直接的ではない、念のため)
    • 自分の回答:「しょうがないじゃん!東大にも東工大にも二部ないんだもん!あったら行ってるよ!!っていうか、この18年間でこういう大学狙えるくらいの教育を施されたんだから仕方ないでしょ!」
    • でもって今や昼間どころか博士ですよ、あらいやだ。


■2の「バイオ系博士卒の先行きの見えなさ」について
まず、自分も黒影さんと同じく2000年大学入学なんで、本当はバイオバブルという奴を見たはずなんですが、実は大学に入ったときは土木・建築・社会工学科類だったのであまり知らないのですね。

  • この、微妙に(色んな意味で)堅い分野に1年いたお蔭でバイオと距離を取れていると言えば取れているような。

唯一バブルらしきものを見たのは21COEが当たったときの教官たちの「博士においでおいで攻撃」くらいで、それも学部1年か2年の時に「Âç³Ø±¡¶µ°é¡¡¤½¤Î¶²¤ë¤Ù¤­¼ÂÂÖ」を見ていた自分には白々しく聞こえるばかりでした。

  • 私個人としてはバブルの影響は全く受けてないのですよね。最初からバイオ関連産業(バイオベンチャー、製薬、食品、化粧品など)には一切興味ないです。


そんな訳で、個人的には「バイオ先行き真っ暗=確かに教官がB3に『博士においでおいで攻撃』しちゃうくらい(人が足りない/がつがつしている)分野だからある意味終わってるんじゃないの」くらいに思っていました。
ええ、今でも(根拠は違えど)終わってると思ってるんですよ。思ってるんですけどね…
…何と言うかですね、バイオ系、バイオ系と言いますが、バイオと一括りにするにはバイオは広すぎやしませんか、と。


ポスドク1万人計画で量産されたバイオ系ポスドク


と叫ばれる割に、うちの研究室のポスドクのポストは1年と2ヶ月ずっと空いている(ちょっと正確ではないが)のですよ(あ、今でも募集中ですんで興味のある方はよろしくお願いします)。
この分野には人がいない人がいないと、教官がぼやくのも1回や2回のことではないんですね。
この分野にめぼしい人が各世代ごと何人いるかポスドクの人と指折り数えたことも、1度や2度ではないんですよね。
特に今30歳すぎたくらいの世代はほとんどいないようです。
確かに自分の世代では結構います。上の世代よりは多いです。でもまだまだです。
ポスドク1万人計画で量産された」とは言い難いレベルです。
そもそも研究室に入ってくる学生が本当にわずかです。


D1の頃、「量産されたバイオポスドク」の話題が出る度、不安になって教官に訴えました。
ポスドクはあまっているんじゃないか、と。
それを聞いた教官は困惑し、首を傾げていました。
D2になって、研究室でポスドクの募集がかかると、ようやく教官の困惑が分かりました。


バイオの中には、こういう分野もあります。
たまたま、自分はこういう分野にいました。
なので、先行きは不透明ながら、真っ暗ではないと考えてました。

  • M1〜M2の時点でここまで見えていたわけではないですが、Dの2年間を過ごしながら様子を伺っていた、とでもいいましょうか。


■3.自分の適性と「売り時」を考えて

これに関しては、黒影さんの真逆を行っている自信があります。

  • 真逆を行くから突破しちゃうんだろうなあorz

私はバイオが嫌いです。生物学が嫌いです。
生命そのものが嫌いです。
もともと、バイオテクノロジー的なマッドな欲求と
分子生物学に対する淡いあこがれこそあれ、
バイオ全般に対して「好き」だと思ったことは、ありません。

  • マッドな欲求は法律で禁止されていて、分子生物学は教科書で見るときれいだけど内実泥仕事です。近寄らない方が身のためです。


>大学入試のときも情報系に行くか生物系に行くかで散々迷い


これは、ある意味自分も同じでした。
結局、「入試のうかりやすさ」で選んだ第三の選択肢、土木・建築・社会工学科類になったわけですが。
好きで選ぶなら、間違いなく情報系だったと思います。いまだに計算機ラブです。

  • 何はともあれサーバをぐしぐしするのが好きです(謎)

しかし、大学入試の結果好きと関係ない分野に1年行って、「適性の有無」がもたらす色々をこの目で見ました。

  • 自分自身のこともそうですし、建築学科に行きたがっても、製図の出来と学業成績で差をつけられて諦めていく人たちを見たのも大きかったと思います。

その結果、「自分の能力では転類して情報系に行っても無理だ」とはっきり認識しました。

  • おそらく卒業はできたでしょう。でも、成績が振るわないと奨学金も取れず、授業料免除も危ないのが分かっていたので、1点でも多く取れる分野に行く必要がありました。また、少なくともこの時点では試験で1点でも多く取れる分野こそ「適性のある分野」でした。

だから1年次に受けた教養科目で、もっとも適性のありそうだった(そして分子生物学に淡いあこがれを抱いて)生物に来ました。いつか情報系に戻りたいと思いつつ。
B4でバイオインフォマティクスの研究室を選んだのも、「もともと生物の実験をやりに来たわけじゃない」「生物やってた学部生の中ではまだ情報系の勝手が分かる方だ(=バイオインフォマティクスの適性があるだろう)」という思いがあったからです。

  • 研究室で扱っているテーマがタンパク質の立体構造だったのは「好きとは程遠い」ものでしたが、これまでの流れで「対象に対する興味関心(好き嫌い)よりも、まずスキル(適性)がなければ始まらない」と思っていたので気になりませんでした。
    • 学部の頃は分子生物学以外勉強する気なかったんで、B3終わった時点で構造生物学の授業は切ってたし、アミノ酸20種類言えなかったし、βシートがなんなのかとか、触媒残基の存在とかよく知りませんでしたよ?(かなり問題)

そんな訳で、B4から適性重視の研究室に在籍し、
親からも「会社向いてない」との適性判断をされ、
修士で就職活動をすれば「ぶっちゃけ会社の活動の何が楽しいかよく分からない(=適性なさそう)」という気持ちを味わったうえ、
バイオインフォと言えば聞こえはいいものの、
構造な上にデータベース解析となると就職先は意外と少なく、
なぜかポスドクはえらく足りていないし、
相変わらず下からもそんなに上がってくる気配がなく
放っておいたら人がいなくなり過ぎて分野が潰れるのではと思えるような
過疎っぷりを感じ
博士に行くことを決めました。

  • 早いうちに適性・能力ベースで選択肢を選ぶことになったのと、B4からバイオインフォに転じたのと、バイオインフォの中でも構造屋さんになったのが人生の転機だったような。あとは奨学金とCOEと学振。

ちなみに、数少ない構造バイオインフォ採用先は今でも人が足りていないようで、一つ上の博士卒の先輩が入社したかと思えば、就活で負け続きだった後輩がさくっと内定とったりしています。


■進学してどうよ?(◆就職してどうよ?を受けて)
学振取る前と後で全然違います。
取った後は書籍やPCにも十分なお金(研究費!)を使えて助かってます。
とはいえ、就職した方の


>今の目標は貯金を貯めて奨学金を一括返済することです。
>順調に行けば来年には何とかなりそうです。


という台詞を見ると、心が大いに痛みます(気にしないようにしている負債の重みを背中に感じます)が、
今にして思えば、進学して教官が名大に移って、一人暮らし他自立する機会を得た(もし就職してたら東京のオフィスに実家から通ったはず/当時はまだ東京に残らねば病(東京近辺が実家だとかかりやすい病気)にかかっていて、おそらく就職先も東京で動かない所を選んだと思われる)ので、


「(個人的には)進学してよかった!!感動した!!」


と言えなくもないです。本当に個人的なんですが。

  • まあ、この「突破した理由」全体が、個人的な要素満載なので(ry
    • 逆にいえば、こういう個人的な、特殊な事情が重ならないと、普通は突破しようと思えないし、突破しないんだろうな、とも。
    • なので修士のみなさんはぜひ参考にしないでください。いや本当に。