はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
まとまった文章が中心。日々の短文はmb(ryにあります。

sculpture

書きたいんだけどもどうもまとまらないものをメモする

この前の日記にヱヴァネタを書いたら思いがけずスターが降りまくって、やはりエヴァネタは強しと思いつつ、読んだ方の反応がないのが普通のこの日記に突如起きた異変に挙動不審になりそうな今日この頃ですがみなさまいかがお過ごしでしょうか(妙な挨拶)。


と、まあ慣れない文章をつらつら書いたところで色々どうしようもないので、いつも通り寝言っぽくなにかを書きつけます。

  • おくればせながら「生物と無生物のあいだ」を読んだので言及したい。かなり今更なのだけどもとにかく読んだ&思う事があった以上、何か書きたい。
    • 簡単に言うと「ポエムと思い出話と比喩と分野の歴史と個人の研究成果を混ぜないでくださいwww」
    • たぶん自分が分子生物学や研究活動といったものから遥か彼方にいれば、どれも遠い世界の話で「とっても面白い読み物」であったに違いない。でも自分の立ち位置からすると、内容が近かったり遠かったりで、「ふんふんなるほど」で読み進められる部分から、「いや知ってるから、そのポエムはいらないから」「その世界観は理解できるがその表現はない」みたいなツッコミどころまでいろいろ混ざりすぎて、落ち着いて読めなかった。*1
  • また、めずらしく他にも数冊読んだのでそれについても少し何か書きたい。しかしなあ、ここで本を読んだ感想を書こうとするとことごとく失敗するんだよなあ、なぜか。
    • そして正月に書いたとある本の感想が、いまだに下書き保存されているわけですよ。なんかもうどうしようね。こういうときはへぴゅーと鳴くか。へぴゅーへぴゅー。
  • 理科離れとか科学嫌いとかについてのぼやぼやっとした考察。ここ数日、この話題に関する文章を複数目にしたので、何か言及してみたい。
    • そもそも上二つが同質かどうかはわからないよなあ、とも。でも根っこに共通点はある気がする。しかし自分が考察すると妙にねじまがった方向からの解釈になりそうで困る。
    • 自分が科学に好意を覚えるとき、そこには必ず「科学は非日常的であるor科学は日常を脅かすからこそ、素晴らしい」という妙な理屈があって、それを抜きにして科学のことを考えることができない。前者はある程度賛同を得られそうだけれども、後者はちょっと…だろうから、何か書いても広く受け入れられそうなものは書けそうにない。
  • 先日の「とかく文理とか男女とか生物/非生物とかなんでも2軸*2で語るけど」の二番目の件。
    • 多くのことを知っているのは大事だし、知らないことは罪であると言ってみたくなる日もあるけど、かといってやたらと知識や理屈で武装するのもいかがなものかと思うので、もう少し自分の頭と体験を使って考えることにする。
    • 半年近く前にも書いたけど、今わかっているのは「外からどう見えるか」というのが重要なんだろうなあ、とかその辺。あと、自分はどうやら自分の身体+身体に付属するもの(服や鞄など)に対して、切って捨てている感が一般の人より強いらしい。この無頓着さはそれこそ幼い頃より明らかだったのだけど、気にしないというよりは気にできない、気にすることを積極的に拒んでいる感じがする。何故なのかは不明。
    • この話題、普段の生活では幸いなことにめったに頭を悩ませなくて済んでいるけれども、ときどき困ったことになるのでここにメモしておく。まあ某ついったーに投げるなら「性別爆発しろ!」の7文字で済む話なんですが。寝言は長く人生は短い(謎)
  • 上の話題とは全く関係ないけども、昨日参加した飲み会にて改めて世間は狭いとしみじみ思った。
    • 会の中でいくつか引っかかることがあったのだけど、文字にしようとすると崩れそうなので悩む。この程度の引っかかりはローカルPCにでも書きつけるべきで、わざわざ他人に向かって発するほどのものではないかもしれない。
      • 文字として記録するよりも、崩れないようなんとか文字にする過程を記録する方が重要かもしれない。すると自ずとローカル行きになる(思考を整理するための文章)。
    • ひとつは研究分野に関する話題、もうひとつはアルコールに関する話題。どちらもそこまで深刻ではない。「ん、んー。んんー?んー」程度(よくわからない比喩)。


というわけで(ry

*1:具体的にどこがどう、というのは面倒なので今は言及しない

*2:あとで読みなおして表現が間違ってる事に気づいた。2軸ではなく2値。軸は1つ