はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
まとまった文章が中心。日々の短文はmb(ryにあります。

effective

雑談の前と後でテンションが違い過ぎて困ります。

  • 本当はビフォアを前に持って来たかったけどかなり長いので後ろに。時間軸逆転だけどしょうがない。

アフター雑談

研究室にて勝手にとり行われた仕事納め雑談(鼎談)にて、菓子を食いまくりゲームと音楽の話に興ずる。

  • やはり同じ年トークは弾むんだなあと実感。同い年な上二人に小学生トークとかされると残念ながら6歳下の自分だけがなかなかついていきにくい。
    • 上二人の中学〜修士が自分の小学校〜高校に相当するとかそういう。この辺の年代は年の差がシビアに効くから困る。
  • ドラクエI〜IIIは教養なんだなと再確認する。DQもFFもIIが弱いので一通り復習しないと。
  • 意外と日本ブレイク工業とか初音さんとかの用語が通じてびびる。最近初音さんのStargazeRばっかり聞いてますよいやはや。
  • カラオケで何を歌うか、そもそもカラオケに行かないとかそういう話題。個人的に、残酷な天使のテーゼをシャウトするのは難しいと思います><
    • 今年の同期忘年会こそカラオケで初音さん歌えるといいなあ。

そして第二次雑談の結果、2009年はみんなとんでもないことが起こる、全く先が読めない年になるのだ、という結論に達して全てが超どうでもよくなってみた。

  • そして本人超しんどいのに超楽しげな表情なもんだから周囲から超誤解される予感。

ビフォア雑談

今日はこの話題から。
Lesson426 上司への苦言 ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。


長いこと自分の中で引っかかっていた話題がダイレクトに取り上げられていて、最初に見たとき驚いてしまった。

  • エッセイ本体は「『言いにくいことでもズバッというのが正義』と思いこんで上司に苦言を呈する、果たしてそれは本当に組織のためになっているのか?」という問いかけから、「言ったはいいけど結局何も変わらない上司への苦言にありがちな3つのパターン」を説いている。

自分のこの引っかかりは以前、ある学生アルバイトが上司である正社員に宛てて書いた反省文を読む機会があり、そこに書かれた「上司への苦言」に思わず言葉を失ってしまった一件から来ている。
何故自分は言葉を失ったのか、それは

  • 全体の構成:最初は自身の反省文、仕事上の失敗への謝罪から始まるものの、後半は「自分のような失敗をする学生を次から出さないために」「自分から見た上司と組織の欠点」を指摘する(苦言を呈する)内容だった。
  • 苦言の表現:前半部分での相手への気遣い、豊かな謝罪表現と打って変って、後半の苦言では、昨日取り上げた<<先生も何かお話しになりたいですか>>ばりの危険な敬語表現が多用されていた。

からだった。
反省の直後にある苦言、そして苦言での危険な表現に圧倒されながらも、そういった事をあえて抜きにして自分がその時「上司への苦言」について考えたことは、

  • 上司から信頼されていないと、進言しても聞き入れてもらえないのではないか。
  • 信頼は(1)その組織に属している期間の長さ、(2)自身の仕事のこなし具合(量、質)の2点に比例して、厚くなるのではないか。
    • もちろんどちらがどのくらいのウェイトを持つかは組織や上司によって違う。

ということだった。

今、上に挙げたエッセイと照らし合わせると、「反省文で圧倒された2点」「信頼と進言の関係」について、もう少し整理できるように思う。
まず、例のエッセイは「上司視点」だと感じる。部下の発言に上司がどう感じるか→組織がどう変わるか、に焦点が当てられている。

  • 対する自分の解答は部下視点と言えるかもしれない。

また、上司視点で見た時に効果のない苦言の型とは以下の三つであるとされている。

  • 自分なんて型:「部下はたくさんいるのだから自分ひとりの意見なんて」、「上司は尊大だからいち社員の自分に何を言われても平気」、「アンケートの紙に書くんだから、言いにくいことも書いていいのだろう」といった具合に、上司への影響力を過小評価し、思いやりを欠いた表現をしてしまうケース。上司も人間なのだから当然傷つく。
  • 木に寄りて魚を求む型:上司の得意不得意を加味せずに、自分が正しいと思う意見や他の組織で成功したやり方を上司に実行するよう求めるケース。上司も人間なのだから出来ること出来ないことがある。
  • 個人のうらみ型:自分がその上司に認められていないので、認められない不満を組織のためと称してぶつけるケース。不満をぶつけるよりまず自分が仕事をした方がよい。

これら3つを鑑みるに、まず反省文で圧倒された2点は

  • 全体の構成:反省文→苦言という展開は失敗ゆえの苦言、つまり「個人のうらみ」型だと上司に理解される。*1
  • 苦言の表現:危険な敬語表現=思いやりを欠いた表現(自分なんて型)だと上司に受け止められる。

という意味で、書いた本人の意図とは関係なく*2上司からの印象は良くないし、結果として反映されない苦言になってしまうと解釈できる。

  • ちなみに、個人的には書かれた内容も二番目の「木に寄りて」に抵触していたように感じたが、自分は部外者なのできちんとした判断はできない。

また、信頼と進言の関係についても

  • 長く組織にいる=普通、十分組織や上司のことを理解していると見なせる=普通、木に寄りて魚を求むようなことは言わないだろうと上司から判断される。
  • 仕事をこなしている=普通、上司の評価はそこまで低くはならない=個人のうらみで苦言を呈しているわけではないと上司から判断される。

と解釈出来て、部下の側は「自分なんて」型にならないよう、物の言い方さえ気をつければいい。


信頼という抽象的な言葉を持ち出すより、この上司視点の3点を使って説明した方がずっとクリアになる。自分の中での理解も深まった。
件の反省文を読んだ時にこのエッセイがあったらまた色々と違ったかもしれない。


というわけで(ry

*1:もはやうらみを通り越して責任転嫁に近い

*2:ここで、責任転嫁でもうらみでもない、表現もそんなつもりではなかったと言ったところで、「自覚がないだけでやってることは責任転嫁」「正しい表現を使えない人間だと自分で認めた」という、より厳しい突っ込みが入るだけで全然得しない