はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
まとまった文章が中心。日々の短文はmb(ryにあります。

均一な(horizontal)

今更ながら、この日記が本当にカオスなことに気がつきました。

  • 真面目な話と、へぴゅーな話と、真面目な話をへぴゅーでしたのと、へぴゅーな話を真面目にしたもののが入り混じっているのが原因か。
    • 「うん、まあ、頭の中がそのまま出てるんだよ、どうみても」
  • お蔭で上の4カテゴリのどれかだけを読みたいと思ってもまずできない。
  • コンスタントに同じようなカテゴリ/クォリティのものを出せたらいいのだけど、頭の構造的にまあまず無理です。
    • 真面目な話をしたら全力でへぴゅーを叫ばずにはいられません。ちゃぶ台返し最高。
  • とりあえず日記についているカテゴリを一回白紙に戻して、もう一度導入し直すとうまくいきそうだけど、過去の蓄積があるのでこれまた難しい。
    • 多分、「何の話」でカテゴライズするから破綻するのだと思われる。書いているときの気分…「本気」と「わりと本気」と「へぴゅー」と「別に何も」で分けるとよさげ。
  • でもたとえば今書いている日記にどれをつけるかと言われると迷う。わりと本気、とかだろうか。

カオティックだけど今日も何か書く

この日記の方針は上のタイトルに凝縮されているに違いない*1と思いつつなんか書きます。


…まあいろいろ思う事はある訳ですが、ある程度生意気なことが言える自由ってのは勢いのある若手を育てる上では大事なのかな、とか思ってみました。

  • 物の言い方、言葉の使い方レベルから気をつけないといけない場もたくさんある中で、あえてそこは無視して言いたいこと言わせる文化はまさに「自由」。

あと、複数の組織があって、もしその二つが繋がり交わることを望むのなら、本気でそれに取り組めばいいのでは、とも思ってみました。

  • 組織が分かれているのはそれなりの理由とメリットそして歴史*2があるからで、交わることでマイナスになることも当然あるはず。もし、そのマイナスを補って余りあるものがあるのなら取り組む価値はある。
    • でも、やればやるほど、組織の間に横たわる埋まらない深い溝、二つの「違い」をひしひしと感じることになるようにも思える(両手過程*3を同時進行でこなした後の感想)。
    • 個人的にはその違いこそ「組織の個性」であって、「あってくれなきゃ困る」ものなのだけども。

追記:
上の組織の話を「個人」に置き換えても成立することに気付きました。

  • 個々人みな歴史があって、誰とでもむやみやたらと交わればいいってものではなく、話をしていけばいくほど、違いが際立っていくこともよくある。


というわけで(ry

*1:この日記の副題にしてもいいかもしれない

*2:さっきの若手の話と関連して、あとから来た人ほど「歴史」を軽んじる傾向がある。もちろん歴史を軽んじることで大改革できる可能性もあるけれど、少なくともそこの組織にいる多くの古手たちはみんなその歴史を背負っているわけだし、組織で多数を占める古手の支持なしには改革も何もできない(もっといえば、古手とか関係なしに、もはや歴史そのものが組織を構成しているのでは、と思う時もある)。そういう意味でも、個人的には新しく来た人でもなるべく、そしてある程度歴史は尊重すべきだと感じる

*3:言わずと知れた生化若手と生物物理若手