はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
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schlep around

今日は、先日行われた生命科学夏の学校にてスタッフをされていたid:kitanishiさんの夏学についての記載*1から抜粋してみます。

「若手」と呼ばれる年代なのに、
こういう場でひたすら自己主張を繰りかえす既に頑固な人もいて、
この場に何を求めてきているのかやや理解に苦しむ。
欲求のカタルシスだけに使うには少々もったいない場だし、
可塑性は成長の重要な要素だ。

自己主張と議論は紙一重(かもしれないし、そうでないかもしれない)。

  • そういえばこの前自己主張に閉口した記憶が(全然関係ない場で/しかも何人かの人から/そういう自分もきっと相手を閉口させているのだろうと思いつつ)
    • 他人に意見をぶつけたい&認めてもらいたい欲求はきっと誰にでもあって、ある程度ぶつけあいになるのは仕方がないとしても、そこから先がなんとかかんとか(記述の放棄)
    • ぶつけあいがどんどんレベルアップしていくとおもしろくなるか。個人的には思いもよらないものが飛び出してくる分には、同じ主張が言葉を変えて繰り返されても構わないように思う。
    • あと、ぶつけあいそのものが楽しい場合はそれはそれで。
  • でもなんとなく、正しさや成長などと全く関係なく、声の大きい(=自己主張を繰り返す)人が最後に生き残るような気もするのは、あくまで気のせいだろうか?(2006夏学の日記*2を思い返しながら)
  • 何のために「こういう場」に行くのか。少なくとも自分はどうか。
    • 多分、楽しさとか人脈とか顔を売るとか自分への良い刺激とか新しい知識の獲得とかではない
    • 上にあげたものは得られたとしてもあくまで副次的で、基本は痛い思いをしに行く/他の分野の人たちの気分を知りに行く/距離を測りにいく、といったところか。
    • あとは、自分がもともと何処の分野から今居るところへやってきたのか、忘れないために(最重要)

本当は、この後に
「全くどうでもいい、物理についての思い出話(思い出し自己突っ込み)」
を書こうと思ったのですが、あまりに長いのでこれはまた別の機会に。

  • 一文で言うといつもの「適性は大事だよ」「『好きこそものの上手なれ』なんて都合の良い言葉はないよ」。好きでも適性なかったら泣いて諦めるしかないし、嫌いでも適性があったらそれやるしかないとかそういう。


というわけで(ry

*1:[id:kitanishi:20080811]

*2:[id:mbr:20060821]