「何故に研究をするのか問うてみる」
タイトルはここ1ヶ月くらいメッセンジャーの自分の名前の後ろにくっつけていた台詞です。
- 今日来たメールにわりとマッチする内容なのでそのままタイトル化。
- もともとは全く別の件で思った(言葉こそ同じだがその時の気分は全く違っていた)台詞。
- メールの中にあった「反面教師」という用語の解釈の違いで若干会話有り(それ自体は本当なら議論になってもいいくらいの内容だけれども、その場ではならず)。
- 用語の解釈のズレの根本にあったもの:状況はただ事実として存在しているだけだけども、それに向かい合う人間の気分でどうとでも記述される。
- 向かい合う人が「そう*1」思っているのなら、他の人がどう言おうとその人にとっては「そう」でしかない。
- 状況と直接関わらない自分自身の見え方を優先するか、向かい合う当人の感情と見え方を優先するか、の違い。どちらが正しいということもないけれど、自分自身の見え方は所詮、無責任かつ自分勝手なのではないか、とも思う。
- 自分自身の見え方を優先させていては、当人の感情は何一つ理解できない。
おそらく、タイトルの問いかけに対しては、様々な答が返ってくるものと思われますが、それは所詮答を返す個々人の中*2に意識されているものを投影しただけに過ぎず、そもそも(無意識まで含めれば)それが言った本人の本当の答ですらないことも、きっとあるのだと思います。
- 他人の答を聞くことは多少なりとも他人を理解することにつながるけれども、自分自身に対して普通の精神状態でただ問答するだけでは何にもならない、かもしれない。
というわけで(ry