はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
まとまった文章が中心。日々の短文はmb(ryにあります。

「花に水をやる」

今日はまず、昨日の日記の中で蒔いた種に水をやる(?)行為から始めようと思います。
http://d.hatena.ne.jp/higotakayuki/20060530/p1


これに関して、自分は1点の指摘と、1点の謝罪そして1点の補足をします。
まず指摘から。

トラックバック指定で否定キタ!!

とあるけれど、はてなのデフォルトではリンクを張ると自動的にトラックバックが送られる仕様になっているので、「トラックバック指定」と取られるのは少々厳しい。デフォルトから設定を変えていない自分が悪いといえば悪いのだけども(ブログ界隈のご作法の類は全然興味が湧かないので、あの辺全くいじってない)。


次に謝罪。
何を謝るって、昨日のこの物言いはひどい。口調からして断言調(少々強過ぎる口調だと分かりつつ訂正せず)だし、トラックバックまで送られている(これはさほど意図した訳ではないけども)となると、どう見ても挑発にしか見えない。そんな訳で、過剰な煽りになってしまったことを反省。本当にごめんなさい。


次に補足。
個人的にあのフレーズを見て最も気になってしまったのは、愚痴や文句という言葉のもつネガティブなイメージと、それをブログに書かないという「『一見』ポジティブな行為」の『一見』の部分が無視されているなあ、という点だったりします(これはついつい口調が断言調になってしまった原因でもあるのだけれども)。


最近、状況的に「何故人は愚痴を口にするのか」を考える機会が多く、「http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NIP/NIPCOLUMN/20040722/2/」なんて記事を見たりしていた*1関係上、どうも「愚痴=駄目」という図式に納得しかねる部分があったりするのですね。
あとは、そもそも愚痴や文句と意見や主張の類との線引きはどこにあるのか、とか(これはこの話題の中で最初に定義しておく必要のある事だと思われる。つまりは「何をもって愚痴とするか」)。愚痴や文句にも様々な種類があって、最後に建設的な方向へ行く愚痴も当然存在するのでは、とか。

  • そもそもなんで愚痴は飲み会なんだろう*2とか、飲んでいれば内面の吐露が許されるのは何故だろうとか、実はいろいろ疑問が多い。
  • 上の記事にもあるように、愚痴を言う対象とすべきは「秘密を守ってくれる人(第三者が望ましい)」=本名も所属も伏せて書くWeb日記*3は最適では?とも。

ちなみに、愚痴も意見も「相手がどういう思考をするか/価値観をもっているか」を知る上では、同程度に貴重な(「感覚的に何をネガティブに捉えるか」という面においてはより愚痴の方が重要な)情報だと個人的には思っていたりします。
(相手の意見を知りたいというより、「相手がどういう背景を持っていて、どんな思考の流れに沿って、どのようにこの意見を導き出したか」に興味が偏っているせい、かもしれない…)


…さて、本論より長い補足が来てしまった訳ですが(爆)

  • これだから文章がねちっこい*4とか言われるのか、いやはや(ry


というわけで(ry

*1:「(5)愚痴を言える人を作る」の、『「愚痴を言っても始まらない」ということをよく耳にするが,これは間違い。人に話をするには,整理して話さなくてはならないため,話す間に状況や感情が整理され,おのずから解決策が見えてくることがある。』の辺り

*2:理解できるし知ってるし実践されているのも目撃するが、きちんとした説明を受けたことがない

*3:これは本来の意味では「ブログ」ではないので、ここではこう表現するが、普通両者は混同されている…はず

*4:説明寡少タイプな後輩の弁