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今日は遅ればせながら
ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書25冊を紹介 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ
にて書かれている

ポジティブな考え方には反吐が出る、徹底した絶望を逃げずに直視したいという人なら、中島義道氏がいいでしょう。

自分は不幸なのだから、不幸な自分をごまかして幸せになったと思いこむより、血の出るほど不幸を直視して生きる方が、はるかに豊かな人生を味わえるという可能性に気がつくかもしれません。

な本から行ってみたいと思います。

  • いやはや、はーいはーいと手を上げるというか、呼んだ?と振り返るというか。これほどすんなりとこれは自分のことだなと思える瞬間も少ない気が。
  • 上のエントリでは中島氏の本が二冊紹介されていて、両方とも早速買い求めて手元にあるのだけど、まずは古い方から取り上げてみる。



6人の塾生と1人の教師があれやこれやと意見をぶつけ合う型式をとった「哲学とは何か」「哲学をするとはどういうことか」についての本。
この本が面白いのは、6人の塾生が実にどこにでもいそうな人で、上にあるような筆者の『絶望から逃げない』『徹底した自己批判を続ける』スタンスに、世間でよく言われるような反論をぶつけていくところ。おそらく、筆者と似たスタンスの人は(多数派には成りえないにしても)世の中には一定数いるだろうけれど、その誰もが筆者のように完全に『逃げない』でいられるわけではなく、これら6人の塾生が口にするような反論を心のうちに抱えて常に葛藤しているのでは、とも思う。
自分個人としては、この本に書かれた内容は(筆者の主張のみならず塾生の反論や最後の「ちゃぶ台返し」まで含めて)ほぼ感覚的に同意できる/普段何気なく考えていることばかりで、きちんと文章化して、筋を通すとこういったやり取りになるのかと改めて確認するとともに、自分の物の考え方を説明し、一般的によく言われる意見に反論するのに役に立ちそうだと弁論技術を学ぶような気分で読み終えた。


ちなみに、元エントリでは、紹介した書籍の長所だけでなく「問題点」もあげているのだけども、この本に関しては

中島義道氏は、死と絶望に対する感受性が強すぎて、普通の人がついて行けない。

とあるだけで、最初からこの辺の感覚が多数派でないと自覚している自分にとってはあまり問題にはならなかった(少なくとも自分には当たり前のことだけれど、その当たり前が世間に通用しないことはよく分かっている)。


ちなみに、本文中で語られている、

これから百万年ものあいだ、なぜ同じように食べて排泄して生殖して、そして苦しんで楽しんで病んで死ぬような同胞を次々に地球に誕生させねばならないのか、ほんとうにわからないことだ。(p.170)

ここの下り。


これ、ほんとうにわからなすぎる上に、生きるということそのものが何かもうあまりに理不尽すぎるので、さしあたって生命科学やって何で生命は生きるようになってるのかちょびっとでも解明して、ほんの少しでも憂さ晴らししたいというのが、自分が生命系に転向した理由の一つだったりもする。


というわけで(ry