cliff-hanger
今日は、ちょくちょく読んでいる連載からいってみます。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/household/121017/
最後のまとめが気になったのでちょっと引用。
引用ここから
「がまんするのは精神衛生上よくない」「楽しめるときに楽しもう」と言ってもらえると、気が楽だ。だが、それは容易に「好きなことだけする」「いやなこと、面倒なことはしない」に転換する。
教育現場や心理カウンセリングの現場では「自分を大切にする人は、ほかの人も大切にできる」といわれる。本当にそうなのか。最近、この言葉が、どうにも気になって仕方がない。
ここまで。
- 我慢にも程度があるのだよなあ、という簡単な事実。
- 限界の崖っぷちまで行って下覗いて帰ってくるのと、かなり手前からちらっと崖のへりを見やって終わるのと、近くに寄り過ぎて足を踏み外して転落するのと、崖から笑いながら飛び降りるのと。
- あとは、崖っぷちまで行きやすい人と行きにくい人の差か。足を踏み外して転落しやすい人と、なんとか這い上がってこれる人の差とも。
- ちらっと見るだけの人に「自分は我慢した」とか言われたら、転落した人はキレますね、そりゃ。笑いながら飛び降りた人には大いに笑われるでしょうね。その時、ちら見の人がどういうリアクションを取るか。逆切れかな。
- 「好きなことだけする」へと容易に転換するのは全くその通り。でもって、転換することにどれほどの罪悪感を感じるか*1にはこれまた個人差が。それを指摘するとまた逆切れか。会話が成り立たない感じがしてきた。*2
- 大切にする is not 甘やかす
- 必要に応じて適宜自分を崖から叩き落とすことも、自分を大切にすることの表れだと思うのですよ。
- 他人に対してもまた然り(多分)。
- 「過ぎたるは及ばざるが如し」とはよく言うものの、この場合は『及ばざるは過ぎたるが如し』と言うべきか。
- 極端の方が安定するからみんな極端に走る(と思う)。
なんというか、個人差の幅がどんどん広がって、広くなり過ぎてるのが問題だってことなのでしょうかね、まとめると。
- 個人差の幅が狭い=どこにいてもとりあえず集団全体は見通せる。多少の努力で平均値にあわせられる。幅が広い=自分を中心にまわりの集団しか見えなくなる。位置によっては、平均値が視野に入っていない可能性もある。
- みんな、自分が普通(平均値に似た何か)だと思いすぎなのでは。究極の普通は並大抵の努力では手に入らないというのに。
- 自覚がないってのがいつだって最大の問題なのですよ。自覚できたら問題は半分解決したようなもんです、きっと。
- 自分が普通だって言う奴ほど信用できない奴はいないと勝手に思ってるですよ。勝手に。
というわけで(ry