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なんとかストリーム

今日もまた相変わらず「全く書き物をする気分でない」のですが、前々から考えている愚痴がどうたらという話題について、一つ忘れないうちにメモをしておこうと思います。
何故またそんなにずっと引っかかっているかといえば、[id:mbr:20060530]への返信?として書かれたこのエントリ(古い記事を引っ張り出してきてすみません)にて書かれていた

でも、愚痴のほとんどは他人の悪口なので全世界に対して公開しつつ永久保存はよろしくないわけです。


の部分が、どうしても納得できなかったからなのです。
愚痴のほとんどが他人の悪口………意外を通り越してどう反応していいか分からなかった、というのが正直な感想でした。
自分がたまたま意外に思っている*1だけで、世の中全体はそういう風潮なのだろうか?とか、いろいろ考えつつ、「じゃあ、『意外に思った』側はどういうものを愚痴と呼んでいるのか?」についてもあれこれと思いを巡らせていたわけです。


ちゃんとした答えが出た訳ではないのですが、おそらく自分の想像している愚痴というのは幾許かの「自己嫌悪」に由来するものなのだと思います。
他人の欠点を話題にするにしても、頑張って批判の形にして正当化しようとして、そんな、「他人は他人」と割り切れない自分に嫌気がさしたり、自分だけが相手に悪い感情を抱いていて、相手は自分のことをなんとも思っていないのだと考えてストレスがたまったり………というように、最終的には自分でフラストレーションを抱え込んでいく、そんなものを考えていたように感じます。


そして、この手の「最終的に矛先が自分に向かう」タイプの愚痴を、愚痴の最初に取り上げた話題が他人の欠点であるからといって「他人の欠点の批判・悪口」というカテゴリに入れてしまっていいのか、これもまた、難しい問題であるように思います。
世間一般では「ただの悪口」的愚痴と「最後に自己嫌悪」的愚痴のどちらがより多いのか分かりませんが、後者を問答無用で潰してしまうことが、自分にはあまり良いとは思えないのです(後者にはある種の弱音なども含まれるようにも思えますし)。


…全く個人的には、「ただの悪口」を言える*2人が少しばかり羨ましくもあります。


メモするだけのつもりが長くなりました…。


というわけで(ry

*1:ここには「自分は愚痴として他人の悪口をあまり言わない」もしくは「愚痴として悪口を言っているが自分で気づいていない」の二つの可能性があるのですけども。後者だとすると嫌ですね…。

*2:悪口を言って、自己嫌悪に陥らない