devolution
専門用語が誤用される例の一つとして、「企業精神」や「伝統」、「ポリシー」等をたとえて「DNA」と言うのが気持ち悪いという後輩の(多くの生命科学屋が同意するだろう)意見を受けて、いくつか考えてみる。
- DNAは物質である。精神や伝統は形のないものである。
- DNAにある情報は転写翻訳のプロセスを経て(基本的には)タンパク質を作り出す。精神や伝統は確かにその企業が活動する際にベースとなるものではあるが、どちらかといえば「理想」「大まかな方針」を指し示すものであり、活動を拘束するものではない。
他にもいろいろ差異はあると思うが、この誤用が発生する大きな理由は、DNAが一般的に(分子であるとか二重らせんであるとかいうよりも)「親から子へ脈々と受け継がれる」「(生物の)設計図」として認識されていることにあるのだろう。*1
- 同様の例として「遺伝子」もある。「企業の遺伝子」という表現に違和感を感じるのは、遺伝子一つ一つは一つまたはいくつかのタンパク質をコードしているだけで、「ポリシー」のような包括的かつ曖昧なものを表すたとえとして不適切であるからだろう。
- だからって、企業の「ゲノム」とか言われてもそれはそれでまた(ry*2
上の話題とは全く関係ないが、「日記に書くネタがない」と言うならば「何故書くネタがないのか」についてあれこれ考えて、そのプロセスを日記に記せば立派な「ネタ」になると思ってしまうのはひねくれているのかどうなのか。
- 「誰かが見ている」元で書く作業を通じて、「自分は何を思い、そのうち何を他人から隠したがっているか*3」がはっきりする、気がする。
というわけで(ry