はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
まとまった文章が中心。日々の短文はmb(ryにあります。

regression

日記の効用について

はてなを使い出してから、自分の文章力に変化が見えてきた。「退化」…そう、明らかに文章を書くのが下手になっている。元々大して上手くもないが、輪をかけて下手になってきている。理由は至極簡単で、はてなの「箇条書きが非常に簡単に出来る」利点が私を箇条書きに走らせているからだ。


箇条書きは楽である。読み手にとっても、書き手にとっても、だ。書き手は本当に必要な事柄だけをぶつ切りに並べればよく、読み手もそれにさっと目を通すだけでよい。話の流れは階層構造によってよりクリアになるし、注意書き*1を使えばさらに多用な表現が可能になる。箇条書きにはさらに「大して考えがまとまっていなくても、箇条書きになる事でまとまった印象をうける」というおまけもついてくる。


私が過去に日記(のみでなく、文章全般)を書く際に最も苦労していたのは「語尾」と「接続語」だ。同じものが繰り返さないように、かつ流れを妨げないように選ぶ事の難しさは筆舌に尽くしがたい。語尾が変われば文章全体の雰囲気が変わる。時間をかけずに書いた文の語尾は大抵雑なものだ。
対する箇条書きに語尾はいらない。体言止めでずらずらと並べても違和感は無い。接続語も要らない。あっても邪魔なだけの存在だ。箇条書きが全てを解決してくれる。逆に言えば、それらに対する感覚は箇条書きによって完全にスポイルされてしまう。


実は、はてなには箇条書きの他に「退化」を促す隠れた機構がある。それがこの「テキストエリアでの文書作成」だ。思った事をすぐその場で書いて更新できる、それ自体は便利な機能だが、逆に言えばそれは「文章を練ることなくそのまま外に放つ」ことを促しているのではないだろうか。私などは臆病な人間なので、テキストエリアのような「保存の効かない」領域で文章を書いていると「何かの拍子に書いたものが消えやしないか」と心配するあまり、焦って文章を書き更新する事がよくある。本来ならもっと長々と書きたいと思っていても、「何かの拍子」を恐れるあまり適当に読めるものへとまとめて「とっとと更新してしまう」こともよくある。


もちろん、これに関しては一旦ローカルで文章を書いてからペーストするようにすれば問題は無くなる。あまり長くなるようならはてなの「コメント機能」を使うのも手だ。ただし、ペーストするくらいなら最初から(HTMLファイルに)直に書いて更新しても手間はほとんど変わらない。「コメント機能」は確かに使えるが、ローカルのファイルのように「1行書いては保存し、また1行直しては保存し」という訳には行かず、あくまで「書き物中断用」としての使い方しか出来ない。


結局、「文章を書く」という面から見たはてなダイアリーは、長文を腰を据えて書くためのツールではなく、思いつきやふと感じた事を羅列するのに向いている、ということになる。はてなダイアリーの最大の特徴はその「キーワード」機能と更新の手軽さにある(と思うのだが…他の皆はどうなのだろう?)のだから、仕方がないと言ってしまえばそれまでかもしれない。


…と、珍しく長々と書き散らしてしまったが、これには主に「(日記に限らず大学の課題などでも)最近長文を書いていないが、文章構成力は落ちていないだろうか?」という不安と、最近目にした、ある人の文章(日記)が非常に長く、それでいて読みやすいことに対して「語尾付近の言い回しと接尾語、話の展開の仕方」にコツがあるのだと感じた、その二つが理由としてある。不安がるくらいならとりあえず何か書いてみよう、ついでにそのコツとやらも試してみよう、という訳である。仕入れたコツは実践できたとは言い難いが、久しぶりにだらだらと書くことで「勘」は取り戻せたのではないか、と思う。
主な理由ではないが、研究室の同期にこのはてなダイアリーを更新するのにどれくらいの時間をかけているのか問われ、ふと思い返した際に「大した量は書いていないのに、実は結構時間がかかっている」ことに気がついたことも、(どうせ同じ時間を費やすなら)長文を書こうとしたきっかけではあったりする。(ここまでで1時間程度)

*1:このように、欄外に表示されるコメント、添え書きのようなもの