はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
まとまった文章が中心。日々の短文はmb(ryにあります。

「みんなあばれろ」

いろいろ書きたいことはあるのですが、
実際に起こったことを書き並べても全く伝わらない。
書き留めるべきは出来事と、それが自分の内面にどういった作用を及ぼしたかなのだけれども、きちんと文字に出来るほどまだこなれていない。
ただ、(最近起こったその他の出来事から感じていた幾つかとも相まって)硬直しかかっていた価値観・行動・気分がシフトしつつあることだけは確かです。

  • 自分に染み付いた「スタイル」は(大きな衝撃によって変えられる以外に)緩やかな圧力下でゆっくりと変化する場合もあるのだろうが、緩やかな力では変化にまでは至らず、逆に抑圧とその反動を生むこともある、ということに気付かされる。

あと、今日も某所にて「ブログや日記って書くネタ無い/無くならない?」という(つい先日出たのと同じ)話題が出たので書いておくと…

  • 「必ず毎日発生するイベント(世間のニュースとか、日常の何気ない会話とか)を取り上げるようにする」ことでネタ切れは防げます。
    • その派生として「その日あったことを書く」本来のスタイルがあったり(「文にしたい『あったこと』」の基準が人によって違うので、「今日は書くことがない」事態が発生)
  • 毎回(背伸びして)素晴らしく高いクォリティを目指そうとするとまず続きません。無理せず出来る範囲で。
  • 自分の好きなものを紹介するなど、「自分が過去に得た知識・経験」を日記のメインコンテンツにするのは時として自滅行為につながります(昔それに関する面白い文章を読んだのだけど、どこで見たのかは思い出せず。「経験の切り売り」というような指摘)。
    • 日記やブログなどという賞味期限のあまり長くないものに知識・経験を恒常的に書いていくのは、よほどの蓄積か、吸収する勢いが書く勢いを上回っていない限り維持不可能*1
  • 更新しやすいシステムを選び、更新をためらわない。断片をさらすことを躊躇しない。ある程度まとまったらみなまで書かずに載せる。これによって(昔自分がよくはまった)「それなりに書いたが最後まで書けていないので、アップせずに放置して数ヶ月が経った*2」という状況を防げます。

自分の場合、興味のあるサイトやら本やらを紹介するのにリンクを張ったり書名を出したりという作業が面倒かつ「書評やサイト紹介は他の、より『面倒を厭わない親切な』人たちが散々やっている」事実をよく分かっているので、あまりやろうという気になりません。

  • ごくまれにならやってもいいですが、よく考えるとそれがメインコンテンツではない以上やったところで「自分はこういう人間です」という解説の一種+自己満足にしかならない*3(あとは「口コミ」に荷担する効果くらい?)。逆に言えば、この手の日記やブログというのは(書き手の意図はともかく、読む側から見れば)「巨大な自己紹介欄」でしかないということか。


というわけで(ry

*1:=書くペースを落とせば問題なし

*2:ブログのシステムでは起こり得ない現象ですが…^^;

*3:書評やサイト紹介を期待して読みにくる人間がどれくらいいるか、という問題。