「シュレディンガーの猫缶」
魚(本文と関係なし)
『
いろいろウェブを見て回って
いろいろ考えたんですが
やっぱり戻ってきてしまうと言いますか
いろいろ考えてみたのですけどもね
おかしな事書くなあと思われるかもしれませんけどもね
何と言いますか
自分が何かをするというよりは
自分に何かをさせるというほうがしっくりくる
自分が何かになりたいというよりは
自分を何かにならせるというほうがしっくりくる
のですね。
自分を使って何かをしようという感覚と申しますか。
折角手元にあるから何かやらせてみようか、という。
ある種の道具/材料扱いで。
多分、上の考えを推し進めると
生とは(時間と共に老いていく)自分を使用可能な状態で
使用期限は死ぬまで
となるんでしょう。
だからでしょうかね
素質やら特性やらを見極めるのが大事だとか
満足度を最大にするように生きるもんだとか
思ってしまうのは。
まあそんな所です。
』