はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
まとまった文章が中心。日々の短文はmb(ryにあります。

そしてその「続き」に

自分にとっての「続きを読む」記法の存在とは

ウェブページというのは大抵フラットな存在…というと、言いすぎでしょうか。
多くの場合、ページの上から下へと情報が流れていく、そこにデザイン的な区切りやポップアップの注釈をつけることで、情報の流れにアクセントをつけている…そういう仕組みになっているように思えます。*1
そんな中で、自分が何故「続きを読む」記法にこだわっているのか少し考えてみたのですが…おそらくその理由は


『その日の日記の表紙』を演出したかったから


なのです。
もちろん最初は、単に長々と書かれた一日分のエントリーを全部読み込むのが嫌で*2利用しようと思った訳ですが、
『どうせ「続きを読む」が表示されるなら、日記のタイトルである「というわけで(ry」をうまく利用し、「今日の巻頭言」的な空間を作ろう』
そう考えるようになり、今の今までこの記法を活用してきたわけです。
…「というわけで(ry」と書かれた、その続きが読みたい時は、「ぺらりと表紙をめくる」つもりで「続きを読む」のリンクを押す、そんな構成に惹かれたわけです。


もちろん、カテゴリごとの「続きを読む」記法もまた、巻頭言的な存在を演出するのに使えますし、今までやってきた事を「それぞれの日の各カテゴリごとに」行えば、今までと同じような効果を実現できはします。
ただ、あえてブログ=記事を書くのではなく「ダイアリー」=「日記」を書くサービスを利用している以上、こちらも『日』記としての側面を大事にしたい…と考えるのは、こだわりすぎでしょうか?


これが自分にとっての、全く個人的な、「続きを読む」記法についての感想*3です。


…「続きを読む」なんぞに、こんなに熱くなってどうするという話はさておき…^^;

*1:もちろん、ページを次々と紙芝居的に並べていく事でも、アクセントをつけることはできます(「続きを読む」は、その一種として捉える事が可能)

*2:どんな高速回線でも、一ページが長い事に対しての嫌悪感は拭いきれないものがあります

*3:意見というほど大したものではありません。あくまで、感想、です