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Rebel

アメリカからの「荷物」が片付いたついでに、前の職場を振り返ってみる(2)

…またの名を「本来の任期である3年が終わって手元のビザもようやく切れたので、前の職場を振り返ってみる」


そんな訳で、前の更新からかなり間が開いていて、以前のタイトルにあった「荷物が届いたついで」というのには時間が経ちすぎているのと、それならばと実情にあったタイトルに変えてみたら、タイトル違う時点でもはや(2)じゃないような気もしてきたのですが、敢えて(2)を貫き通してみます。

  • (2)を早めに書こうと思っていたら、新年度と共に様々なイベントが押し寄せてきて(ry
    • アメリカから最大の「届け物」が予定されていた/届いたのが3月末だったので、それまではある意味仮体制だった&新年度から新体制に移行したので(ry
  • 言葉通り、届いた荷物が概ね片付いた以外にも、ちょうど前の職場がらみの仕事*1が片付いたのでこのタイトルに。
    • そして息つく暇もなく迫り来る現職場での初の研究室内進捗報告…!こんなもの書いてる場合じゃないような気もするが(ry
    • かといって前職場の仕事も完全に終わった訳ではなく。一番大きな仕事はこれからが本番ですよ。なんてこった。とりあえず前ボスが「この日から休暇だから、それまでに片付けたいな!」といって指定してきた日が、まさに進捗報告の前日とかやめて頂きたいのですが。


さて、前回は前職場の一般的な環境について書いた訳ですが、今回はもっと個別の事情、前職場で前ボスやその他のメンバーとやり取りして研究を進め、論文を出す中で自分が何を感じたかに踏み込んでみようと思います…


…が。


果たしてどこから、どう書くべきか。
前回の更新から2ヶ月半、ある日は「ありとあらゆることをぶちまけるぜ!」と息巻いてみたり、また別の日は「いやいや、あまり個人的な事を書くのはねえ」と自重してみたり、それなりに揺れ動いていたのですが…


おそらく、どう語るにしてもキーワードは【言語】と【研究哲学】なのだろうなあ、と。


【言語】は、要は英語の事で、たとえば「英語で意思疎通するのは日本語でするよりずっと大変だ」というだけの事なんですが…。
でも、それは、単に英語の単語が分からないとか、表現が適切じゃないとか、文法がこんがらがってしまうとか、
もっと具体的に、通りすがりの人に挨拶するのにも頭を使うとか、同僚と雑談するのも一苦労、とかだけではなくて、
「上司が度々やらかす勘違いを、その都度、相手が気を悪くしないようにうまいこと正す」
「上司に責任を問われたときに、自分には非が無いことを示しつつ、誰に非があるのかは敢えて曖昧にしておく」などという、
割と厳しいシチュエーションでの会話、日本語ならぎりぎり出来そうな(場合によっては日本語ですら上手くは言えないだろう)会話を、いかに正確かつ簡潔に、そして自分の言える範囲の単語で、相手に発言された直後の0.1秒で返せるか、そういう大変さです。

  • 個人的には「何でそんなことをしたんだ!」という言葉そのものだけでも十分ストレスフルなのだけども、それにひるまず英語を使いながら反論しないといけないという環境。反論すれば分かってもらえるらしいと気づいたのは、英語で何とか返せるようになってから=結構後になってから。


特に、自分にとって最初の1年は、自分の喋っている言葉に自信が持てないので、相手が何か誤解していてもそれが本当に勘違いなのか、自分の英語によるものなのかが分からず、雑談以外の場、発言に何らかの責任が生じるような状況では常に緊張していたように思います。


週に1度のボスへの進捗報告も、事前に資料・ハンドアウトを用意して、言うべき文章、見せるべきデータを全て載せました。それを元に何を言うか全部リハーサルした上で、その通り喋っていました。まさに、英語慣れ・国際学会慣れしていない日本人がいかにして国際学会を乗り切るか、それを進捗報告のレベルで毎週やっていました。たとえ書かれている英語が間違っていても、グラフや数字は間違っていないのでそれを読んでもらえれば、という戦略です。なので、データがない週は憂鬱でした。


結局、リハーサルをせずに資料を作るだけで済むようになったのは1年目が終わってから、最終的に資料がいらなくなり、日本にいた時と同じようにグラフ一枚を手に進捗報告に向かえるようになったのは、2年目も終わりになってからでした。

  • こうなるとデータがなくても全然怖くない(日本語でやるのと同じように、言い訳というか状況説明をちょっと考えておけばよい)ので、随分気が楽になった。
  • ちなみに、1年目2年目は進捗報告前に日本語の歌を聞くと英語が出なくなるので英語のPodcastが手放せなかった。3年目になってようやく、直前まで「ぽっぴっぽー、ぽぴー!」とか言っていても、グラフを取り出した瞬間にとりあえず英語で説明できるようになった。もちろん英語は依然として不正確だけれども。


さらに、これは自分だけかもしれませんが、1年目は英語を喋る事にエネルギーを割きすぎていたのと、周りの環境が英語だったので、記憶の呼び出しと研究に必要な思考に支障をきたしていました。


おかしな事を書いていると思われそうですが、日本で学部から博士、研究員に至るまで身に着けてきた技能が、ロックでもかかったように全く出てこなくなり、どういう点に着目して解析をすればよいか、得られたデータの見せ方や分かりやすいスライドの作り方、話のもって行き方、そういうものが学部生か修士学生のレベルにまで落ちてしまって、自分でも博士取得までの7年間はなんだったのかと愕然としました。そもそも自分がそういう状態にあると自覚したのは、渡米後半年以上経ってからでした。

  • 何故そういう事態になってしまったのか、もちろん急激な環境の変化でショックが云々とすることもできるのだけれど、それ以上に自分の技能は全て「状況記憶」として保管されていて、映像と言語、日本語で記述されているからじゃなかろうか、と思ったり。
    • たとえば、「どういう点に着目して解析すべきか」⇒昔、指導教官とディスカッションしたときの記憶、他の人の論文で見かけたときの記憶、自分が実際にその解析をやって、データを見ていたときの記憶。
    • 推測でしかないけれども、この頃は自分の中でまだ英語と日本語の間に高い壁があって、英語で得た知識や経験と日本語で得たそれらが完全に分離していて、どちらかにアクセスしているともう片方が出てこない、そんな感じだったのだと思う。
  • 実は、環境が変わると直前の環境で経験した記憶が出てこなくなりがちなのは今回が初めてではないのだけど、これほどの年数、これほどの範囲で記憶が一時的に飛んでしまうのは初めてなので、おそらく英語も関係しているのだと思われる。
    • 研究以外で記憶がおかしなことになった例*2:渡米半年過ぎた辺りの一度帰国で名古屋を訪れた際、地下鉄車内にあった路線図が分からなくなってしまった。2年の間に何度も地下鉄を利用して路線図そのものも見慣れていたし、知らない駅名はほとんどなかったのはずに、その時は書かれた漢字が駅名であることも、その読み方も、その駅を訪れたときの記憶も、そもそもそのカラフルな曲線のからまったものが路線図であることも曖昧にしか分からなくなってしまって、呆然と「絵」を見ていた。実家辺りやワシントンDCにも地下鉄&カラフルな路線図はあるのだけれどそれらは当然大丈夫で、ただ直近の2年を過ごした名古屋での記憶だけが妙なことになっていた。新幹線から地下鉄への乗換えや、地下鉄の中の様子などは記憶にあって懐かしいと感じていたので、たまたま目に入った路線図だけが異様に浮いていて、前衛絵画でも見ているような気分だった。その後、1年2ヵ月後に再び名古屋を訪れたときには記憶はちゃんとリストアされていて、不自然なことはなかった。


とまあ、散々英語に足を取られながら研究活動に励んでいたわけですが。
多分、【研究哲学】が同じであったら、ここまで英語に不自由した事を悔しく思い出したりはしなかったんじゃないかと思いもするわけです。


研究哲学といっても、自分だって大した物を持っているわけではありません。
ただ、指導教官の言葉である「自分の仕事やデータ、人の仕事やデータについて、自分の軸を頼りにして解釈ができるようになる。それが自立した研究者だ」*3というのを胸に刻みつけて学位を取った身としては、やはり自分の軸というのはどうしても譲れない訳で、もっと言えば「何が格好よいか、何が素晴らしい研究か」の一点に関しては、軸とか言う以前に自分の中にある美学なわけで、これはもうどうにもならないんじゃないかと思うわけです。


…。


詳しくは書きませんが、テーマの選び方、データの取り方、解析手法、論文の書き方、オーサーシップ、どの論文誌に投稿するか、等々、美学的な意味で自分には到底受け入れられないことが多く、しかも「この環境に甘んじていると、外に出たときに完全に駄目になってしまう」という危機感ばかりが募る2年半でした。

  • 気を抜くとボスが解析から論文書きから何から侵出してくる*4ので、何でもボスに丸投げ出来てしまう環境。その代わり自分は成長しないし、どんどん自分の美学に反する論文が自分の名を先頭にして出て行く。
    • 別に自分がとりわけ駄目だからそうなるのではなく、他のポスドクに対してもそうなのは少し話をして分かった。日本にいるときに読んで、ちょっといいなと思っていた論文の筆頭著者と話したり少し一緒に仕事したりして「あ、この人、自分で主体的にあの論文書いたんじゃないんだな…」と分かってしまったときの悲しさよ。そして自分が徐々にそうなりつつある事への恐怖!
    • 「ここに長くいれば論文も増えるしある時期までは安泰かもしれない、でもここにいればいるだけ精神的に死んでいくし、最終的に自分のためにならない」
    • それでも、最後の方は開き直って&逆手にとって、面倒なことを積極的に押し付ける「よりかかり怠惰ポスドク」と化していたような。何様だ。*5
  • で、危機感を抱えていても訴えるだけの英語力がないし、訴えてどうにかなるものでもない部分も結構。
  • ポスドクで一番問題になるのは「論文が出ない」ことだけれど、二番目は「論文は出ているが実は本人は全然成長していない」だろうとしみじみ思った。誰かに状況を相談しても、どこかのタイミングで「でも、論文出てるならいいじゃない」で切り捨てられるので困る。その論文を出すまでに自分がどれだけ能力値を伸ばせたかも大事な点だと思うのですよ。綺麗事かもしれないけれど。いや、本当、綺麗事なのはわかっているんだけども…。
    • 逆に、最初の論文が出る前は「せめて1報出してから出て行ったら?」「問題はそこじゃないんだよ!下手したら自分が(途中から)何もしてなくても出てしまうんだよ!論文が!ここだと!(怒りと嘆きに満ちた口調で)」というやり取りもした。改めて文字にするとかなり意味不明だが、間違ってはない。


美学という意味では、もともと自分は極端に言うと「博士取る=自殺行為というか自殺」というスタンスの人なので「博士を取ったのだから自分は割と早く死ぬだろう*6、ならば、論文は数を稼いで上に行くことを考えるのではなく、残された時間で少しでいいから良いものを出したい」という考えなのですが、そもそも前提のPh.D.取ると人生オワタ、というのが日本でしか通じない概念であることをすっかり忘れていました。

  • 欧米や中印あたり出身のポスドクは、母国に帰ればポストはあるだろうorアカデミックに残れなくてもそれ以外の道が…といった具合で、決して悲観することはなかったはず。この温度差には、正直耐えられないものがあった。もちろん、彼らには明るい未来があるのに日本の博士号の自分には…という意味では全くなく、「こっちは少し先のほうに崖があることを凄く楽しみに生きているのに、こいつらは将来がどうとか一体何を言ってるんだ」という方向で。
  • 本当はこの考えを英語で説明したいんだけども非常に難しい。日本の博士号取得者の未来が素晴らしく暗い事は説明した事があるが、それが「制度的には問題だが、個人的にはそれを狙ってきた、とても楽しみだ」というのは日本語でだって、容易には分かってもらえないだろうから。


そんな訳で、前の職場を振り返れ、個人的な話題を中心に!という題に対して、こういう文章を綴ってしまうのは果たしていいのか?と思わなくもないのですが、別に他に書くこともないし、実際、アメリカにいたときの職場についての上記以外の記憶といえば、とにかく建物の中にいるのが嫌で極力家から仕事をするようにしてたとか、アメリカを去る2週間前ですらプロジェクトの進行があまりに美学と反するので激しい無気力感に襲われたりとか(この無気力には滞在中常に悩まされた)、2年半で「最近こんな論文出たよね、読んだ?」といった会話をボス含めほぼ誰ともしなかったとか、同じく職場に不満のあった友人と「必ずここを脱出しよう」と励ましあったりとか、逆に、楽しかった記憶って全部職場の外だったりとかして、職場での楽しかった記憶ってあまりない気がします。

  • 件の友人も無事脱出できた&最近前職場の話をしたのだけども、同じ事をするにしても環境は大事という事で意見が一致した。
    • ストレスとかプレッシャーとか恐怖とか怯えとか、そういうものがないだけで頭の回り方が全然違う。
  • 逆に、前職場の仕事&メール書きをストレスを溜めながら現職場でやっていた際、ちょっと席から立ち上がって振り返ったら、突然、自分がもはや物理的に前職場にはいないのだとはっと気づいて、まるで悪夢から覚めたかのような感覚を味わった。ちょっとばっかり感激の涙も出そうになった。


追記(2013/06/02):
上の文章は最初の一行を除いて5月の半ばに書き上げたものなのですが、やっぱり(いくら冷静に書いているとは言え心配だったので)少し時間を置いて見直してみたかったのと、どうせなら渡米3周年の5月26日にあわせて公開しようと放っておくうちに、26日どころか初出勤の6月1日も過ぎてしまって今に至ります。
内容が内容なので更新するべきか非常に迷ったのですが、ここまで書いたものを横において他の話題を更新する気にはなれませんし、この3周年のタイミングを逃すと永遠に更新しない気がするので、一部具体的なエピソードを削った上で公開する事にします。

  • 読み返すとあれも書いていない、これも書いていない*7といった具合で本当に全然書き足りないのだけど、それをやるといつまでたっても書き終わらないので(ry
  • ちなみに一番上に書かれていた研究室内進捗はしょぼいながらも無事に終わりました。
    • この5ヶ月間、前の職場の仕事に随分時間と気力を吸い取られていて、こちらでの仕事に全然手が回っていなかったのだと気づかされた。物理的に離れていてこれなのだから、向こうにいた2年半ではどれだけ吸われていたのか。時間はともかく、気力の方を。

次の更新はいわゆる日常回というか、普通の更新にしたいものです。

  • というか早く更新したい、新しい職場で見聞きし考えた、くだらなおもしろい色々を!


追記2(2013/06/03):
日曜の夜の更新だし、大して人目に付かないだろうとたかをくくっていたのですが、意外とそうでもなかったみたいです。

  • 滅多にブックマークされないので、いざされるとたとえ少しでもうひょへぴゅ(ry
  • 改めて読み返すと本当泣き言というか地味かつ真面目かつ抽象的なこと極まりない。なので、ちょっとだけ具体的かつテクニカルなボスへのツッコミを足しておく事にする。*8
    • 「えーと、なんだ、いくら身内びいきだからってペアワイズアラインメントをbl2seqでやれって言うのはどうかと思うのですよ。あのツールは元々ペアワイズ用じゃないですからマジで。それと、いくら身内のツールで済ませたいからって、モデリングで得た手持ちの構造とデータベース中のテンプレート構造のペアワイズ構造アラインメントするのに、データベース検索ツール使って全構造とのマッチとかさらっとやらないで下さい本当。その辺の分子ビューアーでもたかだか1秒未満で出来る事を『全部サーチし終わるのに1日半かかるんだってー』とか笑顔で言われたら、流石にカタコト英語の自分だって横に立ってるツール開発者に『ペアワイズ、ないんですか、bl2seqみたいなの…』とか聞きますよマジで*9。」
    • ここまで身内にこだわるのはうちのボスだけだと信じたい。っていうか一応ここ世界的拠点っていうかほぼ世界トップなんだからそんなに頑張らなくても、ある程度は世界が持ち上げてくれるでしょうに…!bl2seqとか…!
    • まあ、実はデータベースの種類や分野によっては必ずしも世界トップではないので、気持ちは全くわからないわけでもない。でもなー、自分は別に中のスタッフじゃなくてただのポスドクだし、データベース開発部隊で自分の所のDBを使わないといけないとかならまだしも、外部のDB使って研究してた純粋な研究担当だったわけで、何かもう、ただとにかく良い研究がしたいだけなんだよなー、いやマジでマジで。


というわけで(ry

*1:荷物と表現するに相応しいような論文…。

*2:きっと自覚しなかっただけで本当はもっとたくさんあるのだろうけど、これはあまりにもクリアでしかもショックだった

*3:2009年2月にこの http://b.hatena.ne.jp/mbr/20090223#bookmark-12243629 ブックマークコメントでも使った。発声練習さんの背骨エントリー。

*4:ボスがデータセットをくれというので渡すと統計解析されて返ってきたりする。論文も書かれないように予防線を張っても気を抜くと先に書かれる。ボスが唯一やらないのはおそらく一番最初のデータセットの生成だけ

*5:そしてそれを支える事が出来てしまうのがボスの凄い所でもあり、困った所でもある。

*6:博士取得後最初の1年くらいは自分がもう死ぬんじゃないかと思っていた。前述の環境変化や英語のプレッシャー、論文出版競争他もあって、明日には気が狂って死ねるんじゃないかと期待していた部分もそれなりにあった。渡米2年目になってようやく、自分が博士号を取ってしかもまだ死んでいないとはっきり自覚した

*7:震災の後のまどマギ最終回で精神的に壊れたとか、丁度脱出のためのあれこれをやっているときに某ブログ記事を読んで「猫好きが猫を殺すような環境」という言葉に思わず涙したとか、渡米の話が出る前からボスの名前の入った論文は読んでいたので、研究の進め方のタイプには何となく気づいていたけどまさか(ryとか、エピソードは色々ある

*8:これは美学とか以前に、いまどきのバイオインフォ屋としてツッコまずにはいられないので…。

*9:その場に居合わせたもう一人のポスドクは英語に困らないので、さっくりと全力でボスにツッコミを入れていた