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はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か

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書こうか迷ったが自分のスタンスを確認する意味で書いておく

今日はこの炎上中(やや下火になりつつある)のブログ記事について、各所からの引用多めでお送りします。

  • 「「休日くらいはゆっくりさせろ」とぼやく、KYな世の中のパパさん達へ」http://www.wakatta-blog.com/post_468.html
    • 夏の2ヶ月間、1歳10カ月の息子の面倒をみた父親である筆者がその時の経験をもとに、育児の大変さを訴える記事。

自分は未婚の上に、結婚願望も子供願望も人生でこのかた一度も持った事が無く、「結婚式も新婚旅行もそもそも結婚おめでとうという祝辞ですら、なんでやる/言うのか全く理解できない*1」とかほざくレベルの人間なので、内容についてとやかく言える立場にありません。


しかし、「自分が経験した事について、今の自分と同じ経験者&かつての自分である未経験者を意識してネット上の日記で語る」という側面については、主に記事の書き方について思う事がいくつかあるので、自分の為のメモがてらちょっと書いておこうと思います。

  • 実はもうすぐ渡米して半年になるので、「アメリカ生活6ヶ月でこんな事を思った!」というのを書こうかどうしようか迷っているのですね。
  • で、この「休日くらいは〜」の記事よろしく、海外に出ない人を槍玉にあげるような形でアメリカ滞在の大変さを訴えるのは超簡単なのですが、かつての自分はもちろん、いまの自分から見てもそれは最悪だろうと。過剰な一般化を避けつつ、自分の経験を良いものも悪いものもきちんと振り返って、かつ読んだ人にも「ふーん、そんなもんなのかな?」と思ってもらえれば最高なんですけどね。

さて、前振りが長くなりましたが、件の記事について気になった点を挙げるなら

  1. 誰かを励ますために他の誰かを罵るのはいいのか
  2. 自分にとっては新鮮でも、当事者はそんな事百も承知じゃないのか
  3. ブログは表舞台、Twitterは楽屋、なのだろうか

主にこの3点になるでしょう。
一つずつ、引用中心に述べていきます。


1.誰かを励ますために他の誰かを罵るのはいいのか

  • 筆者はコメント欄で「この記事は、育児ママを応援する目的で書きました」と言っているのですが、Twitterを見ると「今日この記事起因で、日本のどこかで夫婦喧嘩が起きると思う^^(http://twitter.com/kankichi/status/3639126314196992)」なんて記述もあるので、励まし半分煽り半分なのかもしれません。
    • これについてはコメント欄のこのコメントが抜きんでているので抜粋。

自分が変わるような体験をして衝撃的だった、という時に
それを上手くポジティブな言い方で人に伝えることが出来ず
過去の自分やそれを投影した誰かを罵ることに転化してしまう
というのは感情処理や表現の拙さ、技術上の問題です。


例えば中学生が洋楽に目覚めて、
洋楽の素晴らしさを嫌味無く周囲に語れたら良かったところを
過去の自分が好んでいた音楽・それを聴いている人間をこき下ろしてしまう、
ああいうfailですよ。

http://www.wakatta-blog.com/post_468.html


(11/22追記)
Tumblrダッシュボードにここの引用が流れてきたので念のため書いておきますが、上記のコメントは現在、17日のコメント整理によって読めなくなっています。

  • 同コメント欄17日の書き込みより「賛成・反対意見はどっちもあってしかるべきですが、本筋と関係のないコメントについては、読むほうも疲れてしまいますので、当方で非表示にさせていただきますした。」。
  • コメント整理そのものに付いてもいろいろ思うところはあるのですが、まああまり引っ張っても仕方ないので書きません。でも読む方を慮っているようで実は「責任転嫁」しているだけに思えるのはきっと気のせいじゃないのです(整理したことで初期の筆者の煽りコメントも一緒に非表示になっているあたりが特に)。
  • で、一応この非表示コメントについてはこの部分引用だけでなく全文もReblogしたんですが、あまりにも一日のPublish速度が遅すぎてまだQueueに入りっぱなしでした。今週末くらいにきっとこっそりどこかのTumblrlogに上がるでしょう。上がったらこっそりURLも追記するかもしれません。
    • 良い言葉は自主的に残しておかなきゃですよ、消される前にね。

(追記ここまで)

  • しかしこれに対し、ご本人は「これくらいエッジの聞いた記事じゃないと、だれも読んでくれないんですよ。」としているのですが、友人にメッセ経由でもらった反応がよい反論になっていると思えるので、長いんですが載せておきます。ゲンダイ化。

この記事は、育児ママを応援する目的で書きました。これくらいエッジの聞いた記事じゃないと、だれも読んでくれないんですよ。

たぶん私が「ああ…」さんが求める記事を書いたとしても、その記事を「ああ…」さんが読むことは絶対なかったと思います。

[7:33:12] : これに最近考えさせられることがあるんだよな
[7:33:35] : ゲンダイのあのすさまじい記事がなぜ成立するのかとか
[7:33:40] : 日ごろから考えてて
[7:33:45] : 結局
[7:33:47] : 偏り過ぎて
[7:33:59] : 批判が大量に来るくらいの刺激的な文章にしないと
[7:34:05] : 誰も読まないかも
[7:34:10] : というのは本当にあるのかもしれない
[7:34:13] : と今は思い始めている。
[7:34:15] : だから
[7:34:25] : この”かん吉”氏の、最後のコメントもまた
[7:34:29] : 尤もかもしれないと。
[7:38:11] mbr: しかし逆に言えばずっとその調子でいなければ注意をひけない訳だよね。
[7:38:18] : だから
[7:38:20] : ゲンダイ化

[7:41:35] : お金を取るために
[7:41:38] : 買ってもらうために
[7:41:42] : ものすごく刺激的に書くというのは
[7:41:53] : まあ、今の資本主義社会からしても
[7:42:03] : まあありかわからんが、不可避的なところはある。
[7:42:17] : でも
[7:42:22] : ただの自分の書きたいことを書く
[7:42:27] : 個人ブログというならば
[7:42:31] : それは、おかしいよね
[7:42:39] : もうちょっと、エッジというが
[7:42:43] : マイルドでもいいはず
[7:42:51] : もし、マイルドな見解というか
[7:42:59] : より心の広い見解が頭にあるならば、だが。

(訝しがる友人に、この元記事の筆者は自分で会社を作ったり、その旨自分のブログに掲載しているので、ある程度ブログと自分の仕事が結びついているのではないか?と述べたところ)
[7:46:09] : なんというか、大人向けの文書だから
[7:46:35] : 毒を吐くにしても、何にしても、ある程度、「隙の無さ」というのをアピールする必要があって
[7:46:55] : まあ、隙があっても、読者が「こいつのことだから、狙ってんのかもな」とか「まあ、こいつはこういうこと書くわな」とか
[7:47:05] : そう、思わせる必要がある
[7:47:44] : なんというか、繰り返すけど、大人向けなので
[7:47:50] : 大人に対して
[7:48:18] : 「まあ、こいつには騙されてもいっか」というような、感情を少しでも起こさせるのが、金を取ろうとする人にとっての必須能力

  • さらに、これに関しては言及記事のコメント欄にも非常によい記述を見つけたので抜粋。本当は全部引用したいんですが、かなり長いので。

「不特定多数のモチベーションやインセンティブを操作しよう」というのは
思い上がった人間が判で押した様に必ず好む発想ですが
ほとんどの場合は能力が足りないので頓挫します。


人を扇動操作したいと願いながら
それを実現する能力のなく挫折した人間が何をはじめるかと言うと
フラストレーションが手段と結びついて対象を攻撃し始めます。
そして「対象に不快な気分を与えることで操作できるんだ」という妄想を抱き始めます。

http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20101114/1289745463#c1289752436
    • これ、ブログ記事なんて狭い範囲の話ではなく、実に様々な局面で、自他共に見受けられる心理な気がします。


2.自分にとっては新鮮でも、当事者はそんな事百も承知じゃないのか

うちのようにすでに「何でやろうとせんのじゃー」「ごめーん無理ー」の流れを
幾度も幾度も繰り返してきたような家庭にとって、
残念なことにこのエントリは、お互いに「またかよ・・・」という流れにしかならないのです。

  • ちょっと脱線しますが、記事を書いたtarako3016さんはこの記述の後、未婚の人々の「じゃあ子供作らない(結婚しない)」というコメントに対していくつか感想を述べています。個人的には、経験者には「説教でなく事実(良いものも悪いものも)を聞きたい」「過去を振り返っての今の感情はともかく、起こった出来事とその時に覚えた感情が聞きたい」ところです。「なんだかんだあっても子供はかわいいよ」ではなく、「こんな時は本当にひっぱたいてやりたくなった」「こんな事をしてくれたときは涙が出るほどうれしかった」とか。
    • 上の一節を書いてて思ったんですが、読んでいて「実感が湧くか」が重要なのかもしれません。自分が何か書くときはぜひ気をつけよう…。


3.ブログは表舞台、Twitterは楽屋、なのだろうか

  • この方はTwitterもやっていらして、ブログから飛べるようになっている(一番下にはここと同じくTwitterの投稿を表示するブログパーツも見える)のですが、そこでの発言があまり感じのよいものではないのですね。
    • たとえば、ブログに来たコメントを適当にあしらった事を「コメントしゃらくさいので、薪をくべてみました^^」(http://twitter.com/kankichi/status/3657822986313729)と書いているのですが、これをブログ記事そのものやコメント欄にダイレクトに書くだろうか?と思うと、多分書かないだろうな、と。
    • 他にもいくつか気になるTweetがあるけれどいちいち挙げても仕方ないので挙げず。ただ、一人の読み手としては、ブログだろうがTwitterだろうが他のいかなるWebサービスだろうが、公開されて相互にリンクされている以上こちらには全部見えているのだから、そこには何の違いもないんじゃないかと。利便性とかで使い分けするのは書き手の勝手だけども。


…気が付いたら引用が多くて信じられないほど長くなってますが、最後に(このエントリのタイトルで述べたように)「自分のスタンスを確認する意味で」自分がこっそりつけている旧サイトの日記から、2010年1月1日の記事の一部を引用します。

  • 日付から推察できるように、主に年始の抱負の一部として書かれたもの。これを、博士論文発表会4、5日前に書いていたかと思うとさらに味わい深い(かも)。
    • しかし…旧サイトの内容をこちらに引用として持ち込むのは、この6年間で初めてじゃなかろうか。

これまた前の、
2008年末の日記にて少し書きましたが


自分の人生は、
最終的に自分以外の存在には使えない
もちろん他人の人生を自分のために使うこともできない


その拡張で、
自分の過去は、
やはり自分自身のためのものであって
他人との互換性はそんなに高くないんじゃないか、
そんな事を思ったりします。


自分は自分の過去から
有用なものを取り出して使う


さらに、
自分の過去を黙って置いておくことで、
だれかが興味を持ち、
何かを拾い上げていくのは構わない、


でも、それは逆であっては駄目で、
過去を抱えて渡す相手をいつも探している、
そんな行動をとらせる過去は、捨てた方がいい、

えらく説教くさいうえに抽象的で
しかも状況によっては容易に成立しなくなりそうな
言説ではありますが、


今はひたすら、そういう気分でいます。


というわけで(ry