Segmentation Fault

はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か

representation

今猛烈にとあるエントリ*1とそれの関連エントリ*2に反応したい(外に価値基準があると表現者になれないよ、自分の中に精神的背骨がないとだめなんだよ、というお話。とにもかくにもブックマークはしたし、一番気になるところはコメントをしてお返事まで頂いた。でもまだもやもやしてすごく反応したい)のだけど、今全力で反応してエントリ書くと学会のアブスト締め切りの近い自分オワタになるのであーもーほんとにもー(何が言いたいか全く不明)。


とりあえず言いたいことを殴り書きする
(後日清書するかは不明だがとにかく書きたいし忘れるのもしゃくなので書いてしまう)と:

  • 発声さんはどうもB4とかM2に求めてるレベルが高すぎる気がする。生命系ならあのレベルをクリアできるのって博士くらいにならないと無理なんじゃね?とか思うけど、何せ分野違うからあれだわ、あれ(謎)
  • あくまで自己の内面を表現(=本当の自己表現)する小説と、手を動かして得られた(基本的には)変えようのないデータの解釈(=部分的、限定的な自己表現)を延々書きまくる論文を一緒くたに議論しないでほしい感じがかなり。
    • っていうか小説みたく頭の中の適当設定*3で論文が書けたら苦労せんわ!!マジでマジで。逆に無駄に文学的表現がふんだんに使われている論文とかあったら、読むのだるいんで超やめてほしいです。
    • あれだ、科学技術論文で「数時間後、物質Aは力なく減少しゼロへと還って行く。その様を物質Bは淡々と減少することなく眺めていた」とか「Fig.1はそっと私の肩を叩き、遺伝子Aが憂いをおびた調子で発現しているのを教えてくれた」とか書かれたら困っちゃうから。いや意外と楽しいかも。このノリだったらあっという間に論文書けそうな気がしてきた(やめろ、今すぐその手を止めろ、早く普通にアブストを書け)。

いやはや読み返すと本当に殴り書きですね。
とりあえず論文を小説風味で書くのは面白いことが分かりました(役に立たない結論)


というわけで(ry

*1:価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習

*2:表現者という言い方をした理由 - 発声練習

*3:この言い方は乱暴すぎて小説に対して本当に失礼かつ申し訳ないのだけれど、あくまで論文と比べて相対的に、と思って読んでください