unfinished
多分もう毎年恒例と言っていいはずの年末更新
前回11月にとりあえず個人的な一年のまとめを書いて、さてあと今年は何回更新するかなあと思っているうちに案の定この日になってしまいました。
- 独り言Tumblrを更新しすぎなのが一因のような気がする。さすがに二つの日記を同じペースで更新していくのは不可能ですよ。
- コンテンツを分けて二つを使い分ければいいのかもしれないけども、この日記ですらカテゴリ分類ができなくて破たんした人間にそんな使い分けなど出来るわけがなく。そもそもコンテンツが「自分が見聞きして印象に残ったことをその時思ったこととともに出力した文章の塊」という一カテゴリしかない時点で分類とか無理。
- 頭の中で経験が分類されてないがゆえのなんとかかんとか。全てが時系列で整理されているので、自分にとって日付は重要。
そんなわけで、今回の日記は(いつも通り)最近自分が見聞きしたあれこれこと、恒例の同期忘年会のまとめを書きつけるわけです。
- なにせ忘年会まとめは1年に1回しか書かないので、どういうスタイルでどの程度の分量を書いているのか忘れる。今回、過去ログを見つつ、実は意外と分量に波があることを発見した。
- 前後の会に比べて2012年分(2013年1月5日開催)が短すぎる。あれば自分が帰国した直後であまりにもいろいろありすぎたのが原因な気がする。あと2011年は一時帰国しなかったので記録なし。
- ここ数回分を見返した感じでは、2010年のスタイルが読みやすかったので今回もそれを踏襲。
開催の背景:
- 今年は第11回目の開催。なんと最初の開催である2004年12月24日からちょうど10年が経過。スゲェ!メンバーは安定の6名。
- 個人的には、最初に会が始まった時、これがいつまで続くか(特に大学院を出た後どれくらい維持できるか)結構疑問で、正直10年も続くとは思わなかったのでちょっと感動。そして感動のあまり記念土産をばらまくという行動に出る。結構お高い土産を5人分、店まで出向いて買い付けるというアクティビティ*1。いろいろと大袈裟かもだけど、でもやっぱり10年てすごいぞ。*2
- 去年は第10回の記念すべき年、今年は10周年の記念すべき年ときて、来年は「参加者が修士を終えてからほぼ10年」になることに気づいた*3。自分以外の参加者はみんな修士で就職したので、社会人10年という節目に差し掛かりつつあるということに。そして自分だけ3〜4年遅れ*4の世知辛い現実が!
- そしてなぜか「3〜4年遅れ」という単語に電車のダイヤ的なものを連想する。4年遅れで運行しております的な。しかし、この遅れは回復できるんだろうか?
- 遅れと言えば今年は遅刻者がたった1名、しかもたったの10分遅れで済んで衝撃的だった。しかし待ち合わせそのものはわりとぐだぐだ。具体的には一番最初から待っていただろう某氏を見落とす事案発生。柱と一体化していて視界に入っていても全く認識できませんでしたよ?
開催の様子:
- そもそも全体が4次会まであるって初じゃなかろうか。徹夜なのは前もあったけど。
- 某カラオケ屋の忘年会プラン→沖縄料理屋→(電車移動)→前年行ったパブ→24時間営業のファミレス、という流れ。そしてこのオールナイトな流れの引き金を引いたのは一番終電が早い&終電をスルーした自分な気がする…。ちなみに電車移動を挟んだあたりで二人減っているので、最後まで行ったのは4人だけ。
- 場所はやっぱり神奈川県の某所、1&2次会は昨年と違う場所、3&4次会は昨年と同じ場所=かつての自分の家のそば。ああ、家がもうないって悲しいですね、本当に。あの土地には長く住みたいと心の底から思っていただけにますます。*5
- わりと異動というか、勤務地が変わった人が多かった印象。すごく不便な場所から新横浜に帰還とか、日立にゴーとか、自分の仙台送りとか。
- 1次会の全体の会話はかなりとりとめない状態。いや、どうも今年はいろいろあった人が多いような。そのためなのか毎年恒例の「今年何があったか1月から順番に言っていこうぜ」な流れが4月までで終わってしまって、12月までたどり着けなかった。
- 繰り返し繰り返し、客先?にいる自分より職位が上の人にいじめられたよ!と訴える人と、繰り返し繰り返し、仕事はそんなに問題ないけどプライベートというかなんというかがちょっと…と訴える人*6。自分?もうね、いろいろありすぎて何から言えばいいかわからないし疲れたしもうこの前の日記読んでくれたらそれで良いよほんともー。当然、特に何もなかったよ的な感じの人もいる。
- 自分のこの発言→「4月…4月はいろいろあったなあ…あっ、そういやさっき3月何やったっけとか思ったけど、あれだ、スタップ細胞ネタで盛り上がってたんだ」から、「あー!あったね!!スタップ!!」ってな感じでそこからすごい脱線したような。いかん、言うべきじゃなかった。
- 笹井氏の自死に、分野も何も関係ない(男性研究者という共通点程度しかない)のにひどくショックを受けた&自分の部下があんな風なことをやってきたら見抜けない気がするという物理系某氏に、「情報系ならあんなことは絶対に起こらない、自分の部下がコード書いて来たら全部中身を見る、コピペかどうかなんて見れば分かる」と強く主張する某氏など。そして研究の世界の外にいるので普通に(おそらくワイドショー的な観点から)楽しんだよという某氏。
- 似たような構図:会社の労組やら親会社やら子会社やらであれこれ盛り上がる二人と、小規模な会社で自分のスキルで生きていくんだ&そんなに会社が嫌なら辞めて他に行けば良いんだよ!と主張する人に、それをまあまあと宥める別の人(大企業の研究所勤め)。そして「嫌でなくても任期切れたらどうせ辞めさせられるから!(うひゃ)……あれ…そういや、大学って労組とか…ないよな…?」「あなたは国家公務員(みたいなもの)なので、そういうのはないの」とか他人に指摘される自分。そっかー、昔の国家公務員かー、公僕かー。そーいやそうだったわー。そして終始、言葉を発しない人が発生。良くない、良くないよ。
- その他の1次会小ネタ:梅酒ロック薄すぎ、モヒートがグレープフルーツ過ぎ、仙台は田舎で何もないと主張する自分にロフトがあると反論されるが、ロフト以外の反論が帰ってこない。結局誰も歌わないのでカラオケ分だけ損してるよねという冷静な指摘。「そういやこの前、ご当地の掟みたいな本に『仙台では芋煮を断ってはいけない』ってあったけどどうなの?」という質問。あっそれ本当です。あとは健康ネタとか。健康診断の結果でああでもないこうでもない。酒を控えろ、体重を減らせ、着られる服がない、ああもう30代だなもう。肩こりひどい人VS全く肩こりならない人&効果的なストレッチを伝授する人。自分は肩こりになっているはずなのですが、肩こりだという自覚がない最悪のパターンです。
- 2次会はうろうろしながら沖縄料理屋に入りつつ、最初からここでよかったんじゃね?という幹事に全く配慮しない発言などをしてみる。あと、確かこの2次会の店って1時間半くらいしか居なかったはずなのであんまり喋らなかったような。ルートビアおいしいです。
- 仙台から持ってきた10周年高級土産はここで配った。一人が一瞬で包装と箱を開いていて驚いた。いつの間に開けたのそれ。
- もやしのチャンプルーをつまみながら自炊の話など。料理作るのはいいけど洗い物めんどいから食洗器買ったよとか。出刃包丁がないと切れないよ魚、とか。自炊組の中でも普段から魚を買うかどうかなどでランクがあるようだ。そして寮に住んでるから食事出るとかいう最強の回答が。
- ここに来て昨年婚活始めた人の今年のプログレスが明らかになる。週末の何割をそうした活動に費やしたとか、そのためにいくら使ったとか、デートスポットとか詳しくなったとか、服を買い換えたとか。今年はフェーズIIIまで行ったケースがあったらしい。昨年は第二段階ことフェースIIまでだったので進歩が!ちなみにその詳細は3次会で明らかになった。うーん、この人の婚活ネタはこの忘年会の主要コンテンツになりつつあるような。当人は来年にはファイナルフェイズに行きたいらしい。頑張ってください。
- この忘年会まとめを楽しみにしているという発言を某氏からもらったのもこの2次会。これを楽しみにしている人がいたなんて!という衝撃。本当は頑張って覚えていることを全部書きだしたいのだけど、自分の記憶の定着にも限界があるのと、あと単に全部書きだすのすごい大変。時間が経つと次々思い出すし。
- 自分としては、忘年会のまとめは原則として12月31日までに更新したいのだけど、忘年会が30日にあると31日まで1日しかなくて十分書く時間を取れなかったり。本当は28日くらいにあると1日3〜4時間くらいのペースで3日間にわけて書けばいいので楽。
- 3次会はいつものパブ。正確には、2次会で一度解散→電車が同じ方向&まだ終電まで時間ある人たちで途中下車&飲み直さない?なる提案から3次会へ。
- 身長180cmに少しだけ足りない人々2名による「180cmより少しだけ低い人あるある」。ドアのあるところなど普通に通過すれば頭をぶつけないのに、段差があったりして中途半端に跳ぶと頭をぶつける。その逆で、そうした所をくぐるときにほんの少し背伸びをして頭を上にぴたっとつけて「ハマった!動けない!」とかこっそりやるけど、周りからはめっちゃスルーされるか、怪訝な顔をされるだけで終わる。
- 妹の結婚の心配をする兄2名(独身)。先に自分の心配を知ろよというツッコミを重々承知でそれでも心配する横で、弟しかいない&一人っ子のコンビはへえーというような薄い反応。まあしょうがない。
- 2次会に引き続き某氏の婚活プログレスを聞く。今何人ぐらい進行してるのとか、どんな人なのかとか、そもそもどんな人が良いのとか。そしてあれこれ事情を聞きだすうち、実はこの人は結構家柄が良いお坊ちゃんであることが判明する。*7そしてなぜか家族写真見たり。すっかりコンテンツ化してるよこの人!3次会のメインコンテンツ!
- そういえば、この某氏が利用している婚活サービスでは大学の卒業証明書を出したらお金が返ってきたらしい。何やら某工大が提携しているらしい。謎だ。
- あまりに眠すぎてオートマチック眠いbot*8になりつつある某氏に、英語でだべると目が覚めるよとか言ってるうちにマジで英語だべりに突入。二人で延々英語でだべる*9。この人はドイツにいたのでかなりペラペラしゃべるのだが、実は喋ってるうちにリーディングなどは苦手らしく、TOEICスコアは結構ぎりぎりだったことがわかった。っていうかそんなんでも喋れるのか!とこれまた驚いた。やたらとTOEICのスコアが高い自分とは対照的だ。もともとの話題としては渡航前後でTOEICスコアがどの程度変化したかとかで、上がり幅が50〜60点くらいという幅は同じなのだけども、実は某氏と自分とではベースのスコアが150点くらい違うという事が判明して(ry
- このタイミングにて、理学/生命科学系の魂を持ちながら工学/情報工学系のラボの助教になってしまった自分から、普段のラボ生活で感じている疑問、たとえば情報系の学生はどうやって教育するのがいいのか等々の質問を場に投げ込んでみたり。受け手は情報工学2名と物理学科1名。個人的にはこの会話がすごくためになった。この忘年会まとめに書くのがいいのかよくわからないのと、書くにしてもかなりの量があるのでここにはあくまで印象に残った台詞だけ書き残しておく。
- 情報工学の世界の技術は数年で新しくなってしまうので云々、理論で言われていたことに技術が追いついてきた(=いろいろ出来るようになってきてしまった)云々、コンピュータサイエンスのサイエンスはいわゆる理学世界で言うサイエンスではない云々、エンジニアリングの学位はどことなく臨床の医者の資格と似ていて実技・実学がメインなので、理学の学位と同じだと思ってはいけない云々。情報系の学士・修士・博士はそれぞれどの程度のレベルに到達しているべきなのか等も。全般的に、物理出身の人の言い分はだいたい自分の思っていることと同じ(=理学の人の発想)で、情報系のうち開発バリバリの人の言うことはラボの一部の学生たちの態度にやや似ていて、もう一人の情報系の人はその両方をうまく理解している感じで、このメンツに質問を投げて正解だったと感じた。いまさらながら感謝をば。
- あと、自分としては、今のラボのやり方である「学部4年生に自分でテーマを探させる」ことについて、理工の壁を越えて3人全員が否定的なコメントをしたことも、とても励まされた。自分の感性が変なんじゃないんだ、自分が物を知らないだけじゃないんだなと随分安心した。妙なのはラボの方だ。
- 4次会はぐだぐだになりつつどうにかファミレスに辿り着く。深夜3時過ぎの大晦日の街は暗くて静かで雑談しながらぶらぶらするには最高(ただし寒い)。1年半住んだ街の通い慣れた駅でも、全てシャッターが降りた様子は結構新鮮。
- ふらふらと24時間営業っぽい店を探索しながら、温かい飲み物を自販機で買って暖を取ったり、温かさを神の力とか適当に言ったり、中身を飲んで神の力が失われたとか言ったり。深夜の全く人通りのない世界で、街角のニュースのテロップだけが止まらず流れていたり、広告用に設置されたディスプレイがただ広告をエンドレスで流し続けたりとか。そしてそういうものに独特の面白さを感じる人と感じない人と。
- この時間にシロノワールもどきを頼む人と、うわシロノワールもどきだと驚く人。*10
- 今年は親が還暦だったよとか、いやうちの親もう来年は70歳だよとか。そこから介護とかどうするね、なんて話題を少しだけしたあとは、15年後どうなってるかとか。部長くらいにはなってる…のか?な未来予想図*11の大企業組と、80歳まで現役で開発したいらしい小規模企業組。そして上がるor下がる=准教授orポスドクな未来しか浮かばない自分。助教でスライドは年齢的なものを考えると多分無理。あと今のポジション任期有りだから。15年も任期無いから。
- なぜか資本主義だからって台詞を結構聞いた気がする。1次会でも(3次会も?)。そして自分がその枠組みからめちゃ外れているのを実感する。うーん、アカデミックって難しい。あとなんか情報系二人の片方、小規模なところ勤めの人が自分がどう技術力を磨いて市場価値を高めて生き残るかの話しかしなくて、大企業勤めのもう片方が社会やシステム全体がどうあるべきかをひたすら論じていて面白かった。お前ら極端すぎだろ。そして自分自身の市場価値とかもちろん意識するけど、ポスドクや助教の任期や人数などシステムの方もいろいろ破綻していて、カオスな世界の自分。うーん、アカデミックって難しい。
- この帰り、婚活やってる某氏と電車が同じだったので少し喋ったところ、何故急に婚活に力を入れ始めたのかの理由を教えてもらえた。友人とかの変化による圧力ってすごい。そういう意味ではこの忘年会の変化のなさは圧力に変換すると多分ゼロ。
個人的なあれこれ:
- 2次会終わったところで、この前作った名刺をばらまく。一応人生で初めて作ったちゃんとした名刺。しかし残念なことにあげた側の名刺は一人しかもらえず*12。そして初めて友人の正式な所属を知るなど。カタカナ多くて難しい。ふえー。
- 4次会で意味なくマフラーびよんびよんした*13。びよんびよんびよーんびよーんびよんびよんびよーーーーーん。そして駄目だしされたり肯定されたり無視されたりする。でもリアクションとか最初から気にしない。早朝4時のファミレスでマフラーびよんびよん。
- 「あんた精神年齢いくつだよ!」「3.3歳ですが何か?*14びよんびよーん」(注:口でびよんびよん効果音言いながらびよんびよんさせている)
- 自分以外みんな異様に手が冷たい。自分のコートがアメリカで購入&仙台に最適で異様に暖かいからとも言う。南関東では基本的に暑いのだけど、さすがに深夜3時とかだと丁度良かった。
実は、このまとめを書いている横では紅白歌合戦が流れていて、度々東北や仙台が震災復興の方向から取り上げられているのですが、それを見るたび何とも言えない気分になります。
- 仙台にいると未だに震災の余波を色々なところで見つけられるし、それこそ選挙の演説なんかでもその話題が出てくるのだけど、自分はその時仙台にいなかったのでどうしても当事者には成り得ないのだよな、とか。それに、たとえそうしたことがあって心を痛めたり募金なりはしても、自分にはやっぱり東京圏が合っていて、今のところはまだ仙台が住みよい街だとはどうしても思えないあたりも。
- 始発で電車を乗り継ぎながら家へと帰っているとき、それを強く感じた。小規模なきらびやかさの連続と、どこまで行っても人が居て、どこまで行っても街がある感覚は残念ながら仙台にはない。
- 最近気づいたのだが、私鉄が通っている都市って実はあんまりないのだな、とか。街中の近距離を移動するのにJRと私鉄と地下鉄を乗り継いで…なんてことが出来るところは本当に限られているのだと改めて感じた。
まだまだこの辺については&忘年会についても書けることはあるのですが、もうすぐゆく年くる年始まっちゃうのでこの辺で。
それではみなさま、よいお年を!
- やったぜ、新年に間に合った!そういえば今年も紅白にふなっしーが出てて感動した!しかも去年みたいに楽屋裏じゃなくてステージにいてますます感動した!ふなふなふなふな、ひゃっはー!!
というわけで(ry
*1:1人分だとそこまで高額ではないのだけど、5人分だと1次会の支払い金額を上回る額に…まあいいけど。
*2:だって始めたときは修士1年で、ほとんどの参加者は大学から知り合った=その時点で4年半くらいの付き合いでしかなかったわけで。そこからさらに10年ってむちゃくちゃ長い気がするんだけども、あれか、自分が驚きすぎなんだろうか。
*3:2006年3月修了→2005年末はほぼ修士終わりかけ、という理屈による
*4:ポヌドクをどういう扱いにするかによって年数が変わる
*5:長く住みたいということをある人との会話で口にした数か月後に仙台行きの話が出たので、実にやるせない。
*6:この「なんというか」の中身は婚活であることが2次会で判明する
*7:父親が東大でそれに反発して某工大とか、うーんすごい、としか
*8:ただただ眠いしか言わない存在
*9:このとき、残りの二人はパブのテレビを眺めていた
*10:ああ、家のそばのファミレスにこんなメニューがあったなんて!知ってたら行ったのに!今はすべてが遠すぎる!
*11:ただし必ずしもそれを肯定的に捉えているわけではない
*12:「ごめん仕事モードじゃないから持ってない」等。
*13:ヒートテックっぽい素材の謎マフラー、貰い物なので色々不明だがやたらとよく伸びる
*14:実年齢の10分の1
Jahrzehnt
一応10周年記念&近況報告
さて、ここを更新するのがあまりに久しぶりなので、普段どういう切り出しでエントリを始めてたのか完全に忘れてますが、タイトルにもある通りダイアリー開設10周年を記念して久しぶりに更新します。
- 2004年10月24日が最初の記事。当時修士1年生。
- はてな記法の変更のせいか、昔の記事は正しく表示されてない部分が多々あったり。記法の使われ方の変化のせいか、広告の位置があまりにひどい。
- まあ、でも、10周年とは言えここ数年あんまり更新してなかったよなーと思いながら2013年の日記見たら、意外と更新しててびっくりした。
- 2014年も一応最初の数か月は更新しようと思っていたんだけども、タイミングを見計らっているうちにこんなことに。
で、今年は実にいろいろなことがあってですね、正直、人生のどこで区切って書くべきなのかよくわからなかったし、実は今でもよくわからないんですが、もうしょうがないので諦めてこのタイミングで書くことにします。
今現在、自分は物理的には仙台にいて、職位としては助教でいます。
- 問われる前に書いておくと任期付きだから!任期6年だから!永遠じゃないから!ノット・エターナルだから!*3
- 1文目の、諦めて、を強調したい気分にかられるが抑えてみるなど。強調したいのには一つ以上の理由があるが、ここには具体的なことはまったくさっぱり記さない。
- そしてこの物理的な場所と職位に、専門分野を加えると容易に個人特定できるのが嫌だ。*7
- 場所については関東とか関西とかみたいに地域名でぼかそうかとも思ったけれど、かえって連想が働く気がするので都市名の方を出してみる。
- もちろん、それこそ2004年の当初から個人特定できる要素は垂れ流しまくりだったのだけど、学生とかポスドクとか数が多いから紛れられるポジションから、わりと目立つ位置に来てしまったのがちょっと。
ちなみに、今回の仙台への異動については昨年の12月末の時点ですでに話が出ていて、実は前回の日記にもこっそり書かれていたりします。
- 「仕事納めの日に個人的に(ryな件が来た」のがそれ。全く予期していなかった以上、「うひょへぴゅー?!」というリアクションは今見ても非常に正しい記述だと思う*8。
- この辺の採用経緯について一つだけ身勝手に言いたいことを書いておくと、非公募だろうと公募の時に出すような書類を一式提出させるのは非常に重要。今後の研究計画やら教育の抱負やらを書いて提出する過程で採用される側も将来のイメージを明確に持てるようになるし、採用する側に自分が何を考えているのか伝えることが出来るから。*9
- 前回の日記に出てくる同期忘年会でもこの話題はすでに出していて、その時の他の人のリアクションも微妙に面白かった。
そんなわけで帰国してあんまり経ってないのにまだ異動したので、引っ越し貧乏極まりないです。
- 赴任費用は出たけれど敷金礼金費用は出ないわけで…。あとそもそも赴任費用も足りなかった。*12
- そして家の契約の都合上、大した額ではないけれど退去の際に違約金を取られたり。まさか2年も住まないなんて自分でも思わなかったんだよ…!(号泣)
- あとは異動続きでここ数年間の所属があれなことに。そして投稿中だった論文の所属欄についてるcurrent addressを書きかえる羽目になる。
ついでなので、ここに至るまでの2014年の流れ、上に書いた「今年は実にいろいろなことがあってですね」の内訳も書いておきます。このタイミングで書かないと12月に書くのがすごく大変なはずなので…。
- 1月
- 初旬、国際学会に行く。モンタナ雪すごい。英語忘れてすぎててやばい。
- 下旬、アウェーなところでバイオインフォについて語る。人生で初めてのアウェー講演でバイオインフォ力(りょく)の足りなさを痛感する。
- 2月
- 中旬、雪が降りまくるが、モンタナで大雪耐性を獲得した自分に隙はなかった(マジ)。
- 3月
- 2月に引き続き、ひどく漠然としたタイトルの総説を書いていたはず。人生で初めてコレスポにしてもらう。とは言え、アメリカの時のボスとのco-correspondingだし、そもそも総説論文だけど。
- 4月
- 11日金曜日、正式に仙台の異動が決定する。
- 14日月曜日、ラボの助教さんが文字通り倒れる。病名は脳出血で手術して命に別条はないが麻酔が覚めたあと意識が戻るか…というのが第一報。その後、意識は戻ったが麻痺が…言葉が…とかいろいろと衝撃的な展開が続く。研究室内の実務と学生向け授業まわりを掌握していたハイパー助教氏を失ったラボは非常事態に*13。個人的には、これが今後半年間続く切迫した状況の始まり。
- 下旬、ラボにたくさんいるポスドクの中で、自分ともう一人だけが非常勤講師を務められるという事実が発覚し*14、助教氏の代わりに一部授業を持つことに。人生初の大学の授業。助教になる直前に助教の代わりとか、わりと洒落にならない。
- 5月
- 上旬、なんでか分からないがラボとして助教氏を早めに見舞うよう教授を押すような発言をしていたはず。助教氏の代わりに名乗りを上げた関係か、この時期は教授に、これよりあと7月までは准教授にわりと話しかけられる機会が増えた気がする。
- 中旬、とある一般向けイベントを助教氏の代わりにこなす。こういうイベントこなすのも人生初。
- 16日金曜日、倒れてから初めて助教氏を見舞う。ラボの教授、准教授、そして他のポスドクさんら2名と一緒に病院まで出かけていった。しかし病人を見舞いに行ったはずが何故か同僚ポスドク氏とおもしろトークを繰り広げる羽目に。そして准教授にラボの中の実務的な話を振られて、ちゃんと答えられている助教氏の回復ぶりが半端ない。
- 下旬、年に2回しか回ってこない進捗報告とか、論文のリバイスとか、なんかいろいろあるんだけども、このときすでに色々すり減っていたので出来はきわめて悲惨。
- 6月
- 上旬、確か論文のリバイスをしていたはず。あと助教氏の代わりの授業とか。
- 中旬、9月の学会の予稿締切だがもうなんかダメダメすぎてどうにもならない。でも、同じネタで何度も発表するのは絶対嫌なので何とか新しいネタで書く。
- 下旬、海外からお客さんを呼んで某宴会もどきやら某ワークショップやらをやる。しかし海外からのお客さんのホストって大変だ、主に旅費とかのあれこれで。ラボの秘書さんに助けてもらわなかったら絶対無理だった。ちなみに、このときオーガナイザー経験の全くない自分を精神的にサポートしてくれるはずだったもう一人のオーガナイザーが4月に倒れた助教氏という構図になっていてもうね(ry。結局、学生時代の恩師とか、一度は断られたもののむりやり食い下がって召喚した*16某とある方とか、最近帰国した某とある方とかに大いに助けてもらった。その節は大変お世話になりました、本当に助かりました。
- ちなみにこのイベントの前日がとある書き物の締切で、これがまた思い出すだけで発狂したい。
- 7月
- ようやくすべてが終わったので異動の準備をし始める。そのかたわらで論文むりやり書いてた&学生さんにPerlの指導。
- 初旬、名古屋訪問。この時はタスク的にもそれ以外でも色々と楽しかった。*18
- 上旬、そういえば某研究会の幹事やれとか言われてたね!あれ秋だっけ?もう2か月ないじゃんってなわけで急いで準備する。とりあえず会場に物理的に近い人に宿泊周りを丸投げだ!ついでにラボの備品も使わせてもらってしまえ!
- 下旬、助教氏が退院してラボに姿を現す。感動的だ!異動前でよかった!っていうか何でこのタイミングで自分だけ異動なの?あああああー!
- ほぼ末日、異動直前になって、6月に書いたものの件でお盆に東京に召喚されることが判明する。
- 8月
- 1日、仙台に異動。挨拶回りとかいう謎の活動の後、とある学会の大会の運営委員会に放り込まれる。自分ここの学会の会員じゃないのに…なぜ…。
- 中旬、東京に召喚されてなんか喋るイベント。これしんどい、しんどいよ。ついでにこの準備のために前職場に普通に出勤したりする(現職場的にはお盆休み)。ちなみにこの一連のイベントは最終的に不発に終わった。
- 下旬、一応自分が幹事ということになっている某内輪研究会が開かれる。もうね、なんで異動直後なの?とりあえず、去年の幹事であり今年の幹事に自分を任命してきた現ボスに旅費を要求することで理不尽さを軽減する。
- 9月
- 上旬、あまりにいろいろなことが続きすぎたのと、急激な環境変化で魂が抜けつつある。自覚があるのでなんとか回復に勤しむものの、またもやこのタイミングで論文の再リバイス締切が接近!ちょっとは空気読めよ!
- 独りでレビューアーにキレる返事を書く展開再び。
- それと別に、10月から受け持つ授業がもうひとつあることが判明する。思わず「はい」という返事の代わりに、目上の人相手ながら「はあ」とか口走る。いや、このころの自分の返事は常に「はあ」だった。もはや余裕が全く無い。
- 並行して、学会運営タスクが微妙に振ったり振ってこなかったり。もうね、運営に途中参加だと勝手が全然わからないよ?
- 中旬、あまりに魂抜けっぱなので東京に一時帰還する。馴染みの場所で落ち着いて考えたら、この人もう精神的に壊れてるよね?なる結論に達する。
- 下旬、あわや演題取消かというぎりぎりのところから、データを何とか出してむりやり某学会に参加する。この時点でほとんど精神的に死にかけだが、学会で色々な人にあって&発表して相当生き返る。ここで発表してなかったら危なかった。
- 上旬、あまりにいろいろなことが続きすぎたのと、急激な環境変化で魂が抜けつつある。自覚があるのでなんとか回復に勤しむものの、またもやこのタイミングで論文の再リバイス締切が接近!ちょっとは空気読めよ!
- 10月
- 初旬、某学会が開催される。なんで2週連続で学会なの?しかもこっちは運営。もう疲れた、けど、久しぶりに会う人々とだべるのは楽しい。そしてだべりながら学会の目玉企画を華麗にスルーする*19。あの時間、身勝手なだべりに付き合ってくれて(&前々日の懇親会会場で4月以降の忙殺振りについての愚痴を聞いてくれて)ありがとう同期よ!
- 上旬、授業が始まる。しかし自分の専門とあまりにもかけ離れすぎていていろいろ不可能すぎる。とりあえず日本語の本やウェブサイトで読んで分からないものは、英語の教科書やウィキペディアで読むと分かったりすることが判明。どうせなら数式と日本語で書く代わりに、同じものを図と英語で書いといてほしい。
- 中旬、東京から正式に引っ越す。実は8月からこの日までは仮住まい暮らしだった。
- 中旬〜下旬、色々な意味で悔し泣きしつつ科研費の書類を書く。某特別研究員の申請書と似ているようで意外と似てないので苦戦する。
- 11月
結論:
6か月間、疲れた。6年くらい休みたい(そして任期切れる)。
- まあ6年は無理にしても、半年か1年は休みたいなあというのが本音。まあ休むというのが何を指すのか難しいけれど、魂がすり減るような活動がなければいいな、と。
- 魂がすり減る活動:研究・教育を除く活動全部、という定義で良い気がする。何かの会を開催とか馴染みのない会に参加とかも意外と消耗するので。それでも研究会ならまだ許せるけれど、そうじゃない会とか(ry
- いやなんか、この下の内容ともわずかに関係するけれど、大学院って研究なり教育するところだよね?そうじゃないなら大学院なんて居たくないんだけど?とか言いたくなるような状況がここだとわりと(ry
そんなわけで気が付いたら今年のまとめでおそろしく長いエントリになってしまってますが…
一応、今回は10周年記念でもあるので、エントリの最後は10年前の一番最初の記事から、今現在に深く関係する部分を引用しつつコメントを残すことで締めようと思います。
- 本当に偶然、この文言が最初の記事に書かれていた。この出来事自体は覚えていたのだけれど、まさか最初の記事に書かれているとは思わなかった。
http://d.hatena.ne.jp/mbr/20041024
- 引き剥がしたショックで死んでしまう、粘着シートとねずみの関係。
- これを大学院と自分の関係に当てはめてみると、奇妙なほど自分がねずみ臭いことに気付く。
この、自分を大学院から引きはがしたら死ぬんだろうなぁ、という修士1年の時の漠然とした感覚は結局その後も消えることなく、むしろ年月とともに強まり支配的になって自分を突き動かし、そうして10年経った今も当時と身分は違えど大学院に所属しています。
ああすごい!まだ死んでない!
- 一部の人相手にはたまに喋っている「アカデミックから脱落したら死ぬぜ!」という発言の原点は多分ここにある、かもしれない。要はショック死。
あと、忘れずに書いておくと今日のタイトルはドイツ語です。
これは、decadeを他のエントリで使ってしまったので、英語が駄目ならドイツ語、という安直な理由によります。
- 一応他の候補はeternityで、もちろんこれはエターナル助教ネタから取った単語。でもここで使うのはまだ惜しい単語のような気がするので今回はドイツ語へ。
というわけで(ry
*1:かなり更新をさぼっていたと個人的に思っていた2012年も一応、2月、5月、12月に更新していた
*3:某助教氏がかつて万年助教のことを「エターナル・アシスタント・プロフェッサー」と訳したことによる。しかしこれだと万年というか永遠助教だし、どちらかというと悠久の時を統べる助教みたいな感じだ(悠久の時を統べているのに職位が助教なのか…)
*4:驚きと警戒の混ざった独特の表情。この人がこんな顔するの初めて見た!みたいなことが多発
*5:グラント雇いだとグラントが切れるところで任期が終わるので、任期はだいたい最大X年という書き方になる
*6:っていうか最初の二つが満たされない職とかどうなのって感じだが実は前職は(ry いや本当、アメリカ時代も全然健康診断受けれてなかったんで実に5年ぶりの健康診断でしたよ全く。相当にめちゃくちゃしてたわりに異常が少なかった(ただし無いわけじゃない)のはどう見てもまだ若いからです。
*7:これだから地方都市は…ッ!
*8:実際、連絡を受けたその瞬間、血の気が引いてガタガタ震えたので間違いない。
*9:っていうか提出不要だったと言ったらむしろ他の人に驚かれたとかまあそういう…。個人的にはこの手の書類は書くの大好きなのでぜひ書いて自己主張したいし、面接だってよろこんで行くわけで、そういうものを全然見ないで採用とか本当は制度的にちょっと許しがたいのだが(ry
*10:あと大学名に関するネタもあったが省略。自分らがエのつくところ出てるからって(ry
*11:でもなあ、せっかくアメリカから住み慣れた東京帰ってきて1年経って、研究室も家も環境作って、さあ2年目頑張るぞってときに仙台とか言われたらさすがに手放しでは、ねえ…。しかも知らせが来てから数日しか経ってなくて、気持ちの整理全くついてない状態だし…。
*12:これについては個人的な事情もあるのでしょうがないかなと思う部分はあるのだけれど
*13:一番厳しいのはただ入院したのはなく、数週間ではあるが年度初めに彼の知識や記憶にアクセスする手段が絶たれたことにある
*14:厳密には、制度的に授業受け持ち可能なことを申し出たのは自分の方
*15:この辺の心理状態と行動が多分他の人から見ると意味不明だろうけれど、自分なりには筋が通っているつもり
*16:ちなみにこの食い下がり周りのリアクションについては、当時のボスとの類似性を指摘された…そんなつもりは全然なかったのに(ry
*17:11月現在のメインタスクの一つはこの論文の内容をもう一度整理しなおすことである、嗚呼。
*18:この時打ち立てた13時間という記録はなかなか打ち破れなさそうだ。やはり某氏は凄い…。
*19:6月の時も同じようなことをしていたが、こっちは一応現ボスが非常に力を入れて企画したもので、それをスルーするのはものすごく駄目なんだけども…ついだべりが楽しすぎて…すみません……。
*20:数日未来に移動した記事内の「教官豹変」なる記述に思わず噴く。でも、今となっては英語を喋るといきなりテンション変わる点は人のこと言えない…
unforeseeable
気が付いたら今年も大晦日が来てしまった、ので更新
前回の更新から2か月ちょっと、2回ほど関西に学会参加のために行ってみたり、帰国1周年を迎えてみたり、毎年恒例の同期忘年会が開催されてみたり、思い付きで行くことを決めた国際学会の準備に追われたり、思い付きでやることを企画したとあるイベントの手配に追われたり、いろいろあった訳ですが、仕事納めの日に個人的に(ryな件が来たので、もうなんかどうでもよくなりつつあります。
- (ryの中身をもうちょっと書くと「うひょへぴゅー?!」とかになるのだろうけども、詳しいことは(ry。今はとにかく(ry。
- 学会についてのあれこれ、特に10月末の京都はここ以外の場所にそれなりにまとめてあるものの、かなりピンポイントかつ簡素なものなので本当はちゃんと書きたい、ような。でももう2か月も経ってしまっているので(ry
- しかも年を越えてまで書きたいかと言われると(ry
そんな訳で書くべきこと・書けることはいっぱいあるのに気分が(ryなので、せめて、記録として第10回同期忘年会の様子を、紅白歌合戦を見ながら何とかして書きつけておきます。
- 先程から、紅白でときどきふなっしーが激しく「ふなっしぃぃぃぃー!!!!!」と叫んでいるのが映る度に自分もよろこんで一緒になって叫んでいる*1のだけども、叫びながらふと「あれ、自分ってこっちの路線のゆるキャラの中の人になれるんじゃなかろうか?」という考えが頭を過ぎった。
- ふきゅふきゅ鳴きながら激しく飛び跳ねるとか余裕だし、あとは外側のかぶりものがあれば…あれば…!
【第10回・同期忘年会開催の記録】
- 今年は珍しく28日土曜日開催。いつもは仕事が忙しい人がいるので30日が多いのだけども。場所は神奈川県の某所、自分の家のそば。
- 歩いて行けるところがいいという自分の希望が通ってしまった形に。
- 参加者は6名。今回はほぼ誰も大幅な遅刻はせず。しかし、電車で来る人間は全員定刻、徒歩やら自転車やらで会場に行く人間が遅れるという定番のパターン。
- 第10回だけども、進行はいつも通りいたって普通。
- 1年ぶりに会う人のペアと、頻繁に会う人のペアで完全に2分されている。あ、自分は他の全ての人と1年ぶりです。
- 最初の方の話題は過去の忘年会について。それに関連して、かつてこのメンバーで名古屋のマウンテンに行ったときの話。
- あれいつだっけ、と言われてすぐ2009年と指摘したところ、記憶力が良すぎると言われる。そんなに良いつもりはないのだけども。しかもこの日記が記録として役立つことに。やったぜ。
- 5年を超えると意外と記録が生きてくる。そういえば来年でこの日記も10周年だ。
- あれいつだっけ、と言われてすぐ2009年と指摘したところ、記憶力が良すぎると言われる。そんなに良いつもりはないのだけども。しかもこの日記が記録として役立つことに。やったぜ。
- 家を買ったのに転勤とか、いまだに会社の寮だとか、婚活始めてみましたとか、ひょっとしたら会社から博士課程行かせてもらえるかも、とか。*2
- 婚活パーティ経験のある人を初めてリアルで見た。事情をいろいろ聴いてみた所、今まで自分がネットで見かけてきた情報は意外と間違ってなかったようだ。インターネットすごい!
- 婚活パーティは最初は誰かと一緒に行くものだが、レベルが上がるとソロでも大丈夫になるらしい。あれか、モンスター狩りに行く感じか、何のゲームだ。
- 「で、ハントは成功したの?」「第一段階が何人で、第二段階が何人…」
- 「おいちょっと待てよそもそも第一とか第二って定義は何だよ」「パーティの後に1回会った人が第一段階で2回会った人が第二段階…」「えええええええ?!」*3
- 婚活ネタから、来年は(その成果としての)配偶者をこの忘年会に連れてくるよう要求するなど。
- それはそれで会に新しい流れが生まれるので、ぜひ頑張っていただきたい。
- この婚活の流れから何気なしに自分にネタを振られたので、正直に状況を返答したら(ry
- 起承転結の起承転くらいという表現をされる。
- 「で、ハントは成功したの?」「第一段階が何人で、第二段階が何人…」
- 出来る限り会社の寮に居て金を溜め、出たら家を買う話から「丘の上の家なんかいいんじゃない?」「実は今の寮が丘の上にあって、すごく大変で(ry」
- せっかく家を買ったのに転勤で2時間通勤だよ!という嘆き。
- 本人はかなり嘆いているのだが、「なんだそのネタか、先週聞いたのに忘れてた」「あ、それってやっぱり(当人の名前)的には重大だったの?」等、みんなの扱いが冷たいのはなんなのか。まあ、自分も「どうせ関東じゃねえか」というむごいツッコミをしていたわけですが。
- 2次会は適当なバーにて。酒が飲めないとああいう場所って本当困るのだけどもまあしょうがない。
- スマホの覗き見防止機能を解除しない人とか、iPadminiを見せびらかすとか。他に何があったっけ。
- 全員で喋るというよりは、個別にそばの人とだべっていた感が。貰い物のネクタイが余るとか。スーツとか着ないとか。
- 2次会のあとは会場はそのまま、終電がない2名によるしょうもないだべりに突入する。というよりは、自分がふなっしーも真っ青のハイテンションで職場の内輪ネタをひたすら繰り出してもう一人を笑かして、しかし何故か喜ばれる*4という謎の展開。結局2時間ほどだべってしまった。
来年は初回から10年経過ということで、今度こそ特別な回にしたいものです。
- 来年はどこでやるか、というネタを記録しろと言われた気がしたので記録する。正確には、来年どこでやるかなんてことを今ここで喋っても覚えていられるかどうか・いったい何人が覚えているか、というような台詞。
と、ここまで(全然集中せずにだらだらと)書いてきましたが、テレビでは紅白で北島三郎が歌っているのでそろそろ終わりにすることにします。
- ちょっと年内に間に合うか怪しかったけども、なんとか間に合ったぜ!やったね!
それではみなさま、よいお年を。
というわけで(ry
Chaos/Spa I&II
気が付いたら前の出張のまとめを書く前に次の出張が近づいている、ので更新
別に出張したら必ずまとめを書かなきゃいけないわけでも、次の出張の前までに前の出張のまとめを書かないといけないわけでもないのですが、微妙に9月の出張の直後に書いたまとめらしきものが下書きとして残っているので、完全にお蔵入りになる前に完成させて外に出しておきます。
- しかも10月に入ってから、アメリカの政府機関が閉鎖したり(前職場とのボスのやり取りに支障が!)、近隣分野でノーベル化学賞が出て微妙な盛り上がりが発生したりと、書くネタがさらに増殖→結局どれも書かないまま時間だけが経つという困ったシナリオに。
- さらに、自分が関わっていない範囲では、第2回助教対談とか某500人会合とか博士論文発表会x2とか、あまりにもネタ発生速度が速すぎて全部書くのが無理な領域に。もちろん、ネタがどんどん湧いてくるのは楽しいから良いけども。
【一つ目の出張:生物物理若手の会夏の学校(5年ぶり4回目)】
ここに書いた以外にもいろいろ起こったのだけども、全部書くととんでもないことになってしまうので泣く泣く抜粋。
- 「9割が自分より若いとかどういうことだ」
- 最後に参加した&スタッフやった2008年の時はもっとポスドクや助教の人がいたはずなんだけども。自分が受付メールの処理&申込者のエクセルファイル生成をしたので間違いないはず。
- 今回はB4を筆頭として学部生がかなり居た。最年少のB2とかもはや干支一回り分違う。
- 仕方が無いのでポスドク4年生ことポス4を名乗ってみる。ポスドク4年目とか本当に冗談みたいな響きだけどもこれ現実ですよ?(ポジティブな意味で/自分に果たしてポスドクなんてものが務まるのかと不安に思っていた時代から考えたら、4年目とか本当にとんでもないですよ。)
- どうも名古屋&アメリカ時代の記憶が別立てになっているのか、若干タイムスリップ気味というか、自分この前博士号取ったよね?という気分になってしまう。実際関東を離れたときはD3なりたてだったので、あんまり間違ってない。
- 「講師として呼ばれていた恩師の話が懐かしのスライド集みたいになってて懐かしい(冗長な表現)」
- 1時間のうち、前半は自分のスタンスを語り、後半は研究の話。
- 自分としては仕事の話は学会で聞けるのでどうでもよくて、それより普段聞けないスタンス語りを聞くために行った*1のだけども、Twitterでのハッシュタグ実況を見ているとその語りの部分だけ他の人の実況が途絶えていて、ちょっと悲しくなった、ので自分が呟いてみる。
- 2006年頃、自分が学生で居た時=間近で見ていた時に恩師が考えていた研究の大まかな方向性についてと、その後どう考えが変わったかを聞いた時が一番面白かった(Twitterに書いた「ネットワークを夢見る物質科学者」の話)。ああ、その課題に対しては、あの頃はこう言っていたけど、最終的にこうアプローチすることにしたんだな、という感じ。
- 実は自分も当時からずっとその課題について取り組みたいと思っていて、でも恩師とは違うアプローチにしたい、とこっそり思っている。でも、(教官の手堅いやり方に対して)自分のやり方は上手く確立できるか&上手く機能するか謎。ただ、自分と恩師とでは学んできた分野、バックグラウンドが違うので、実際やってみて必ずしもどちらかだけが正解というようにはならないんじゃないか、と思ってもいる。いや、期待している、の方が正しいかも。
- ものすごい余談:恩師の研究に関するプレゼン(某手法の説明&応用)の中で、手法の開発者である某氏が以前別学会で使ったスライドがそのまま、ただしフォントだけ丸ゴシックに変えられて使われているのを目にした。この時初めて、某氏のスライドに宿っていた個性の最たるものは、白背景&青タイトルのテンプレでも、文字皆無で絵多めなシンプル配置でもなく、そこで使用されていた教科書体っぽい謎フォントであったことに気付かされた。*2
- 「『グループワーク・適当に班分けしたグループでもって共同研究ネタ考えましょう&発表しましょう』って班分けが適当すぎるがな!」
- 3人の班で自分以外が非線形物理とカオス力学とか一体どうしろと!ここ生物物理の夏の学校だよね?!
- 一応こういう、バリバリ物理っぽい人は参加者70〜80人の中に片手で数える程度→そのうち2人が自分のところに集結。どういう確率だこれ。しかもそのうちの一人が実は恩師の卒業したラボの所属である事を知る。なんだこの偶然は。
- 学生時代、指導教官の過去のバックグラウンド(非線形物理)にもっと興味を持っておけばよかったと、訳の分からない後悔を手短にした。
- グループワーク直後の自分のTweetより:「適当に作られた3人グループで共同研究の提案&前でプレゼンという企画に参加した。バイオインフォは生命系ならどんな分野でも大体対応できるからとたかをくくっていたら、自分以外の二人が非線形物理&カオス力学だと判明してうわこれどうし(ry」*3
- さらに、全部で25班もあるので発表は抽選で選ばれた5班だけとのアナウンス→「じゃあ選ばれなければ大丈夫ですね!」「まあ適当にやりましょう」→見事当たる。おかしいだろこの展開。
- 結局アトラクターとか持ち出してタンパク質複合体の進化を語るという謎な研究テーマに。あっでもうちの売りは予算が大して要らない事にあるんで!*4
- この場に恩師が居たら思いっきり突っ込まれていただろうなあと、「今日は日曜日だからとっとと帰るよ!」的な発言とともに講演後すみやかに去ってくれたことを少しばかり感謝すると共に、実際問題これがどの程度実現可能なのかコメントが欲しかった気もした。
- しかし恩師が何年もかけてゆっくりと分野移動してきた、その出発点と到達点の分野の2人が同じ班になって、しかもたった40分でネタ出ししろってのはかなり厳しいものがあった。同じ班の人と話をしながら、恩師のアカデミック分野移動距離の大きさを再確認した。
- 「将来ポスドクになりたいんですけど、どうしたらいいですか?」
【二回目の出張:とある年齢高めの内輪研究会(初参加)】
こちらはクローズドな会なので発表内容および議論には触れられないのですが、雑談の一部を切り出すのはおそらくセーフだと思われるのでいくつかメモ書きしておきます。
- 参加者の一人(数少ない若手の方)に「手書きフォントのポスターの人ですよね?!」と言われる。自分はその方のことを知らなかったので驚いて話を聞いてみたところ、どうやら2006年の春の学会にて発表ポスターの横に放置した、ふざけて作った手書きフォント名刺*5を貰って行った人だったらしい。
- なんと実に7年5か月前の伏線をここで回収…!
- このはてなダイアリーに当時のことが書かれているかと思ったが、残念ながら漏れていた。ただ、 http://d.hatena.ne.jp/mbr/20060427 にて2ちゃんねらーとかさいたまーとか言われているのは、ひょっとすると名刺にさいたまAA(を手で描いたもの)を入れ込んでいたからかもしれない(ただし、当時はここのプロフィール画像もさいたまAAだったので、そっちかもしれないが)。
- とある方がまた別のとある方を評したとある発言に衝撃を受けたので、ラボに持ち帰って他の方々にコメントをもらったら別方向に衝撃だった、ので某所に投げおいた。
- なんていうか、「ある人物が『研究者向きか/研究者を続けていけそうか』は何をもってして判断すべきか」というのは永遠のテーマなのかもな、という気がしてきた。年齢とかアカデミック歴とか関係なくて。
- さらにその発言に関連して、その評されたとある方と自分が「気が合いそう」判定を食らう。判定がいきなりすぎて困った。
- これに関しては、どう考えていいかよくわからず未だに引っかかっている。せめて理由を聞いておけばよかった(いきなりすぎて聞くのを忘れた)。
ちなみに9月は本当はこの二つ以外にもさらにもう一つ出かけているのですが、近場なので省きます。
- 出かけすぎて色々滞ったり、それでも何とか終わらせたりなど。いろいろ書いてみたいけれど、まだ結果が出ていない話もあるのでここでは書かないでおく。
- ちなみに今回のタイトルは文字通りカオス物理に挟まれたのが衝撃だったのと、両会合がどちらも温泉地だったあたりから。
- さすがに2度目の会合の最後の方で、温泉および温泉旅館という存在に飽きてきたことをここにこっそり告白しておく。9月の初旬から中旬まで、たった2週間半のうちに2回(3泊4日&2泊3日)はさすがに苦しい。両方の会合が終わった次の週あたりに、家の風呂でゆっくりシャワーを浴びていたら、ふと安堵感すら覚えてしまった。
というわけで(ry
real
全然更新する気無かったのにRealforce買ったら感動しすぎたので更新(4年半ぶり2度目)
新しい職場に来てもうすぐ9ヶ月になるのですが、1、2ヶ月前から仕事中や仕事後にどうにも手が痛くてたまらなかったので、PCのキーボードを新調する事にしました。
予想通り、快適すぎてたまりません。*1
- 手が痛み出した当初は仕事のし過ぎかと思ったがそんなことはもちろん無く*2、単に自分の力加減とキーボードがあっていないだけの様子。今の職場のマシン&キーボードはDELLで、前職場もDELLマシン&キーボードだったのでやや謎。
- 一応、キーボードのデザインはかなり違うのだけども、実はデザインだけじゃなくもっと色々違うのかもしれない。
- Realforceは名古屋時代に試した事がある*3ので、今度は違うタイプのキーボードにしようかと電器屋へ偵察→人生初のメカニカルキーボードに感動するが、あまりにも音がうるさすぎるので研究室で使うのは断念→じゃあまたRealforceさんにしますかー。
- Majestouchというのが4種類並んでいたので全種類試したのだが、そのうちの一つ(青軸)があまりにもキーが軽くて&非常にはっきりとしたキータイプ音がしてびっくりした。音さえうるさくなかったら、間違いなくこれにしたと思われる。
- いざ購入とばかりRealforceのホームページを見に行ってあれこれ調べるうちに、まさに自分が求めていたタイプのキーボードが新製品としてこの7月に売り出されていたことを知る。
ちなみに、ちょうどこのキーボードを注文してから来るまでの1週間ほど、仕事面で堂々巡りをしていたのですが、キーボードを受け取って実際に使い始めたら数時間ほどで堂々巡りを脱した上に、帰り道に別件のアイデアを思いつくなどいい事連発なので、ぜひ今行き詰っている人はキーボードを新調することをお勧めします。
- あと、個人的には、名古屋に置いてきたRealforceは現所有者にあまり有り難がられていないようなので、もっと有り難がってくれそうな人に行き渡るといいなと思いました(謎の感想文)
- 1年半前に訪問した際、所有者の人(同期)と話をしたのだけども、残念ながらこちらからの「打ちやすくないですか?」との問いに微妙な反応だったので、あえて値段(2万円)を告げたらショックを受けていた。購入者かつ元所有者としてはちょっと悲しい。
- 折角なのでぜひ目上の人が奪って使ってくださいと言いたいが、研究室の構成上そんなに目上いない&一人はキーボードの好みがはっきりしているのを知っているので、該当者一人しかいない&その方にキーボードの好みがあるか不明*4なので微妙。なので誰でも良いので、誰か(ry
というわけで(ry
*1:この記事は家に帰ってから書いているので残念ながらその快適さを享受できず…。家用にも買うべきか…!
*2:ただ、以前と比べて連続してキーを叩いている時間は伸びた気がしなくもない
*3:http://d.hatena.ne.jp/mbr/20090204
*4:どちらかというと、なさそうな気がする
floccinaucinihilipilification
なんか急に日記書きたくなってきた(唐突な本音)
先日、非常に長い日記を書いたので、普段なら数週間、または数ヶ月は書く気にならないところなのですが、どういうわけか今回はさらに何かを書きたくなったので更新します。
- 独り言Tumblrのmb(ry(http://mbr-br.tumblr.com/)にも散々投下して、それでも収まらないのでここにぶつけてみる。そんなんでいいのかという気もするが、そもそも個人の日記なんだからどう使おうと自分の勝手といえばそれまでなわけで(ry
とりあえず先日の長い日記に関しては、記事中にも出てくる某氏より
「長すぎる」
という、簡潔でたいへん的確なコメントを頂きました。
- 割と長文を読む事に抵抗がない方であるにもかかわらず「長すぎて読めなかった」と言われ、改めて自分でも見返してみる→うわ!!!!超ながい!!!!!!!(書いているときに気づくべき)
- フォントが小さめなので意外と分量がなさそうに見えるのだけども、別の記事で「ここからここまで1500字」という記述を見てからこっちを見返したら、確かにそれに比べて圧倒的に長かったし文字数カウントで計っただけの分量がちゃんとあった。
- 具体的に言うと8100字程度。長い。たぶんA4に流し込んだら6枚か、下手したら7枚になってしまう。本当に長い。
- フォントが小さめなので意外と分量がなさそうに見えるのだけども、別の記事で「ここからここまで1500字」という記述を見てからこっちを見返したら、確かにそれに比べて圧倒的に長かったし文字数カウントで計っただけの分量がちゃんとあった。
- そして長すぎと言いつつも「他の日にも色々あったはずだ」など*1と言われて困る。
- いやもちろんもっと書いてもいいんですけどね? 実際、最初は書いていたネタとか、書けそうなネタがもっとあったんですよ?*2 でも内輪ネタというか、発言者のキャラを知っているから面白いネタや、その時だから面白く感じただけのネタを除いて推敲して、さらに話の要点だけを整理して、あとでその時の背景を忘れて読み返しても&他の人が読んでもある程度は分かるように状況説明を足していったらああなったというだけで。
- そうして状況説明を足すのが面倒&足さなくても何とかなりそうな話題が最後の小ネタ集に行く。それもなるべく普遍的に面白くなりそうなネタを集めて(ry
- ちなみに状況説明を足している部分に関して、某氏より何故かお褒めの言葉を頂く。いや説明を書くから表に出せるのであって、説明なかったらそれはただのプライベートのメモ書きにしか…と思った&実際にそう返したが、改めて表に出していないメモ書きをいくつか読み返してみたところ、意外と状況説明が書かれていることに気づいた。どうもこれに関しては自分の習性らしい。
- いやもちろんもっと書いてもいいんですけどね? 実際、最初は書いていたネタとか、書けそうなネタがもっとあったんですよ?*2 でも内輪ネタというか、発言者のキャラを知っているから面白いネタや、その時だから面白く感じただけのネタを除いて推敲して、さらに話の要点だけを整理して、あとでその時の背景を忘れて読み返しても&他の人が読んでもある程度は分かるように状況説明を足していったらああなったというだけで。
- さらに、次回の助教対談はいつなのか(=早く次回が来ないかな)といったニュアンスの事を言われる。対談が発生するためには少なくとも、学会が両名の地元以外の場所で開催される必要がある(両名ともホテルに滞在していて、語り合うのに十分な時間が確保されないといけない)*3ため、自分が把握する限りでは次は少なくとも1年数ヶ月以上後だと伝えた所、えらく残念がられる。
長すぎるエントリと言えば数年以上前、ある方に「mbrの日記はたまに読んでるっていうか見てるよ。まあ、『うわー長いなー、すごい書いてるなー』って思いながらマウスホイールでどんどんスクロールするだけだけど」*4などと言われたのですが*5、多分前回更新分の長さなら単にマウスでスクロールするだけでも指が疲れてくるものと思われます。
- むしろ自分自身、書きながら何度も全体を読み直したりバランスを整えたりする過程でスクロールを多用するので、それはもうどうしようもなく指が疲れた。8000字を越えるエントリーを書ける人はすごいと思う。
さて、今回のタイトルは長すぎるという台詞にちなんで、長すぎる英単語を拾ってきました。
- 実はもう少し長い単語もあるにはあるようだけど、意味なども加味してこの単語に。意味は「何かを無意味、無価値と見なしたり扱ったりする行為」らしい。
- 上に書いた「スクロールするだけで読んでない」はまさにこれか。そもそも自分が今日の日記を割と中身のないエントリだと思っているので、その辺の気分も反映。
- 一番長い英単語は何か、という質問に対して一説にはTitinのIUPAC名という回答もあるらしいが、それはタンパク質屋として色々な意味で認めたくない*6ので却下。
- なんならTitinの残基数とかでも良かったかも。34350くらいらしい。
というわけで(ry
*1:他には「もにょもにょはあの意味でいいのか、自分はもう少し違う意味で理解していた」「もやもやでなく、もにょもにょであるところにB氏の言語感覚(「らしさ」)が滲み出ているんだ」等。いやそりゃ微妙なニュアンスの違いがあるのは分かりますけどね、あの文脈でその一言に関してあまり文字数を割くのは読みやすさを損なうわけで(ry
*2:ある人の言っている事を察するパワーがどうたらとか、誰それは物を知らなさ過ぎるから突っ込まれて固まるんだとか、この3人の中で一番紳士力が低いのはどうたらとか、発表言語を英語にすべきか日本語にすべきかとか、「自分はこのキャラに似てるんだー」とそのキャラのキーホルダーをおもむろに取り出す(そして確かに似ている…)とか、今いるところを脱出したいけど(ryとか、他にもいろいろ
*3:さらに会期中にB氏が都合よくデレ状態にある必要があって、たぶんこれが一番ハードル高い
*4:こうやって改めて文字に起こすと酷い言われようだけども、ツンデレのツン部分が出ていると思えば納得できなくも(ry
*5:それ以来、短いエントリを書くと「今回のはスクロールし足りなくなりそうだ」という考えが過ぎるようになった。別にだからと言って分量を足す事はしないけども。
*6:長いタンパク質をわざわざそんな風に呼ばないとか、他にもいろいろ
aspire
やっぱりどうしても書き留めたいのでひたすら鳥取学会を振り返る
気が付いたら鳥取から帰還して40日以上が経過し、研究室の自分の机の上に置いてある島根のゆるキャラ「しまねっこ」グッズに何の違和感も感じなくなって久しい今日この頃です。
- お土産を持ち帰った直後は、鳥取に行ってしまねっこを買ってきたという事実が、鳥取と島根を混同している残念な人のようでアレだったのだが、見慣れてくるとだんだんどうでもよくなりつつ(ry
- そして机の引き出しには、しまねっこのみならず鬼太郎(目玉の親父)クリアファイルがセットされている(これもすでに見慣れた)。
さて、鳥取の学会では久しぶりの日本の学会、久しぶりのポスター発表という事もあって、かなり楽しく過ごす事が出来ました。
- 実は鳥取という場所も非常に良かったようで、個人的には2006年沖縄学会*2の次に印象深い学会になった。
- 下手に都会でなく&街が小さく、地元民が少なく、微妙に遠いので前泊&後泊するのに遠慮が要らず、観光名所には何故か学会関係者が満ち満ちていて、ついでに遅くまで飲んでもホテルまで歩いて帰れるとかそういう状況。要は、むやみやたらと知り合いとエンカウントしまくるので、勝手に盛り上がる率が上がる(やや化学反応っぽい)。
以下、記憶にあるいろいろ:
- 自分のやっているネタとすごく近い発表を発見したのでポスター襲撃。しかし先方もこちらをチェックしていてお互いに超こんにちわお会いしたかったです状態(謎)
- 先方に先生と呼ばれたので、単なる通りすがりのポスドクであることを強調する。むしろ先方の方が先生(教授)なので恐縮する。
- 自分としては、日本ではまだ自分のいる分野でこのネタをやっている人はあまりいないので、勝手に親近感マックスだった。親近感感じすぎて失礼な言動をしたような気がかなり(ry
- 自分の発表(アメリカ時代にやった仕事)では、某キーワードがポスターに入っていたためにその筋の関係者がどんどん来る。来過ぎてやばい。学生のときの指導教官(元ボス)まで来る。色々な意味でやばい。
- 某とある方に飲み会の会場を手配しろと言われたので、せっせと下調べをし、参加しそうな人を個別にカウントして場所を予約しておいた。*4が、当日、蓋を開けてみたところ、なぜか本来参加予定になっていた人の2倍程度の人員を会場に引き連れることになってしまった。
- 「自分が出欠取って人数把握して場所を予約したはずなのに、知らない人超いっぱいいる!」
- しかしその人数を全然余裕で収容できた某居酒屋もさすがすぎる。
- 場所は押さえたものの、会計やらなんやらは全然慣れていないのでおもむろに某氏に丸投げする。しかし丸投げしても全然嫌がらずにやって頂けた。さすがすぎて足を向けて寝られない。
- ワークショップの一つが、内輪の内輪による内輪のためのセッションと化していたので見物しに行く。若い人が個性を前面に出しながら輝いている横で、年上の人々が年相応っぽくこなれた振舞いを見せつつも、消せない個性をちらつかせているのを見て、ほのぼのする。
- 手書き色鉛筆風ファンシースライドや、不慣れながらも立派に英語発表をこなす後輩陣に、心にもないことを言おうとして口が回らなくなったり、研究対象を登場人物といってみたり、さん付けしてみたりする先輩陣。
- 「ああー、日本の学会だよー、この日本語がー、このゆるさがー、この安らぎがー、この知り合い感がー、ほんとにー、ああー」(感激のあまり目を曇らせながら)
- 個人的にはぶっちゃけ中身の詳細や発表の上手さがどうこうというより、同じ分野で自分より前に研究を始めた人たちの発表を憧れとともに聞いたり、自分より後から来た人たちの発表をワクワクしながら聞いているだけで無尽蔵にやる気が湧いてくる*5のだけど、こういう事を言っても同意してくれる人があまりいなかったりする。
- 分野の方が講演の末、若手賞を取った。内容的にまず落ちないだろうというのが事前の予想だったとは言え、やっぱり実際に取った知らせを受けると目出度さ半端無い。
- この方はどういうわけか2年前の学会で自分を某他人(自分の全く知らない人、以下ドッペルさん(仮名)*6)と思いっきり間違え、両者を知る人から突っ込まれていたのだが、今回もきっちり間違えてくれた。しかも今回はこの方の配偶者にまでひどい取り違え方をされたので、夫婦揃ってもはや手に負えない。
- そして今年はそれを盛大に飲み会のネタにされる。「ドッペルさんのファンの誰それさんがmbrさんのこと見て『似てる』って言ってたから似てるんだよ!」「あ、でもmbrさんはドッペルさんがよくやる癖のXXをしないね!そこは違うところだ!」とか言われてもね、もうね、知らんがな…。
- 2年前はドッペルさんがその場にいなかったのだけども、今年はドッペルさんも参加していたようで学会会場でそれらしき人の後ろ姿を見かけた。しかし接触すると対消滅しそうな気がしたので止めておいた。でも分野が同じなので遭遇するのはおそらく時間の問題。
- 「まさか自分の人生が『学会会場で対消滅』という形で終わるとは予想してなかったなー(棒読み)」
- ちなみに上記の夫妻には派手に取り違えられた次の日に「ごめん、よくドッペルさん見たら全然似てなかった」という、まったくもってリアクションに困る謝罪もされたのだった。似てるのか、似てないのか、いったいどっちなんだ。
- 学会最終日の夜、鳥取最後の飲み会を無事終えて、同じホテルに宿を取った助教2名(A氏およびB氏)と共にだらだら帰還する→しかし日が変わるほどの時間にも関わらずB氏がまだ眠くない的な事を言い出す*7→それじゃあ(ry*8
- かくして午前1時も過ぎたあたりからA氏の部屋で「深夜の鳥取・ベッドの上の助教対談」が始まる。終わったのは午前4時半。
- これを「深夜にJK二人がベッドの上でキャッキャウフフしているのをニヤニヤしながら眺める」と書くと非常によからぬ感じがするが、言うまでもなくJKは助教の略であり、ベッドの上と言ってもビジネスホテルの一室ゆえに単に座る場所がなさすぎるだけで別に何もやましいことはない。
- 確かに、部屋に入った直後には「残念だったね、もう少し早く来ればXXさんのあられもない姿が見れたのに♪」とかJKの一人に満面の笑みで言われたけど別に健全だから!ほんとに!なんもないから!(誰に訴えているのかよくわからないがとりあえず必死)
- このセリフの後には「別に、(うっかり見てしまったら)うひょーとか言っとけばいいんだよ☆」というのが続く。うひょーで許されるなら(ry*9
- で、冗談はさておき実際の対談内容はいろいろあるのだけども、多分いちばんメモすべきは助教力溢れる助教A氏による「助教もにょもにょ」および、ポスドクを極めた助教B氏による「ポスドクもにょもにょ」。
- B氏曰く「ポスドクもにょもにょ」は「プロジェクトの仕事と自分の仕事のバランスとか」らしい。また、「ポスドクもにょもにょは年数が経つにつれ深まる」のだそうだ。自分はB氏のポスドク3年目〜7年目くらいしか知らないので、最後の方がどうだったのか少し気になった。
- さらにB氏からは「ポスドクは半病みがちょうどいい」という有難いお言葉を頂く。その心は「完全に何も考えなくなって言われるまま、麻痺してしまうのもいけないし、完全に病んでしまっても仕事が出来なくなってしまうから、その中間」ということらしい。
- しかし(もう助教になってしまったのでこの際はっきり書くが)B氏の精神の強さ、あれだけ長くポスドクをやれた精神力については、ご本人に一度尋ねてみたい所ではある。「半病みがいい」と笑いながら言いはするけれども、当時の状況は今こうして自分が同じくらいの年になってみると半病みでは済まないレベルで、(今でこそ笑って言える部分もあるのだろうけども、当時ですら)平気な顔をして冗談を言ったり、学生相手に自虐をかましたりしていられた、その強さは恐ろしいものがある。
- ちなみに、ここに書いた以外の情報も含め、自分が知っている限りのB氏の遍歴および当時の状況を同じくらいの学年の人に話すと、大体上に書いたのと同じような返答をもらえるので、多分自分が過剰に反応しているのではないと思う。
- しかし(もう助教になってしまったのでこの際はっきり書くが)B氏の精神の強さ、あれだけ長くポスドクをやれた精神力については、ご本人に一度尋ねてみたい所ではある。「半病みがいい」と笑いながら言いはするけれども、当時の状況は今こうして自分が同じくらいの年になってみると半病みでは済まないレベルで、(今でこそ笑って言える部分もあるのだろうけども、当時ですら)平気な顔をして冗談を言ったり、学生相手に自虐をかましたりしていられた、その強さは恐ろしいものがある。
- 対する「助教もにょもにょ」はまさに今のB氏の「助教になったけど、あんまりよく分からない…」な心境、A氏に言わせると、最初の数年間を大して助教の自覚なく過ごしてしまい、数年経ってはっと「何やってるんだ自分」と思う事を指すらしい。
- これらの「もにょもにょ」以外にも、分野の人事や分野の若人や分野のいろいろを随分と語り合っていたのだが、眠かったので上手く記憶できたか怪しい。そしてうまく思い出せないのでここにも書けない。悔しい。*13
- 分野の若人についての雑談のついでに、学生時代のmbrについてもB氏から批評を受ける。いきなり話を振られたのでうっかり微妙にごまかしてしまったけれども、後から思い返すと、折角の機会なのだしもっとよく聞いておけばよかった。あと、もう少し眠くない時に聞きたかった…。
- その批評を受けた際に「いや確かに学生の時は(その批評の通り)ダメでしたけど、自覚というか、自分がこのままじゃダメなんだってのはいつも思ってましたよ。だってBさんがその当時も『〜にはなるな』って言ってましたし」と返したところ、B氏本人は俺そんなこと言ったっけ?!と言いながら頭を抱えていた。
- 前々から、mbrが博士・ポヌドク時代に学んだ「学生・ポスドクかくあるべし」論はB氏の発言に依るところが大きいと散々言っているのに今更何を(ry。
- 実はこの日記にもB氏の発言はかなり記録されているのだけども(例:平均ちょい下キープ(http://d.hatena.ne.jp/mbr/20080104#p1))、本人は読んでも気づかないかもしれない。
- その批評を受けた際に「いや確かに学生の時は(その批評の通り)ダメでしたけど、自覚というか、自分がこのままじゃダメなんだってのはいつも思ってましたよ。だってBさんがその当時も『〜にはなるな』って言ってましたし」と返したところ、B氏本人は俺そんなこと言ったっけ?!と言いながら頭を抱えていた。
- 分野の若人についての雑談のついでに、学生時代のmbrについてもB氏から批評を受ける。いきなり話を振られたのでうっかり微妙にごまかしてしまったけれども、後から思い返すと、折角の機会なのだしもっとよく聞いておけばよかった。あと、もう少し眠くない時に聞きたかった…。
その他、単なる記録としての色んな人の発言集・小ネタ:
- 「(さんざん絡んでくる先輩に向かって)うるせぇ!自分でやってくださいよそんなこと!」
- 「(近づいてきておもむろに)おなか空いたニャ♪」
- 「(某氏の若手賞がかかった講演を聞かなかったことについて)…だって、あの講演会場、舞台が前のところにあって、舞台の上に演壇があるじゃん、あの舞台が子供のお遊戯の会場みたいだったからなんか嫌で…」「(なんだその理由)」「…ああ、つまりXX先生は若手賞の講演は子供のお遊戯みたいなものだといいたいわけですね!」「ちがっ、違うよ…!」「いや今のはそういう意味でしょうどう考えても」
- 「(同じような青い服を着ているのを指して)なんでペアルックなの」「いえ、これはうちのラボの制服です!」
- 「鳥取るるぶ持ってますよ(鞄から取り出す)」「おっ、すごい」「見せて」「実はもう一冊、鳥取まっぷるも持ってますよ(取り出す)」「なんで2冊も持ってるの!」「気合入りすぎ!」*14
- 朝:ポスター会場の前でたまたま知り合いに会う→だべる→知り合いが引っかかる→さらにだべる→さらに知り合いが釣れる→よりだべる→だべりすぎてシンポジウムが終わる→シンポジウム会場から出てきた知り合いたちが引っかかる→いつの間にか巨大な知り合い集団!→お昼食べに行こう(ぞろぞろ)
- 夜:一日の最後のワークショップが終わったのでポスターをはがしに行く→ポスター会場入り口で知り合いに会う→だべりつつ他の知り合いを探す→探すまでもなくむしろ向こうから集まってくる→集まってきた知り合いの知り合いが引っかかる→さらに知り合いの知り合いの知り合いが釣れる→さらに知り合いの知り合いの(ry→いつの間にか巨大な知り合い?集団!→そのまま呑み屋に引率→「実はよく知らない人いっぱいいる!」
- 学会終了日の翌日、学会会場からかなり離れた某所で、列車に乗りながら見事すれ違う助教2名。相手の姿を見つけて心底うれしげに全力で手を振る1名、ちょっとだけ手を振って答えるもう1名。いやー、偶然って本当にいいものですねー、とか思いながらその様子を眺める自分。手には時刻表。そして3人とも明らかに睡眠不足。なぜ朝8時とか9時の列車に乗ると決めている3人が4時半まで話し込みますか?
…これ以外にもポスター会場前のテーブルでの会話とか、同じくポスター会場前で今度は数時間にわたる立ち話(しかも2回)とか、ポスター会場で帰国の挨拶とか、ポスター会場で隣のポスターの人と話をしそびれたとか、某砂丘で知り合いに会いまくりとか、日本海に向けて砂山を全力駆け下り&帰りは必死のよじ登りをする人々を眺めるとか、なぜかラクダにこだわる人とか、鳥取には低いけどタワーがあるよとか、書けることがいくらでもあるのですが、たぶん全部書こうとすると来年の学会が来てしまう気がするのでこの辺で書くのを止めることにします。
- 書き上げてみると恐ろしく長い。約8000字。1回の学会の記録でこれだけ書いたのは初めてじゃなかろうか。
- 人生ではじめて学会発表した時の記録が2004年の12月中旬あたり、3日程にわたって書かれているのだけど、それでも文字数的にはこっちの方が多いはず。あと簡単に検索した感じでは2008年の6月15日もやや長い。印象深かった2006年9月の学会については、そこまでたくさん書かれてなかったりする。
- 以前、現職場で前の仕事をしているときに「ああ、もう前の職場じゃないんだと悪夢から覚めたかのように思い出す」と書いた*15のだけども、それに関連して、この学会参加中はどういうわけか「ああ、夜が明けたんだ、本当に朝が来たんだ」というイメージが度々浮かんできたのだった。
- 「今までは夜明けと言ってもまだずいぶん空が暗くて、辺りもよく見えなかったけど、今はそうじゃない。日が昇ったんだ、朝なんだ。空が青くて、世界に色がついて見える、世界のすべてが輝いて見える!」
- 大袈裟なと言われそうだけども、割と本音。
- そして、あまりにも世界が輝いて見えるので、ひょっとして実は寿命が近いんじゃないかとちょっと心配になる。それくらいの感動。
- まあ、こういう刹那の感覚を掘り下げるのもあれなので、久しぶりに助教2名が超楽しげに語りまくってたのを眺めたら、2006年を思い出して安らかな気持ちになったからということにしよう、うん。
- 「今までは夜明けと言ってもまだずいぶん空が暗くて、辺りもよく見えなかったけど、今はそうじゃない。日が昇ったんだ、朝なんだ。空が青くて、世界に色がついて見える、世界のすべてが輝いて見える!」
ちなみに、来年の開催地は横浜です。
- ここの展開まで2006年と同じとは…。
というわけで(ry
*1:本当は意図せずに引き出しを開けた(何せ見慣れているのでこれがウケを取れると思っていなかった)のだけども、結果として先輩のテンションを上げる事に成功した
*2:http://d.hatena.ne.jp/mbr/20061117
*3:元ボスが「うーん…XX(前ボスの名前)はこれでいいと思っているのか…うーん…」とぼやいている横で、他の人と「やー、前ボスがいきなりその絵を出してきちゃったんでそれでいっかーと思ったんですけど、確かに別のやり方のほうが良かったですねーw でも前ボスがオッケーしてくれないかもですねー」と、にこやかに雑談するくらい、やなポスドクである
*4:しかし面倒だったので全然正式にアナウンスをしなかったのだった。飲み会行きたい人はポスター会場で自分を見つけてくれればいいんじゃん?というやる気のなさ。自分で書いててやなポスドクである
*5:なので学会に行って(たとえ内容は全部知っていても)知り合いの発表を聞いたり、自分より若い人のポスターを訪問するのは欠かせない
*6:ひどいネーミングですみません>ご本人、でも他にしっくりくる仮名が(ry
*7:この人にしては珍しい。それこそ2006年の沖縄学会以来?(ちなみに2006年のときも最初は助教A氏の部屋に当時ポスドクのB氏と学生だった自分がいて、あの時はさらに人が増えてロビーに移動したのだった→そしてなぜか最も神に近いあれこれがどうたらこうたら(内輪ネタ))
*8:ここら辺の流れは後でA氏と確認したら微妙に認識の差があった。自分としては何もしたつもりはなかったのだけど、A氏からするとそうではなかったらしい。そんなはずは(ry
*9:ちなみに、これに関して自分は華麗に反撃できるネタを持っている(というか、5年くらい温めている)のだが、なにせ連日の睡眠不足に加えそのときすでに午前1時で頭が回っていなかったため、ここで出していいのか判断に迷って結局出さずじまいになってしまった。次に機会があったらすかさず出そう、そうしよう
*10:ちなみに関係ないが日本語の擬態語は便利すぎるので、英語圏に行って擬態語を封じられると思ったように表現できなくて悲しい思いをしたりする(B氏同様、擬態語に頼っている自分の実体験として)
*11:A氏:いつでもどこでもどんなシチュエーションでも年下の面倒見がよすぎて神レベル。そのためか下に好かれるパワーが半端ない。助教の肩書の通り、この人に助けられ教えられたラボの学生・ポスドクは数知れず(もちろん自分含む!)。科学に関して知らないことは無さそうな雰囲気を醸し出しており、しかも実際何でも知っている事が多い。物理化学生物のありとあらゆる研究を議論できる(多分)
*12:B氏:自覚なきある種のツンデレ。上に好かれるパワーが半端なく、下である学生に対する普段の態度はツンデレらしく、おおむね笑顔で突き放すか冗談で無茶振りするかの2択。デレ状態では下を褒めてくれる他、「ポスドクも数年続けていれば見えてくるものがある」などの名言を放つ。助教は彼に言わせると「『助けられ教えられ』るポジション」で、あくまで自分が助け教えるつもりはないらしい。
*13:眠かったと言えば、実はA氏はこの会話の最中とても眠く、本当は寝たかったらしい。しかしツンデレであるB氏の貴重なデレ状態を逃すわけにはいかず、懸命に起きていたようだ。
*14:2冊持っている&連続して取り出すだけで誰でも笑わせられる。いい投資をした。