はてなダイアリーでは「へぴゅーNT/というわけで(ry」だった何か。
まとまった文章が中心。日々の短文はmb(ryにあります。

floccinaucinihilipilification

なんか急に日記書きたくなってきた(唐突な本音)

先日、非常に長い日記を書いたので、普段なら数週間、または数ヶ月は書く気にならないところなのですが、どういうわけか今回はさらに何かを書きたくなったので更新します。

  • 独り言Tumblrのmb(ry(http://mbr-br.tumblr.com/)にも散々投下して、それでも収まらないのでここにぶつけてみる。そんなんでいいのかという気もするが、そもそも個人の日記なんだからどう使おうと自分の勝手といえばそれまでなわけで(ry

とりあえず先日の長い日記に関しては、記事中にも出てくる某氏より


「長すぎる」


という、簡潔でたいへん的確なコメントを頂きました。

  • 割と長文を読む事に抵抗がない方であるにもかかわらず「長すぎて読めなかった」と言われ、改めて自分でも見返してみる→うわ!!!!超ながい!!!!!!!(書いているときに気づくべき)
    • フォントが小さめなので意外と分量がなさそうに見えるのだけども、別の記事で「ここからここまで1500字」という記述を見てからこっちを見返したら、確かにそれに比べて圧倒的に長かったし文字数カウントで計っただけの分量がちゃんとあった。
      • 具体的に言うと8100字程度。長い。たぶんA4に流し込んだら6枚か、下手したら7枚になってしまう。本当に長い。
  • そして長すぎと言いつつも「他の日にも色々あったはずだ」など*1と言われて困る。
    • いやもちろんもっと書いてもいいんですけどね? 実際、最初は書いていたネタとか、書けそうなネタがもっとあったんですよ?*2 でも内輪ネタというか、発言者のキャラを知っているから面白いネタや、その時だから面白く感じただけのネタを除いて推敲して、さらに話の要点だけを整理して、あとでその時の背景を忘れて読み返しても&他の人が読んでもある程度は分かるように状況説明を足していったらああなったというだけで。
      • そうして状況説明を足すのが面倒&足さなくても何とかなりそうな話題が最後の小ネタ集に行く。それもなるべく普遍的に面白くなりそうなネタを集めて(ry
      • ちなみに状況説明を足している部分に関して、某氏より何故かお褒めの言葉を頂く。いや説明を書くから表に出せるのであって、説明なかったらそれはただのプライベートのメモ書きにしか…と思った&実際にそう返したが、改めて表に出していないメモ書きをいくつか読み返してみたところ、意外と状況説明が書かれていることに気づいた。どうもこれに関しては自分の習性らしい。
  • さらに、次回の助教対談はいつなのか(=早く次回が来ないかな)といったニュアンスの事を言われる。対談が発生するためには少なくとも、学会が両名の地元以外の場所で開催される必要がある(両名ともホテルに滞在していて、語り合うのに十分な時間が確保されないといけない)*3ため、自分が把握する限りでは次は少なくとも1年数ヶ月以上後だと伝えた所、えらく残念がられる。
    • あれこれ言われた挙句、「mbrが(近々開催される、両名が参加するらしい)某プロジェクトの会議に行けばいい」などと無茶を言われる。そのプロジェクト、資金的にも研究内容的にも全然関係ないんですが、一体どういう理由で出張したら(ry
      • 後で思い返すと、そもそも両名がそろえば助教対談になるんだから自分は関係ないのでは(=次の対談はその会議の会期中でいいのでは)?という気もかなり(ry それともあれか、記録する人がいないと駄目なのか。


長すぎるエントリと言えば数年以上前、ある方に「mbrの日記はたまに読んでるっていうか見てるよ。まあ、『うわー長いなー、すごい書いてるなー』って思いながらマウスホイールでどんどんスクロールするだけだけど」*4などと言われたのですが*5、多分前回更新分の長さなら単にマウスでスクロールするだけでも指が疲れてくるものと思われます。

  • むしろ自分自身、書きながら何度も全体を読み直したりバランスを整えたりする過程でスクロールを多用するので、それはもうどうしようもなく指が疲れた。8000字を越えるエントリーを書ける人はすごいと思う。


さて、今回のタイトルは長すぎるという台詞にちなんで、長すぎる英単語を拾ってきました。

  • 実はもう少し長い単語もあるにはあるようだけど、意味なども加味してこの単語に。意味は「何かを無意味、無価値と見なしたり扱ったりする行為」らしい。
    • 上に書いた「スクロールするだけで読んでない」はまさにこれか。そもそも自分が今日の日記を割と中身のないエントリだと思っているので、その辺の気分も反映。
  • 一番長い英単語は何か、という質問に対して一説にはTitinのIUPAC名という回答もあるらしいが、それはタンパク質屋として色々な意味で認めたくない*6ので却下。
    • なんならTitinの残基数とかでも良かったかも。34350くらいらしい。


というわけで(ry

*1:他には「もにょもにょはあの意味でいいのか、自分はもう少し違う意味で理解していた」「もやもやでなく、もにょもにょであるところにB氏の言語感覚(「らしさ」)が滲み出ているんだ」等。いやそりゃ微妙なニュアンスの違いがあるのは分かりますけどね、あの文脈でその一言に関してあまり文字数を割くのは読みやすさを損なうわけで(ry

*2:ある人の言っている事を察するパワーがどうたらとか、誰それは物を知らなさ過ぎるから突っ込まれて固まるんだとか、この3人の中で一番紳士力が低いのはどうたらとか、発表言語を英語にすべきか日本語にすべきかとか、「自分はこのキャラに似てるんだー」とそのキャラのキーホルダーをおもむろに取り出す(そして確かに似ている…)とか、今いるところを脱出したいけど(ryとか、他にもいろいろ

*3:さらに会期中にB氏が都合よくデレ状態にある必要があって、たぶんこれが一番ハードル高い

*4:こうやって改めて文字に起こすと酷い言われようだけども、ツンデレのツン部分が出ていると思えば納得できなくも(ry

*5:それ以来、短いエントリを書くと「今回のはスクロールし足りなくなりそうだ」という考えが過ぎるようになった。別にだからと言って分量を足す事はしないけども。

*6:長いタンパク質をわざわざそんな風に呼ばないとか、他にもいろいろ

aspire

やっぱりどうしても書き留めたいのでひたすら鳥取学会を振り返る

気が付いたら鳥取から帰還して40日以上が経過し、研究室の自分の机の上に置いてある島根のゆるキャラしまねっこ」グッズに何の違和感も感じなくなって久しい今日この頃です。

  • お土産を持ち帰った直後は、鳥取に行ってしまねっこを買ってきたという事実が、鳥取と島根を混同している残念な人のようでアレだったのだが、見慣れてくるとだんだんどうでもよくなりつつ(ry
  • そして机の引き出しには、しまねっこのみならず鬼太郎(目玉の親父)クリアファイルがセットされている(これもすでに見慣れた)。
    • 先日、自席に居た所をいきなり先輩ポスドクに意味なく襲撃され「何かインスピレーションを得られるようなものはないのか。(机の上を見渡しながら)全然ないじゃないか」と言われたので、おもむろに引き出しを開けてこの鬼太郎クリアファイルを見せることでウケを取る事に成功した。*1

さて、鳥取の学会では久しぶりの日本の学会、久しぶりのポスター発表という事もあって、かなり楽しく過ごす事が出来ました。

  • 実は鳥取という場所も非常に良かったようで、個人的には2006年沖縄学会*2の次に印象深い学会になった。
    • 下手に都会でなく&街が小さく、地元民が少なく、微妙に遠いので前泊&後泊するのに遠慮が要らず、観光名所には何故か学会関係者が満ち満ちていて、ついでに遅くまで飲んでもホテルまで歩いて帰れるとかそういう状況。要は、むやみやたらと知り合いとエンカウントしまくるので、勝手に盛り上がる率が上がる(やや化学反応っぽい)。


以下、記憶にあるいろいろ:

  • 自分のやっているネタとすごく近い発表を発見したのでポスター襲撃。しかし先方もこちらをチェックしていてお互いに超こんにちわお会いしたかったです状態(謎)
    • 先方に先生と呼ばれたので、単なる通りすがりのポスドクであることを強調する。むしろ先方の方が先生(教授)なので恐縮する。
    • 自分としては、日本ではまだ自分のいる分野でこのネタをやっている人はあまりいないので、勝手に親近感マックスだった。親近感感じすぎて失礼な言動をしたような気がかなり(ry
  • 自分の発表(アメリカ時代にやった仕事)では、某キーワードがポスターに入っていたためにその筋の関係者がどんどん来る。来過ぎてやばい。学生のときの指導教官(元ボス)まで来る。色々な意味でやばい。
    • そして微妙にトリッキー、かつ実は全然中身のない図1枚を元ボスに説明するのに物凄く苦労する。
    • 分かった後に「駄目だよ!それじゃ情報が減っちゃうじゃない!どうしてそんなことしたの!」というコメントを貰ったので、その絵がアメリカ時代の前ボスの発案&お気に入りであることを伝え、文句はそっちに言うように全力で笑い流す。我ながらやなポスドクである。*3
  • 某とある方に飲み会の会場を手配しろと言われたので、せっせと下調べをし、参加しそうな人を個別にカウントして場所を予約しておいた。*4が、当日、蓋を開けてみたところ、なぜか本来参加予定になっていた人の2倍程度の人員を会場に引き連れることになってしまった。
    • 「自分が出欠取って人数把握して場所を予約したはずなのに、知らない人超いっぱいいる!」
    • しかしその人数を全然余裕で収容できた某居酒屋もさすがすぎる。
    • 場所は押さえたものの、会計やらなんやらは全然慣れていないのでおもむろに某氏に丸投げする。しかし丸投げしても全然嫌がらずにやって頂けた。さすがすぎて足を向けて寝られない。
  • ワークショップの一つが、内輪の内輪による内輪のためのセッションと化していたので見物しに行く。若い人が個性を前面に出しながら輝いている横で、年上の人々が年相応っぽくこなれた振舞いを見せつつも、消せない個性をちらつかせているのを見て、ほのぼのする。
    • 手書き色鉛筆風ファンシースライドや、不慣れながらも立派に英語発表をこなす後輩陣に、心にもないことを言おうとして口が回らなくなったり、研究対象を登場人物といってみたり、さん付けしてみたりする先輩陣。
    • 「ああー、日本の学会だよー、この日本語がー、このゆるさがー、この安らぎがー、この知り合い感がー、ほんとにー、ああー」(感激のあまり目を曇らせながら)
    • 個人的にはぶっちゃけ中身の詳細や発表の上手さがどうこうというより、同じ分野で自分より前に研究を始めた人たちの発表を憧れとともに聞いたり、自分より後から来た人たちの発表をワクワクしながら聞いているだけで無尽蔵にやる気が湧いてくる*5のだけど、こういう事を言っても同意してくれる人があまりいなかったりする。
  • 分野の方が講演の末、若手賞を取った。内容的にまず落ちないだろうというのが事前の予想だったとは言え、やっぱり実際に取った知らせを受けると目出度さ半端無い。
    • この方はどういうわけか2年前の学会で自分を某他人(自分の全く知らない人、以下ドッペルさん(仮名)*6)と思いっきり間違え、両者を知る人から突っ込まれていたのだが、今回もきっちり間違えてくれた。しかも今回はこの方の配偶者にまでひどい取り違え方をされたので、夫婦揃ってもはや手に負えない。
    • そして今年はそれを盛大に飲み会のネタにされる。「ドッペルさんのファンの誰それさんがmbrさんのこと見て『似てる』って言ってたから似てるんだよ!」「あ、でもmbrさんはドッペルさんがよくやる癖のXXをしないね!そこは違うところだ!」とか言われてもね、もうね、知らんがな…。
      • どうも自分が議論の様子を見る限りでは、ドッペルさんをよく知る人はmbrを見ると似ていると思うようだが、mbrをよく知る人はドッペルさんを見てもそこまで似ていると思わないらしい。ただし、どちらもよく知らない人は間違える模様。つまり似ているのは見てくれだけで、mbrの中身を知るともう似ているとは到底思えないということに…!(えーと、それはいいことなのだろうか…?)
    • 2年前はドッペルさんがその場にいなかったのだけども、今年はドッペルさんも参加していたようで学会会場でそれらしき人の後ろ姿を見かけた。しかし接触すると対消滅しそうな気がしたので止めておいた。でも分野が同じなので遭遇するのはおそらく時間の問題。
      • 「まさか自分の人生が『学会会場で対消滅』という形で終わるとは予想してなかったなー(棒読み)」
    • ちなみに上記の夫妻には派手に取り違えられた次の日に「ごめん、よくドッペルさん見たら全然似てなかった」という、まったくもってリアクションに困る謝罪もされたのだった。似てるのか、似てないのか、いったいどっちなんだ。
  • 学会最終日の夜、鳥取最後の飲み会を無事終えて、同じホテルに宿を取った助教2名(A氏およびB氏)と共にだらだら帰還する→しかし日が変わるほどの時間にも関わらずB氏がまだ眠くない的な事を言い出す*7→それじゃあ(ry*8
    • かくして午前1時も過ぎたあたりからA氏の部屋で「深夜の鳥取・ベッドの上の助教対談」が始まる。終わったのは午前4時半。
    • これを「深夜にJK二人がベッドの上でキャッキャウフフしているのをニヤニヤしながら眺める」と書くと非常によからぬ感じがするが、言うまでもなくJKは助教の略であり、ベッドの上と言ってもビジネスホテルの一室ゆえに単に座る場所がなさすぎるだけで別に何もやましいことはない。
    • 確かに、部屋に入った直後には「残念だったね、もう少し早く来ればXXさんのあられもない姿が見れたのに♪」とかJKの一人に満面の笑みで言われたけど別に健全だから!ほんとに!なんもないから!(誰に訴えているのかよくわからないがとりあえず必死)
      • このセリフの後には「別に、(うっかり見てしまったら)うひょーとか言っとけばいいんだよ☆」というのが続く。うひょーで許されるなら(ry*9
  • で、冗談はさておき実際の対談内容はいろいろあるのだけども、多分いちばんメモすべきは助教力溢れる助教A氏による「助教もにょもにょ」および、ポスドクを極めた助教B氏による「ポスドクもにょもにょ」。
    • 「もにょもにょ」=ニュアンス的にはもやもや、ぼんやりとした納得のいかなさ、くらいの意味合いだと思われる。擬態語をそれなりに多用するB氏の発言。*10
    • A氏・B氏とも博士号をとってから大体10年くらい&今でこそ二人とも助教だけども、ここに至るまでのキャリアがかなり違う(A氏はポスドク1年?程度のあとに助教歴9年強、B氏はポスドク9年の末に助教に昇進した)ので言うことが当然違う。ちなみに性格もかなり違う*11 *12ので同じことを言うのにも全然違うテンションで語る。
  • B氏曰く「ポスドクもにょもにょ」は「プロジェクトの仕事と自分の仕事のバランスとか」らしい。また、「ポスドクもにょもにょは年数が経つにつれ深まる」のだそうだ。自分はB氏のポスドク3年目〜7年目くらいしか知らないので、最後の方がどうだったのか少し気になった。
  • さらにB氏からは「ポスドクは半病みがちょうどいい」という有難いお言葉を頂く。その心は「完全に何も考えなくなって言われるまま、麻痺してしまうのもいけないし、完全に病んでしまっても仕事が出来なくなってしまうから、その中間」ということらしい。
    • しかし(もう助教になってしまったのでこの際はっきり書くが)B氏の精神の強さ、あれだけ長くポスドクをやれた精神力については、ご本人に一度尋ねてみたい所ではある。「半病みがいい」と笑いながら言いはするけれども、当時の状況は今こうして自分が同じくらいの年になってみると半病みでは済まないレベルで、(今でこそ笑って言える部分もあるのだろうけども、当時ですら)平気な顔をして冗談を言ったり、学生相手に自虐をかましたりしていられた、その強さは恐ろしいものがある。
      • ちなみに、ここに書いた以外の情報も含め、自分が知っている限りのB氏の遍歴および当時の状況を同じくらいの学年の人に話すと、大体上に書いたのと同じような返答をもらえるので、多分自分が過剰に反応しているのではないと思う。
  • 対する「助教もにょもにょ」はまさに今のB氏の「助教になったけど、あんまりよく分からない…」な心境、A氏に言わせると、最初の数年間を大して助教の自覚なく過ごしてしまい、数年経ってはっと「何やってるんだ自分」と思う事を指すらしい。
  • これらの「もにょもにょ」以外にも、分野の人事や分野の若人や分野のいろいろを随分と語り合っていたのだが、眠かったので上手く記憶できたか怪しい。そしてうまく思い出せないのでここにも書けない。悔しい。*13
    • 分野の若人についての雑談のついでに、学生時代のmbrについてもB氏から批評を受ける。いきなり話を振られたのでうっかり微妙にごまかしてしまったけれども、後から思い返すと、折角の機会なのだしもっとよく聞いておけばよかった。あと、もう少し眠くない時に聞きたかった…。
      • その批評を受けた際に「いや確かに学生の時は(その批評の通り)ダメでしたけど、自覚というか、自分がこのままじゃダメなんだってのはいつも思ってましたよ。だってBさんがその当時も『〜にはなるな』って言ってましたし」と返したところ、B氏本人は俺そんなこと言ったっけ?!と言いながら頭を抱えていた。
        • 前々から、mbrが博士・ポヌドク時代に学んだ「学生・ポスドクかくあるべし」論はB氏の発言に依るところが大きいと散々言っているのに今更何を(ry。
        • 実はこの日記にもB氏の発言はかなり記録されているのだけども(例:平均ちょい下キープ(http://d.hatena.ne.jp/mbr/20080104#p1))、本人は読んでも気づかないかもしれない。


その他、単なる記録としての色んな人の発言集・小ネタ:

  • 「(さんざん絡んでくる先輩に向かって)うるせぇ!自分でやってくださいよそんなこと!」
  • 「(近づいてきておもむろに)おなか空いたニャ♪」
  • 「(某氏の若手賞がかかった講演を聞かなかったことについて)…だって、あの講演会場、舞台が前のところにあって、舞台の上に演壇があるじゃん、あの舞台が子供のお遊戯の会場みたいだったからなんか嫌で…」「(なんだその理由)」「…ああ、つまりXX先生は若手賞の講演は子供のお遊戯みたいなものだといいたいわけですね!」「ちがっ、違うよ…!」「いや今のはそういう意味でしょうどう考えても」
  • 「(同じような青い服を着ているのを指して)なんでペアルックなの」「いえ、これはうちのラボの制服です!」
  • 鳥取るるぶ持ってますよ(鞄から取り出す)」「おっ、すごい」「見せて」「実はもう一冊、鳥取まっぷるも持ってますよ(取り出す)」「なんで2冊も持ってるの!」「気合入りすぎ!」*14
  • 朝:ポスター会場の前でたまたま知り合いに会う→だべる→知り合いが引っかかる→さらにだべる→さらに知り合いが釣れる→よりだべる→だべりすぎてシンポジウムが終わる→シンポジウム会場から出てきた知り合いたちが引っかかる→いつの間にか巨大な知り合い集団!→お昼食べに行こう(ぞろぞろ)
    • 夜:一日の最後のワークショップが終わったのでポスターをはがしに行く→ポスター会場入り口で知り合いに会う→だべりつつ他の知り合いを探す→探すまでもなくむしろ向こうから集まってくる→集まってきた知り合いの知り合いが引っかかる→さらに知り合いの知り合いの知り合いが釣れる→さらに知り合いの知り合いの(ry→いつの間にか巨大な知り合い?集団!→そのまま呑み屋に引率→「実はよく知らない人いっぱいいる!」
  • 学会終了日の翌日、学会会場からかなり離れた某所で、列車に乗りながら見事すれ違う助教2名。相手の姿を見つけて心底うれしげに全力で手を振る1名、ちょっとだけ手を振って答えるもう1名。いやー、偶然って本当にいいものですねー、とか思いながらその様子を眺める自分。手には時刻表。そして3人とも明らかに睡眠不足。なぜ朝8時とか9時の列車に乗ると決めている3人が4時半まで話し込みますか?


…これ以外にもポスター会場前のテーブルでの会話とか、同じくポスター会場前で今度は数時間にわたる立ち話(しかも2回)とか、ポスター会場で帰国の挨拶とか、ポスター会場で隣のポスターの人と話をしそびれたとか、某砂丘で知り合いに会いまくりとか、日本海に向けて砂山を全力駆け下り&帰りは必死のよじ登りをする人々を眺めるとか、なぜかラクダにこだわる人とか、鳥取には低いけどタワーがあるよとか、書けることがいくらでもあるのですが、たぶん全部書こうとすると来年の学会が来てしまう気がするのでこの辺で書くのを止めることにします。

  • 書き上げてみると恐ろしく長い。約8000字。1回の学会の記録でこれだけ書いたのは初めてじゃなかろうか。
    • 人生ではじめて学会発表した時の記録が2004年の12月中旬あたり、3日程にわたって書かれているのだけど、それでも文字数的にはこっちの方が多いはず。あと簡単に検索した感じでは2008年の6月15日もやや長い。印象深かった2006年9月の学会については、そこまでたくさん書かれてなかったりする。
  • 以前、現職場で前の仕事をしているときに「ああ、もう前の職場じゃないんだと悪夢から覚めたかのように思い出す」と書いた*15のだけども、それに関連して、この学会参加中はどういうわけか「ああ、夜が明けたんだ、本当に朝が来たんだ」というイメージが度々浮かんできたのだった。
    • 「今までは夜明けと言ってもまだずいぶん空が暗くて、辺りもよく見えなかったけど、今はそうじゃない。日が昇ったんだ、朝なんだ。空が青くて、世界に色がついて見える、世界のすべてが輝いて見える!」
      • 大袈裟なと言われそうだけども、割と本音。
    • そして、あまりにも世界が輝いて見えるので、ひょっとして実は寿命が近いんじゃないかとちょっと心配になる。それくらいの感動。
      • まあ、こういう刹那の感覚を掘り下げるのもあれなので、久しぶりに助教2名が超楽しげに語りまくってたのを眺めたら、2006年を思い出して安らかな気持ちになったからということにしよう、うん。

ちなみに、来年の開催地は横浜です。

  • ここの展開まで2006年と同じとは…。


というわけで(ry

*1:本当は意図せずに引き出しを開けた(何せ見慣れているのでこれがウケを取れると思っていなかった)のだけども、結果として先輩のテンションを上げる事に成功した

*2:http://d.hatena.ne.jp/mbr/20061117

*3:元ボスが「うーん…XX(前ボスの名前)はこれでいいと思っているのか…うーん…」とぼやいている横で、他の人と「やー、前ボスがいきなりその絵を出してきちゃったんでそれでいっかーと思ったんですけど、確かに別のやり方のほうが良かったですねーw でも前ボスがオッケーしてくれないかもですねー」と、にこやかに雑談するくらい、やなポスドクである

*4:しかし面倒だったので全然正式にアナウンスをしなかったのだった。飲み会行きたい人はポスター会場で自分を見つけてくれればいいんじゃん?というやる気のなさ。自分で書いててやなポスドクである

*5:なので学会に行って(たとえ内容は全部知っていても)知り合いの発表を聞いたり、自分より若い人のポスターを訪問するのは欠かせない

*6:ひどいネーミングですみません>ご本人、でも他にしっくりくる仮名が(ry

*7:この人にしては珍しい。それこそ2006年の沖縄学会以来?(ちなみに2006年のときも最初は助教A氏の部屋に当時ポスドクのB氏と学生だった自分がいて、あの時はさらに人が増えてロビーに移動したのだった→そしてなぜか最も神に近いあれこれがどうたらこうたら(内輪ネタ))

*8:ここら辺の流れは後でA氏と確認したら微妙に認識の差があった。自分としては何もしたつもりはなかったのだけど、A氏からするとそうではなかったらしい。そんなはずは(ry

*9:ちなみに、これに関して自分は華麗に反撃できるネタを持っている(というか、5年くらい温めている)のだが、なにせ連日の睡眠不足に加えそのときすでに午前1時で頭が回っていなかったため、ここで出していいのか判断に迷って結局出さずじまいになってしまった。次に機会があったらすかさず出そう、そうしよう

*10:ちなみに関係ないが日本語の擬態語は便利すぎるので、英語圏に行って擬態語を封じられると思ったように表現できなくて悲しい思いをしたりする(B氏同様、擬態語に頼っている自分の実体験として)

*11:A氏:いつでもどこでもどんなシチュエーションでも年下の面倒見がよすぎて神レベル。そのためか下に好かれるパワーが半端ない。助教の肩書の通り、この人に助けられ教えられたラボの学生・ポスドクは数知れず(もちろん自分含む!)。科学に関して知らないことは無さそうな雰囲気を醸し出しており、しかも実際何でも知っている事が多い。物理化学生物のありとあらゆる研究を議論できる(多分)

*12:B氏:自覚なきある種のツンデレ。上に好かれるパワーが半端なく、下である学生に対する普段の態度はツンデレらしく、おおむね笑顔で突き放すか冗談で無茶振りするかの2択。デレ状態では下を褒めてくれる他、「ポスドクも数年続けていれば見えてくるものがある」などの名言を放つ。助教は彼に言わせると「『助けられ教えられ』るポジション」で、あくまで自分が助け教えるつもりはないらしい。

*13:眠かったと言えば、実はA氏はこの会話の最中とても眠く、本当は寝たかったらしい。しかしツンデレであるB氏の貴重なデレ状態を逃すわけにはいかず、懸命に起きていたようだ。

*14:2冊持っている&連続して取り出すだけで誰でも笑わせられる。いい投資をした。

*15:http://d.hatena.ne.jp/mbr/20130602

Lepus

初めてイナバにやってきた

イナバというと白兎よりも物置の方が先に出てきてしまう程に「100人乗っても大丈夫」のCMが頭に浸透しすぎている今日この頃ですが、とにかく電車(と気動車*1)に乗って因幡こと鳥取にやってきました。

  • 初の山陰。久しぶりの学会発表。今回はポスターなので楽。
  • 最後に日本の学会に出たのが2年前なので、シンポジウムなどを見ると自分が日本の事情に疎くなっているのを感じる。どんな大型プロジェクトが走っているかとかもう全然。
    • ちなみに2年前に出たのも同じ学会。ただ、2年前はワークショップでの講演だったので、最後に日本でポスター発表したのは実に4年前の2009年。やはり今回と同じ学会で、当時はまだポスドクならぬ学位を持たないポヌドク研究員という昔っぷり。そもそも初めて学会発表したのが9年前なので、自分にとって4年というのはかなりのブランク。
    • ついでに、アメリカにいた時のポスター発表はいつもA0版の大きな一枚ポスターだったので、A4でパワポスライドをちまちま貼るスタイルも4年ぶり。いろいろ忘れていてやばい。

で、今日はこうして日本の学会に参加するために準備をする中で感じたあれこれを、前回の日記(前職場振り返り)の補足として書けたらと思っていたのですが、意外と時間がないので単に到着報告に留めることにします。刺身おいしいよ刺身。

  • 実際に学会に参加したら、またさらに書き加えることが増えるかもしれないので、と一応言い訳をば。
  • 自分は「誇大広告」「過剰な宣伝」に対して結構な潔癖であるような気がする、というのを今回のポスター発表のタイトルや要旨(アメリカで出した論文から部分借用・改変したもの)を読み直して思った、というのが書きたかったことの要約。大したデータじゃないものを、素晴らしいタイトル、イントロ、そしてディスカッションをくっつけることで凄そうに見せるのにも、やっていい限度があるだろう、とか。
    • 自分の許容できるレベルはどう見ても前ボスよりも遥かに低い。そしてこの自分の持っている低い許容レベルは、論文以外のことに対しても同じで、ある意味一貫している。
    • 論文のタイトルに過剰に聞こえのいいタイトルをつけるのって、要はネットで見かける「タイトルは釣り」と同じだし、少ないデータで大きな事を言うのは「ほとんど中身のないライフハックのブログ記事」と変わらないじゃないか、と。
    • そういう記事・論文の是非や、どの程度なら許されるかの基準はともかく、そういう類のものを相当嫌悪している自分がそれっぽい論文の筆頭著者とか、悪い冗談でしかない。

さて、今回のタイトルは因幡の白兎に賭けて、ノウサギ属を表す単語を持ってきました。

  • 折角なのでちゃんと正確に、因幡の白兎は分類だとどれに入るのかと「日本のウサギ 種類」で検索してトップにWikipediaの「ニホンノウサギ」が来たときの破壊力。
    • 「じゃあもうあれだろ、因幡の白兎の種類は『イナバノウサギ』だろ」と笑いながら記事を読み進めて目に飛び込む「オキノウサギ隠岐諸島固有, Lepus brachyurus okiensis)」の衝撃。奴は固有の亜種だったのか!
    • Wikipediaによれば「いなばの白兎」の『いなば』が必ずしも因幡とは限らない&兎のいた「おきのしま」が必ずしも今の隠岐島とは限らないらしいけども、まあ、その辺はさすがに。
    • 出来る限りタイトルは短くしたいので、okiensisとLepusで迷う。ただ、あまり専門的なタイトルをつけると間違って来てしまう人がいるので、敢えてLepusに。
  • そして「釣りタイトル」の真逆を行く英単語一文字タイトルが完成。誰も釣らない。釣る気もない。


というわけで(ry

*1:鳥取県はほとんど電化されていないらしい。以前別の学会で行った徳島と同じ(徳島の方は100%非電化らしいけども)

Rebel

アメリカからの「荷物」が片付いたついでに、前の職場を振り返ってみる(2)

…またの名を「本来の任期である3年が終わって手元のビザもようやく切れたので、前の職場を振り返ってみる」


そんな訳で、前の更新からかなり間が開いていて、以前のタイトルにあった「荷物が届いたついで」というのには時間が経ちすぎているのと、それならばと実情にあったタイトルに変えてみたら、タイトル違う時点でもはや(2)じゃないような気もしてきたのですが、敢えて(2)を貫き通してみます。

  • (2)を早めに書こうと思っていたら、新年度と共に様々なイベントが押し寄せてきて(ry
    • アメリカから最大の「届け物」が予定されていた/届いたのが3月末だったので、それまではある意味仮体制だった&新年度から新体制に移行したので(ry
  • 言葉通り、届いた荷物が概ね片付いた以外にも、ちょうど前の職場がらみの仕事*1が片付いたのでこのタイトルに。
    • そして息つく暇もなく迫り来る現職場での初の研究室内進捗報告…!こんなもの書いてる場合じゃないような気もするが(ry
    • かといって前職場の仕事も完全に終わった訳ではなく。一番大きな仕事はこれからが本番ですよ。なんてこった。とりあえず前ボスが「この日から休暇だから、それまでに片付けたいな!」といって指定してきた日が、まさに進捗報告の前日とかやめて頂きたいのですが。


さて、前回は前職場の一般的な環境について書いた訳ですが、今回はもっと個別の事情、前職場で前ボスやその他のメンバーとやり取りして研究を進め、論文を出す中で自分が何を感じたかに踏み込んでみようと思います…


…が。


果たしてどこから、どう書くべきか。
前回の更新から2ヶ月半、ある日は「ありとあらゆることをぶちまけるぜ!」と息巻いてみたり、また別の日は「いやいや、あまり個人的な事を書くのはねえ」と自重してみたり、それなりに揺れ動いていたのですが…


おそらく、どう語るにしてもキーワードは【言語】と【研究哲学】なのだろうなあ、と。


【言語】は、要は英語の事で、たとえば「英語で意思疎通するのは日本語でするよりずっと大変だ」というだけの事なんですが…。
でも、それは、単に英語の単語が分からないとか、表現が適切じゃないとか、文法がこんがらがってしまうとか、
もっと具体的に、通りすがりの人に挨拶するのにも頭を使うとか、同僚と雑談するのも一苦労、とかだけではなくて、
「上司が度々やらかす勘違いを、その都度、相手が気を悪くしないようにうまいこと正す」
「上司に責任を問われたときに、自分には非が無いことを示しつつ、誰に非があるのかは敢えて曖昧にしておく」などという、
割と厳しいシチュエーションでの会話、日本語ならぎりぎり出来そうな(場合によっては日本語ですら上手くは言えないだろう)会話を、いかに正確かつ簡潔に、そして自分の言える範囲の単語で、相手に発言された直後の0.1秒で返せるか、そういう大変さです。

  • 個人的には「何でそんなことをしたんだ!」という言葉そのものだけでも十分ストレスフルなのだけども、それにひるまず英語を使いながら反論しないといけないという環境。反論すれば分かってもらえるらしいと気づいたのは、英語で何とか返せるようになってから=結構後になってから。


特に、自分にとって最初の1年は、自分の喋っている言葉に自信が持てないので、相手が何か誤解していてもそれが本当に勘違いなのか、自分の英語によるものなのかが分からず、雑談以外の場、発言に何らかの責任が生じるような状況では常に緊張していたように思います。


週に1度のボスへの進捗報告も、事前に資料・ハンドアウトを用意して、言うべき文章、見せるべきデータを全て載せました。それを元に何を言うか全部リハーサルした上で、その通り喋っていました。まさに、英語慣れ・国際学会慣れしていない日本人がいかにして国際学会を乗り切るか、それを進捗報告のレベルで毎週やっていました。たとえ書かれている英語が間違っていても、グラフや数字は間違っていないのでそれを読んでもらえれば、という戦略です。なので、データがない週は憂鬱でした。


結局、リハーサルをせずに資料を作るだけで済むようになったのは1年目が終わってから、最終的に資料がいらなくなり、日本にいた時と同じようにグラフ一枚を手に進捗報告に向かえるようになったのは、2年目も終わりになってからでした。

  • こうなるとデータがなくても全然怖くない(日本語でやるのと同じように、言い訳というか状況説明をちょっと考えておけばよい)ので、随分気が楽になった。
  • ちなみに、1年目2年目は進捗報告前に日本語の歌を聞くと英語が出なくなるので英語のPodcastが手放せなかった。3年目になってようやく、直前まで「ぽっぴっぽー、ぽぴー!」とか言っていても、グラフを取り出した瞬間にとりあえず英語で説明できるようになった。もちろん英語は依然として不正確だけれども。


さらに、これは自分だけかもしれませんが、1年目は英語を喋る事にエネルギーを割きすぎていたのと、周りの環境が英語だったので、記憶の呼び出しと研究に必要な思考に支障をきたしていました。


おかしな事を書いていると思われそうですが、日本で学部から博士、研究員に至るまで身に着けてきた技能が、ロックでもかかったように全く出てこなくなり、どういう点に着目して解析をすればよいか、得られたデータの見せ方や分かりやすいスライドの作り方、話のもって行き方、そういうものが学部生か修士学生のレベルにまで落ちてしまって、自分でも博士取得までの7年間はなんだったのかと愕然としました。そもそも自分がそういう状態にあると自覚したのは、渡米後半年以上経ってからでした。

  • 何故そういう事態になってしまったのか、もちろん急激な環境の変化でショックが云々とすることもできるのだけれど、それ以上に自分の技能は全て「状況記憶」として保管されていて、映像と言語、日本語で記述されているからじゃなかろうか、と思ったり。
    • たとえば、「どういう点に着目して解析すべきか」⇒昔、指導教官とディスカッションしたときの記憶、他の人の論文で見かけたときの記憶、自分が実際にその解析をやって、データを見ていたときの記憶。
    • 推測でしかないけれども、この頃は自分の中でまだ英語と日本語の間に高い壁があって、英語で得た知識や経験と日本語で得たそれらが完全に分離していて、どちらかにアクセスしているともう片方が出てこない、そんな感じだったのだと思う。
  • 実は、環境が変わると直前の環境で経験した記憶が出てこなくなりがちなのは今回が初めてではないのだけど、これほどの年数、これほどの範囲で記憶が一時的に飛んでしまうのは初めてなので、おそらく英語も関係しているのだと思われる。
    • 研究以外で記憶がおかしなことになった例*2:渡米半年過ぎた辺りの一度帰国で名古屋を訪れた際、地下鉄車内にあった路線図が分からなくなってしまった。2年の間に何度も地下鉄を利用して路線図そのものも見慣れていたし、知らない駅名はほとんどなかったのはずに、その時は書かれた漢字が駅名であることも、その読み方も、その駅を訪れたときの記憶も、そもそもそのカラフルな曲線のからまったものが路線図であることも曖昧にしか分からなくなってしまって、呆然と「絵」を見ていた。実家辺りやワシントンDCにも地下鉄&カラフルな路線図はあるのだけれどそれらは当然大丈夫で、ただ直近の2年を過ごした名古屋での記憶だけが妙なことになっていた。新幹線から地下鉄への乗換えや、地下鉄の中の様子などは記憶にあって懐かしいと感じていたので、たまたま目に入った路線図だけが異様に浮いていて、前衛絵画でも見ているような気分だった。その後、1年2ヵ月後に再び名古屋を訪れたときには記憶はちゃんとリストアされていて、不自然なことはなかった。


とまあ、散々英語に足を取られながら研究活動に励んでいたわけですが。
多分、【研究哲学】が同じであったら、ここまで英語に不自由した事を悔しく思い出したりはしなかったんじゃないかと思いもするわけです。


研究哲学といっても、自分だって大した物を持っているわけではありません。
ただ、指導教官の言葉である「自分の仕事やデータ、人の仕事やデータについて、自分の軸を頼りにして解釈ができるようになる。それが自立した研究者だ」*3というのを胸に刻みつけて学位を取った身としては、やはり自分の軸というのはどうしても譲れない訳で、もっと言えば「何が格好よいか、何が素晴らしい研究か」の一点に関しては、軸とか言う以前に自分の中にある美学なわけで、これはもうどうにもならないんじゃないかと思うわけです。


…。


詳しくは書きませんが、テーマの選び方、データの取り方、解析手法、論文の書き方、オーサーシップ、どの論文誌に投稿するか、等々、美学的な意味で自分には到底受け入れられないことが多く、しかも「この環境に甘んじていると、外に出たときに完全に駄目になってしまう」という危機感ばかりが募る2年半でした。

  • 気を抜くとボスが解析から論文書きから何から侵出してくる*4ので、何でもボスに丸投げ出来てしまう環境。その代わり自分は成長しないし、どんどん自分の美学に反する論文が自分の名を先頭にして出て行く。
    • 別に自分がとりわけ駄目だからそうなるのではなく、他のポスドクに対してもそうなのは少し話をして分かった。日本にいるときに読んで、ちょっといいなと思っていた論文の筆頭著者と話したり少し一緒に仕事したりして「あ、この人、自分で主体的にあの論文書いたんじゃないんだな…」と分かってしまったときの悲しさよ。そして自分が徐々にそうなりつつある事への恐怖!
    • 「ここに長くいれば論文も増えるしある時期までは安泰かもしれない、でもここにいればいるだけ精神的に死んでいくし、最終的に自分のためにならない」
    • それでも、最後の方は開き直って&逆手にとって、面倒なことを積極的に押し付ける「よりかかり怠惰ポスドク」と化していたような。何様だ。*5
  • で、危機感を抱えていても訴えるだけの英語力がないし、訴えてどうにかなるものでもない部分も結構。
  • ポスドクで一番問題になるのは「論文が出ない」ことだけれど、二番目は「論文は出ているが実は本人は全然成長していない」だろうとしみじみ思った。誰かに状況を相談しても、どこかのタイミングで「でも、論文出てるならいいじゃない」で切り捨てられるので困る。その論文を出すまでに自分がどれだけ能力値を伸ばせたかも大事な点だと思うのですよ。綺麗事かもしれないけれど。いや、本当、綺麗事なのはわかっているんだけども…。
    • 逆に、最初の論文が出る前は「せめて1報出してから出て行ったら?」「問題はそこじゃないんだよ!下手したら自分が(途中から)何もしてなくても出てしまうんだよ!論文が!ここだと!(怒りと嘆きに満ちた口調で)」というやり取りもした。改めて文字にするとかなり意味不明だが、間違ってはない。


美学という意味では、もともと自分は極端に言うと「博士取る=自殺行為というか自殺」というスタンスの人なので「博士を取ったのだから自分は割と早く死ぬだろう*6、ならば、論文は数を稼いで上に行くことを考えるのではなく、残された時間で少しでいいから良いものを出したい」という考えなのですが、そもそも前提のPh.D.取ると人生オワタ、というのが日本でしか通じない概念であることをすっかり忘れていました。

  • 欧米や中印あたり出身のポスドクは、母国に帰ればポストはあるだろうorアカデミックに残れなくてもそれ以外の道が…といった具合で、決して悲観することはなかったはず。この温度差には、正直耐えられないものがあった。もちろん、彼らには明るい未来があるのに日本の博士号の自分には…という意味では全くなく、「こっちは少し先のほうに崖があることを凄く楽しみに生きているのに、こいつらは将来がどうとか一体何を言ってるんだ」という方向で。
  • 本当はこの考えを英語で説明したいんだけども非常に難しい。日本の博士号取得者の未来が素晴らしく暗い事は説明した事があるが、それが「制度的には問題だが、個人的にはそれを狙ってきた、とても楽しみだ」というのは日本語でだって、容易には分かってもらえないだろうから。


そんな訳で、前の職場を振り返れ、個人的な話題を中心に!という題に対して、こういう文章を綴ってしまうのは果たしていいのか?と思わなくもないのですが、別に他に書くこともないし、実際、アメリカにいたときの職場についての上記以外の記憶といえば、とにかく建物の中にいるのが嫌で極力家から仕事をするようにしてたとか、アメリカを去る2週間前ですらプロジェクトの進行があまりに美学と反するので激しい無気力感に襲われたりとか(この無気力には滞在中常に悩まされた)、2年半で「最近こんな論文出たよね、読んだ?」といった会話をボス含めほぼ誰ともしなかったとか、同じく職場に不満のあった友人と「必ずここを脱出しよう」と励ましあったりとか、逆に、楽しかった記憶って全部職場の外だったりとかして、職場での楽しかった記憶ってあまりない気がします。

  • 件の友人も無事脱出できた&最近前職場の話をしたのだけども、同じ事をするにしても環境は大事という事で意見が一致した。
    • ストレスとかプレッシャーとか恐怖とか怯えとか、そういうものがないだけで頭の回り方が全然違う。
  • 逆に、前職場の仕事&メール書きをストレスを溜めながら現職場でやっていた際、ちょっと席から立ち上がって振り返ったら、突然、自分がもはや物理的に前職場にはいないのだとはっと気づいて、まるで悪夢から覚めたかのような感覚を味わった。ちょっとばっかり感激の涙も出そうになった。


追記(2013/06/02):
上の文章は最初の一行を除いて5月の半ばに書き上げたものなのですが、やっぱり(いくら冷静に書いているとは言え心配だったので)少し時間を置いて見直してみたかったのと、どうせなら渡米3周年の5月26日にあわせて公開しようと放っておくうちに、26日どころか初出勤の6月1日も過ぎてしまって今に至ります。
内容が内容なので更新するべきか非常に迷ったのですが、ここまで書いたものを横において他の話題を更新する気にはなれませんし、この3周年のタイミングを逃すと永遠に更新しない気がするので、一部具体的なエピソードを削った上で公開する事にします。

  • 読み返すとあれも書いていない、これも書いていない*7といった具合で本当に全然書き足りないのだけど、それをやるといつまでたっても書き終わらないので(ry
  • ちなみに一番上に書かれていた研究室内進捗はしょぼいながらも無事に終わりました。
    • この5ヶ月間、前の職場の仕事に随分時間と気力を吸い取られていて、こちらでの仕事に全然手が回っていなかったのだと気づかされた。物理的に離れていてこれなのだから、向こうにいた2年半ではどれだけ吸われていたのか。時間はともかく、気力の方を。

次の更新はいわゆる日常回というか、普通の更新にしたいものです。

  • というか早く更新したい、新しい職場で見聞きし考えた、くだらなおもしろい色々を!


追記2(2013/06/03):
日曜の夜の更新だし、大して人目に付かないだろうとたかをくくっていたのですが、意外とそうでもなかったみたいです。

  • 滅多にブックマークされないので、いざされるとたとえ少しでもうひょへぴゅ(ry
  • 改めて読み返すと本当泣き言というか地味かつ真面目かつ抽象的なこと極まりない。なので、ちょっとだけ具体的かつテクニカルなボスへのツッコミを足しておく事にする。*8
    • 「えーと、なんだ、いくら身内びいきだからってペアワイズアラインメントをbl2seqでやれって言うのはどうかと思うのですよ。あのツールは元々ペアワイズ用じゃないですからマジで。それと、いくら身内のツールで済ませたいからって、モデリングで得た手持ちの構造とデータベース中のテンプレート構造のペアワイズ構造アラインメントするのに、データベース検索ツール使って全構造とのマッチとかさらっとやらないで下さい本当。その辺の分子ビューアーでもたかだか1秒未満で出来る事を『全部サーチし終わるのに1日半かかるんだってー』とか笑顔で言われたら、流石にカタコト英語の自分だって横に立ってるツール開発者に『ペアワイズ、ないんですか、bl2seqみたいなの…』とか聞きますよマジで*9。」
    • ここまで身内にこだわるのはうちのボスだけだと信じたい。っていうか一応ここ世界的拠点っていうかほぼ世界トップなんだからそんなに頑張らなくても、ある程度は世界が持ち上げてくれるでしょうに…!bl2seqとか…!
    • まあ、実はデータベースの種類や分野によっては必ずしも世界トップではないので、気持ちは全くわからないわけでもない。でもなー、自分は別に中のスタッフじゃなくてただのポスドクだし、データベース開発部隊で自分の所のDBを使わないといけないとかならまだしも、外部のDB使って研究してた純粋な研究担当だったわけで、何かもう、ただとにかく良い研究がしたいだけなんだよなー、いやマジでマジで。


というわけで(ry

*1:荷物と表現するに相応しいような論文…。

*2:きっと自覚しなかっただけで本当はもっとたくさんあるのだろうけど、これはあまりにもクリアでしかもショックだった

*3:2009年2月にこの http://b.hatena.ne.jp/mbr/20090223#bookmark-12243629 ブックマークコメントでも使った。発声練習さんの背骨エントリー。

*4:ボスがデータセットをくれというので渡すと統計解析されて返ってきたりする。論文も書かれないように予防線を張っても気を抜くと先に書かれる。ボスが唯一やらないのはおそらく一番最初のデータセットの生成だけ

*5:そしてそれを支える事が出来てしまうのがボスの凄い所でもあり、困った所でもある。

*6:博士取得後最初の1年くらいは自分がもう死ぬんじゃないかと思っていた。前述の環境変化や英語のプレッシャー、論文出版競争他もあって、明日には気が狂って死ねるんじゃないかと期待していた部分もそれなりにあった。渡米2年目になってようやく、自分が博士号を取ってしかもまだ死んでいないとはっきり自覚した

*7:震災の後のまどマギ最終回で精神的に壊れたとか、丁度脱出のためのあれこれをやっているときに某ブログ記事を読んで「猫好きが猫を殺すような環境」という言葉に思わず涙したとか、渡米の話が出る前からボスの名前の入った論文は読んでいたので、研究の進め方のタイプには何となく気づいていたけどまさか(ryとか、エピソードは色々ある

*8:これは美学とか以前に、いまどきのバイオインフォ屋としてツッコまずにはいられないので…。

*9:その場に居合わせたもう一人のポスドクは英語に困らないので、さっくりと全力でボスにツッコミを入れていた

Level

アメリカから荷物が着いたついでに、前の職場を振り返ってみる(1)

前回の日記から1ヶ月と1週間強が経ったわけですが、国内での引越&それに伴う様々な手続き&アメリカからの荷物受け取りをこなして、ようやく落ち着きつつあります。

  • 採用通知も健康保険証も無事届いて、最初の給料もちゃんと振り込まれて、身分が不明な状態と深刻な日本円欠乏状態から脱したが、職員証だけがまだ来ない。そして迫り来る任期終了の3月末。ちなみに臨時入構証は先月末で期限切れたまま放置されている。
    • 現職員証を手にする前に、来年度の職員証の発行手続きの案内を受け取ったときのこの何ともいえない感覚…。

Twitterでも一度呟きましたが、現職場は環境としては前職場の数倍から数十倍、ときに数百倍以上よく、何の不満もありません。
あまりに不満がなくて楽しい日常なので、自分としてはいろいろと愉快でなかった*1前職場の事を急速に忘却しつつあります。

  • しかし、このまま忘れ去ってしまうのも勿体無いので、さしあたっては今思い出せることを、なるべく全般的なことから書きとめていくことにする。本当に書きたい、個人的な心境までたどり着けるかどうかは謎。


さて、特定を恐れずに書くと、前の職場はアメリカNIHの中でもバイオインフォマティクス分野に特化したセンターで、この分野の世界的拠点といって差し支えない場所でした。
実はNIHにいる同じ生命科学ポスドクでも、分野が違うと名前を知らない人が意外といるのですが*2、このセンターの管理下にある『世界でおそらく唯一にして最大の、生命科学系文献データベース』の名を出せば、生命系の人はまず間違いなく反応します。

  • ぼんやりした顔が、その名を出した瞬間ぱっと明るくなり、そして徐々に驚きが混じったものへと移る、あの表情の変化を何度も目にすると、だんだん言うのが申し訳なくなってくる。出来ればセンター名の時点で気づいて欲しい…。


このセンターですが、内部的には3つの部門に分かれており、それぞれ研究部門、開発部門、内部インフラ部門という位置づけになっています。そして、まずここで言わないといけないのが、各部門、特に研究および開発部門の規模です。
全世界にサービスを提供し、世界の生命科学を強力にバックアップするいわば生命科学のインフラであるところのこのセンターで、最大の規模を誇るのは当然、サービスを維持し改良する開発部門であって、間違っても研究部門ではありません。
しかし、科学の傭兵または科学の派遣社員であるところのポスドクを採用するのは研究部門であって、開発部門ではありません。*3

  • 誤解を生まないために正確に書くならば、開発部門には学位取得後5年未満のいわゆるPostdoctoral Fellowはほぼ皆無で、ほぼ全員がEmployeeとなっている(ソースはNIHのGlobal Address book)。ただし、Employeeの中には常勤職員のStaff Scientist以外に、Research Fellowと呼ばれる学位取得後5年以上が経過したポスドクのような人も混ざっているので、必ずしも開発部門が全て正規の常勤職員で占められているとは断言できない。
    • たぶんこの辺のことは、ちゃんと聞けば教えてくれるんだろうけれど、ポスドクフェローがほとんどいないと分かった時点であまりの構成比の違いにショック受けてどうでも良くなってしまった。
    • 普通に考えれば、サービス提供部門は常勤の人々が粛々とメンテを行っているべきで、ポスドクの出る幕はなくて当然なのだけども、これが意外と他所ではそうでもないらしく(ry

この時点で、このセンターに来たポスドクは「世界最大の拠点に来たんだけど実は立場の弱い部門配属」という事実に直面するわけです。

  • ポスドクの間では「予算がカットになったら縮小されるのはまず研究部門、その中でも最初に切られるのはContractor(外部の契約社員)、次は我々ポスドク…」というのが、共通認識だったように思う。特に、自分が赴任した2010年は、その次の年辺りで予算が厳しくなり、実際にContractorの解雇があったようだ。ポスドクの採用も1年ほど控えられていたはず。世界最大拠点だけど普通に世知辛い。*4


次に、この研究部門がどういう組織なのかですが、それを端的に表す言葉は「フラット」でしょう。
他のNIHのセンターと違い、ここでは研究室や研究グループという意識が希薄で、ほぼ全員が「このセンターの研究部門のスタッフ」という肩書きしか持っていません。もちろん、便宜上いくつかのグループに分かれてはいますが、そこのラボヘッド(Senior Investigator)が他のスタッフ(Staff Scientist)より常に偉いかというと全くそんなことはなく、いわゆるラボヘッド級の人が普通にただのスタッフとして誰かのグループに居たりします。
こういう組織になったわけははっきりしませんが、おそらくこのセンターがまだ設立30年未満なことに加え、立ち上げに関わった人たちが当時まだかなり若く、30年近くたった今でもまだトップとして現役なあたりに理由があるように思います。

  • 立ち上げの人たちの間や、黎明期の頃に赴任してきた人たちの間で上下関係を設定するような動きがなかったので、そのままここまで来たのだろうと推察されるが、詳細は謎。
  • もちろん一部のスタッフの間では年齢(経歴?赴任時期?)か何かのファクターで、ぼんやりと上下関係が構築されているのだけど、これが肩書きとして可視化されない。実際にプロジェクトの動きを見ていたりすると、命令系統で誰が上で誰が下かはすぐ分かるが、逆に言えば、見なければ絶対に分からない。

自分の前ボスもあるとき、言っていました。
「うちのセンターはね、他と違ってフラットで凄くいいんだよ!
…あ、うちらにとってはね。」
そう、スタッフであれば、ね。


こういうフラットな組織に下っ端のポスドクとして赴任すると、誰がどこにいて、どういう経歴で、どれくらい凄くて、何をしているのか、ということがさっぱりわかりません。

  • ちなみに、「スタッフはみな平等でポスドクはその下」という構造は古代ギリシャを彷彿とさせると退職してから気づいた。

この組織構造に、物理的な建物の構造が追い討ちをかけます。このセンターは各フロアーが一つの大きな部屋で出来ていて、その大部屋の中をパーティションで区切る事で一人一人に割り当てるブース、キュービクルを作っています*5。唯一の例外は各フロアの窓際に少数設けられた個室で、これらの個室はだいたいスタッフの中でも上の方の人に割り当てられています。
つまり、全ての個人がどこかの階の個室かキュービクルに適当に配置されているので、個室持ってる人は偉いんだろう以外の推測、たとえば「あの人はXXグループの部屋に入っていったから、XXの所属だろう」といった推測は、全く出来ません。

  • 最近、キュービクルをグループごとにまとめようと頑張っているらしいが、果たして。
  • ついでに、お茶部屋や給湯室的な場所もないので、誰かの雑談が聞こえてきてそれと分かる、というケースもない。これは自分が英語話者でないので、そんなに簡単に聞き取れないのもあるけれど。

極め付けが、この組織ではポスドクの方がスタッフより少ないという事実です。前述の通り、開発部門ではポスドクはほとんど居ませんが、研究部門だけでもポスドクはスタッフに数で負けています。*6
数で負けるとどうなるか。組織の方向性を決定するのがスタッフで、人数もスタッフが多いとなれば、ポスドクの扱いは自然と適当になります。

  • 具体的には、研究部門全体で順番に回ってくる内部セミナーにポスドクが組み込まれてなかったりとか。これは自分が来る数年前に是正された(「もっと若い人にも発表の機会を与えよう」とかいう理由で)と聞いた。
    • 似たような話で、とあるグループのポスドクさん曰く、赴任当初はグループ内セミナーなどが全くなかったので、自分のグループに誰がいるのか全容を把握できなかったらしい。これも、スタッフ同士はもう知ってるので問題にならなかったものと思われる。


自分が、親しい人に前職場の不満を冗談めかして言うときの決まり文句は


「流しがない」「窓がない」「セミナーがない」


でしたが、これはそれぞれ


「人が溜まる場所がなく、誰がどこで何をしているのか分からない」
「大きな部屋にみんな投げ込まれていて、組織構成がさっぱり」
「新参者がもともといた人たちと交流するような場がない」


と言えなくもないかもしれません。
いや、もちろん、


物理的に流しがなくてコップをトイレで洗うのが嫌だったとか、
キュービクルが部屋のほぼ真ん中で窓が遠く外の様子が全く分からなくて気が狂いそうだったので、デュアルディスプレイの片方の壁紙を空画像にして、15分ごとに変わるようにしてたとか、
あまりにセミナーや学会参加の機会がなさ過ぎて、渡米後初めて英語でセミナーしたのが何故か名古屋での出身ラボでのセミナーで、それも渡米してから1年9ヶ月も経ってからだったとか、


そういう言葉どおりの意味も多分にありますが。

  • たぶん、ポスドクを5年やって、様子を十分把握した上でスタッフになったりしたら、この環境は非常に居心地の良いものになったと思う。でも、昨今の予算事情を加味する限り、それはかなり難しい。
  • あと、今回は全般的なことに集中したのでまったく書いてないけれども、研究内容の問題もあったりする。


まあとにかく、自分が経験した前職場の環境、特にポスドクという職の立場は、こういったものでした。


ただ、最後に明記しておきますが、もちろん、上に書いた(主に組織的な)問題についてどうにかしたいと思っているスタッフの人たちやポスドクの人たちはちゃんといるので、徐々に改善に向かっているはずです。

  • ポスドクで集まってランチにいく企画を立てる人が現れたりとか、前にも書いたとおりキュービクルの配置をグループ単位に一致させようとか。
    • でも自分そんなに待てないよ!流しも窓もセミナーもあるラボに行くよ!ごめんね!!というのが本音。流しでコップ洗ってるだけでこんなに喜びを感じる日が人生に訪れるとか予期してなかったし、修士の学生さんの発表練習を聞きながら幸せをかみ締めたりとか、廊下の終わりの所の窓から西日が廊下に差し込んでいるのに思わず目を奪われたりとか、もう現職場のありとあらゆる些細な事に感動できる。


次回(もしあれば)は、より個別の事情として研究内容および研究方法について書けたら書きます。

  • 今回の内容はほぼ事実を列挙しただけなのでいいけれども、研究内容や手法については、あんまり書きすぎるとあれなことに(ry

追記(という名の謝辞):
上のあれこれには先輩ポスドクだった韓国人の同僚から得た情報を多分に含んでいるはずなので、念のためacknowledgeをば。自分より3年長く在籍していたとはいえ、なぜ彼があれほどまでに情報通だったのか謎です。

  • ちなみに、自分が赴任から1年経つ前から次の職を探し始め、最初の任期である3年を待たずにここを退職したのには、赴任してきた直後に聞いたこの同僚の「出たかったら任期が終わる前に出たっていいんだぜ」の言葉があったからだったりする*7。この言葉がなかったら、無理して2年くらいは職探ししなかったかもしれないし、その間の精神状態がどんなものになったか、想像もつかない。


というわけで(ry

*1:とはっきり言ってしまおう、この際!

*2:このセンターがNIH内で外れたところに立っているのも、NIH内での知名度が低い原因だと思われる。NIHの人たちは建物の番号でどこの所属なのかを判別するのだが、メインのビル10周辺から離れてしまうと、番号を覚えてもらえず(ry

*3:ちなみに、この二つの部門は組織として完全に独立しており、普通のポスドクが普段の研究活動で開発部門に関わる事はおそらくないものと思われる。

*4:もっと世知辛い話もあるが憶測を含むのでここでは書かない

*5:どうしてこういう構造になったのかについて以前とある人から聞いたのだけど、憶測の域を出ないようなのでここでは触れない

*6:これが何故なのかはよく分からない。憶測だけども、このセンターは分野の拡大と共に規模を拡大してきたようなので、ポスドクがどんどんスタッフに昇格した結果、スタッフが蓄積されていったのかもしれない。

*7:当時、この同僚自身が出たがっていたのもあって、こういう発言になったものと思われる

cyclic

あけおめ in Japan

気が付けば年も明けて1月も後半に入ってますが、今更新しないと2013年は一度も更新しないような気配がするので、とにもかくにも覚えている事を記録しておきます。

  • 帰国直後に何を考えていたのか、何が起こったかを忘れてしまう前に書きとめておきたいのもあったり。


12月29日:9ヶ月と数週間ぶりに日本の地を踏む。これが永久帰国だとはまだ信じられない。

  • 成田に着いて、「おかえりなさい」の文字にふと苦笑する。何だかなあ、というのが正直な感想。
  • アメリカから送った船便の荷物が届くまでの間、生活するのに必要な全てが詰まった大量の荷物を引きずって、別送品申告書を出しに空港を端から端まで移動。税関の人が右の突き当たりと言ったので右側のカウンターに行ったら、実は左だったというオチ。
  • とりあえず実家に帰るべくバスのカウンターへ。「2100円になります」といわれ、ニセンヒャクが理解できない。2100であることは分かるが、そんな大金持っていたっけ?と思い、これがドルではなく円であることに気づき、1ドル=100円ならば2100円は21ドル程度である事に思い至り、それなら持っていそうだぞと財布を覗き込みつつ、さらに2100円は千円札2枚と百円玉1枚で払える事を思い出し、財布の中に青くてドル札より丈夫な紙2枚と、10セント硬貨より大きくて厚い銀色のギザギザがついた硬貨を探す。ここまでおよそ数秒。傍から見ると何となくもたもたしている人程度で済んだはず。
    • 3月に帰国したときも千円札に違和感を覚えたが、今回はまるっきり忘れていた。


12月30日・31日:時差ボケ真っ最中。もちろん年明けの瞬間まで起きていられない。紅白中にうっかり寝て、起きたらさだまさし

  • 日本に帰ったら買いに行こうと思っていた本を求めて本屋へ。520円を約5ドルに換算するまでは良かったものの、代金を払おうとして無意識のうちに五百円玉と百円玉2枚を握り締めている事にはっと気が付く。10セントと100円玉がどちらも銀色で縁にギザギザがついている故の間違い。10円は茶色くて100円よりさらに大きい硬貨のことであると思い出し、財布をごそごそする。まだ、ぎこちない。


1月1日〜3日: http://anond.hatelabo.jp/20130103040523

  • 衝動的に、誰かに読んで欲しくて書き付ける(=叫びだす)場所として増田が恐ろしく有効である事を身にしみて感じた。
  • 上の記事はフィクションです。実在のなんたらとは一切関係ありません…と言えたらどんなに良かった事か。実際はフィクション分5〜10%でつまりは95%ノンフィクション。思い出の中の品物は永遠に失われてもうどこにもない。


1月4日:初出勤、の前に転入届を出しに行くなど。退勤後は、毎年恒例の同期の忘年会/新年会。

  • 住民票の「米国から転入」の記載が、自分がアメリカにいた証のように思える。もちろんパスポートにビザは貼ってあるし、DS-2019だって持っているけれど、日本のシステムに「この人は海外にいました」と書面で言われたのはこれが初めてのような気がした。
  • 大変懐かしくもあり新しくもある職場に到着し、自分の机の所に積まれたPCの箱を開ける。セットアップをしつつ、最後にこんな事をしたのはいつだろうと思ってみる(たぶん学位取る前)。
    • 大量に発生したゴミであるダンボールや発表スチロールをゴミ袋に入るサイズに切りながら、内心「すごい!ダンボール切ったり束ねたりとか!久しぶりすぎてやり方忘れた!大学だ!これが!日本の!大学だ!!!」と妙に盛り上がる(あくまで内心)。
    • 前職場はありとあらゆるものがInstitute内のPC部隊によって管理されているので、セットアップ含めこういう作業は絶対に発生しなかった。逆に言うと、自分では絶対に何もしてはいけない環境。ソフトのインストールすらPC部隊にメールで頼む。
  • 新しい職場の食堂に行くが、「ピリ辛葱チャーシューラーメン」が読めない。ピリ辛という単語があまりにも久しぶりすぎて、うっかり「ピリ/辛葱」といった具合に間違って単語認識したため。あとチャーシューラーメンとかカタカナが続くのも読みにくい。日本語の識字能力が下がっている感じがする。
  • 毎年恒例の忘年会*1は、今年は新年会となってこの日に開催された。昨年欠席したので2年ぶり。でもほとんどの人はTwitterで見かけるので久しぶり感が少ない。
    • 同じ時期に1年間のドイツ滞在を終えて帰国した知人と、日本と海外の文化の違いについて語れたのが一番記憶に残っている。
    • 逆カルチャーショックというか、細かい習慣の違いが分からなくなっていて結構ストレスなのだが、意外とそれを打ち明けられそうな相手がいなかったりする。たとえば、バスに乗るときに運転手に挨拶しないのが気持ち悪かったり、レストランで会計するときに伝票の上に十分なお金を置いても帰ることはできない、等々。
    • 3月に帰ったときはそれほどでもなかったのに今回はかなり違和感を感じるのは何故なのか、色々考えるがはっきりした理由が思い浮かばない。唯一の心当たりは、前回は滞在後満2年を迎える前で、今回は2年と7ヶ月が経過した事。英語の喋りやすさが満2年に近づいてから急に変わった(一段と喋りやすくなった)ので、2年過ぎた辺りでトランジッションというか、知らない間により向こうの文化に馴染んだのかもしれない。


1月5日:いよいよ国内引越に向けて具体的に行動する。

  • 「海外から引っ越してきてまた国内で引越する」という状況を口頭で説明するのは意外と面倒なことを実感し始める。一回実家に滞在して、でもそこからまたさらに…という辺りが特に。しかも、実家自体も自分とは別に引っ越すのでさらにややこしい。
  • そして日本で部屋を借りる際の初期費用の高さに嘆息する。特に関東。礼金とか何のためにあるのか。地味に仲介手数料も他と比べて高いように思う。


1月6日の週:なぜか採用手続きが遅れていたらしく色々なものが遅延する。前ボスとの仕事をぼちぼち再開。並行して引越の準備もする。

  • 部屋を借りるに当たって収入証明を出せといわれる→月収の書かれた採用通知書がこない→今決済に回っている原案の状態のものを送る→これ3月末までの採用だけど4月以降は?とつっこまれる→4月からは職場は同じででもお金の出所は別で、採用は内定してるけど政府の来年度予算が通らないとこれもまた採用通知が(ry
    • 大学の特殊事情をすごく頑張って説明。これで借りられなかったらどうしようかと(結局、週末に無事借りられる事が分かって一安心)。
  • この日記を書いている16日時点でもまだ色々遅れまくっている。具体的に言うと採用通知書がまだ来ない。実害はあまりないけども…。
  • 新しいPCに、以前使っていたInkscapeやらRやらNotepad++やらのソフトウェアを全部そろえて、さらにVirtual Box+CentOSLinux環境を整えたら格段に仕事しやすくなったので、とりあえず前の仕事を再開する。まだ投稿していない論文をどうにかする作業。ちなみに新しいPCは自分の都合で英語版OSの英語版キーボードにしてもらったのだけども、お蔭で全く違和感なく作業が出来ている。有難い限り。
  • 引越の箱詰め。前述の通り自分の荷物は非常に少ない(少なくなってしまった)のだけれども、名古屋から持ち帰ってアメリカに持っていかなかった荷物(ほぼ全て研究室に置いていた専門書等)だけは箱に入っていたせいか手付かずで残されていたので、それをつめ直す作業が主。
    • その過程で雑誌「生化学」を全部、「生物物理」の大半を処分。ほとんど会費払ってるだけだった前者はともかく、割とせっせと学会に出ている後者はちょっと心が痛んだけども、内容はWebでも読めるので巻頭言が面白いものだけとっておく事に。

でもって、1月13日の週こと今週はついに国内引越の予定です。

  • ついこの前転入届を出した役所に、今度は転出届を出しに行く空しさ。ただしどこかにまず転入しないと部屋が借りられない(はずだ)し、一応帰国後14日以内に転入届を出さないといけない事にになっているので、仕方ない。


というわけで(ry

departure

退去、退職、退アメリ

日本に帰る前にもう一回くらいは更新しようと思っていながら、気がつけばあと数時間で空港に赴かなければならないような日時になってしまいました。

  • 書こうと思っていたことを思い出しつつ、今日のところはとりあえずアメリカに行く直前のツイートをTwilogから拾ってみたりなど。

  • 2年半を振り返るに、これは賭けというよりある種の転換点、言い換えれば人生における重要な通過点だったのだと感じる(人生における重要じゃない通過点があるのか、と言われると難しいが)。まだ終わっていない仕事や確定していない事項もあるので、最終的な評価ができるのはもう少し先になるけども、今のところは勝ちも負けもなく「質の変化」としか言えない気分でいる。
    • しかし当時は確かに人生最大に匹敵する行動であったとはいえ、区切りが終わった今となっては、これが人生最大になってしまうとこれから退屈してしまう、それは困るなどと呑気な事を考えている。まさに喉元過ぎれば何とやら。
    • ついでに、人生という単語は、当たり前だが自分のかかわる全ての物事を含んでいることを再確認する。上のツイートを書いたときには、「人生」という単語に対して仕事以外のことを考慮に入れていなかったし、そもそも考慮するつもりもなかったのをよく覚えているので、尚更。


というわけで(ry